1980年の7月から8月にかけてモスクワでオリンピックが開かれた。それはソ連で、そして東欧で開かれる初の大会であった。開幕までの数年間に、予選などの会場となったタリンやサンクトペテルブルク、キエフ、ミンスクを含め、およそ80の施設が建設された。そのほとんどがモスクワに建てられたスポーツ施設であるが、その中には一般的なスポーツ複合施設だけでなく、住宅地や公園なども含まれている。そしてそれらの建築物は40年経った今もその豪華さで人々を驚かせている。
モスクワのプロスペクト・ミーラ(平和大通り)にあるヨーロッパ最大の屋外スタジアムはわずか2年半で完成した。スタジアムは2つの施設から成り、1つはプール、そしてもう1つは3万人の観客を収容する楕円形をしたスタジアムである。
「オリンピースキー」はオリンピックの閉幕後も活用された。スタジアムはモスクワでもっとも人気のあるコンサート会場の一つとなり、マドンナ、ポール・マッカートニー、レディー・ガガといった大スターもここで公演を行った。またコンサート以外にも、水泳をはじめとした多くのスポーツクラブが開かれているほか、ブックフェアが開かれたり、人気ブランドのディスカウントショップが多数立ち並んでいる。
2019年にスタジアムとプールは改修工事のために閉鎖された。2年間でスポーツ施設を刷新し、映画館やカフェもオープンすることになっている。
モスクワ南西部のこの2棟のパネル住宅を地元の住民たちは、そのちょっと変わった形から、ロシアの丸い形のお菓子になぞらえて「ブーブリク」と呼んでいる。ここにはオリンピックの五輪の形を模した5棟の住宅が建てられることになっていたのだが、結局2棟建てられたところで計画は終了した。その理由は防音や設備に問題が生じるなど、生活条件に支障があったためである。
1棟に1,000室以上の部屋があり、26もある入り口の中から自分の家に通じる入り口を探すのは容易ではなかった。アパートは映画スタジオ「モスフィルム」の近くにあるため、アカデミー賞を受賞した「モスクワは涙を信じない」を始め、ソ連映画にもよく登場した。
モスクワの空港の新ターミナルはオリンピックのために特別に作られた。空港は大会期間中、46万人以上の外国人を出迎えた。現在のターミナルFは多くのヨーロッパの貨物輸送機が利用している。またこのターミナルにはシェレメチェヴォで最大のDutyFreeがある。離陸までに待ち時間があるときには、同じくここに設置されているシェレメチェヴォ博物館を覗いてみることもできる。
1980年当時、この自転車競技場は世界でも最大の規模のものであった。建物は巨大な蝶のような形をしていて、トラックは最大で時速100キロまで可能であった。競技場が開かれてから現在に至るまで、この競技場では200ほどの記録が打ち立てられた。現在も自転車競技場として機能している。
モスクワ南西部の一部にあった選手村は現在、モスクワの住宅地になっており、およそ1万5,000人の住民が住んでいる。
建物は16–18階建ての典型的なパネル住宅。住宅には自転車道や運動場がついた美しい公園も整備されている。
事務所として使われていた建物にはモスクワ防衛博物館がおかれ、文化センターだった場所には劇場とフィルハーモニーホールが作られている。
平和大通りに25階建てのホテルを建設するという大規模なプロジェクトのためにフランスの設計士とユーゴスラヴィアの建設作業者が招かれた。またオープニングには、フランスのシャンソン歌手ジョー・ダッサンが登場した。
オリンピック終了後、ホテルは外国の大規模な代表団を受け入れ、テレビプロジェクトや国際フェスティヴァルの会場として使われるようになった。「コスモス」はブロックバスター映画「デイ・ウォッチ」にも登場する。登場人物の一人がスポーツカーに乗って半円形のエントランスを走るというシーンがある。
オリンピックのプレスセンターの建設は1976年にスタートした。中には複数のカンファレンスホールとコンサートホールがある。パルク・クリトゥルイ(文化公園)駅にあるこの巨大な建物の中には現在、通信社「リア・ノーヴォスチ」が置かれている。
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