バイカル湖の歴史を物語る12枚の秘蔵写真

ユーりー・カヴェル撮影/Sputnik
 世界最深で、ベルギーやオランダと同じ位の面積を誇るバイカル湖は、地球で最大の淡水湖であり、そこには息をのむほど美しい景色がひろがる。

1. 1900年代初頭、ロシア艦隊は最初の砕氷船を得た。名前は湖の名にちなんで「バイカル」とつけられた。この船は1918年までバイカル湖で活躍した。

2. 1900年。この写真はシベリア横断鉄道の一部としてバイカル湖畔を走った最初の鉄道車両。かつては、こんなに湖の近くを走っていた。残念なことに今は線路は湖から離れたが、それでも遠くにバイカル湖を見ることはできる。バイカル湖岸鉄道の一部分はイルクーツク水力発電所を建設するにあたり水の底に沈められた。いまでは分断された線路が残るだけである。

3. 1905年、シャーマン岬の断崖。かつては祈りの場所であり、シャーマンの儀式を執り行うことでよく知られた場所であった。今ではバイカル湖の遺跡の一つとなっている。断崖の岩は、ソ連時代に石灰を掘るために爆破された。これは、神秘主義に対してあえて行った意図的行為ではないかと言われている。

4. 1959年、バイカル湖の夜明け。このあたりは湖の近くに民家も多く、ホテルも建っているが、それでも、このような自然のままの景色を楽しむことができる。冒険してバイカル湖周辺の辺鄙な場所を訪れてはいかが?簡単に行けて、周りに誰もいない素晴らしい風景に全身に置くことができる。

5. 1964年、バイカル湖の気象は独特であり、風は湖の上を掃いていくだけである。冬もシベリア中央部に比べて厳しくはなく、夏も耐えられないほど暑くはならない。湖の水はとても冷たく、震えずに泳ぐことができるのは、8月だけである。

6. 1966年、リストヴェニチノエ村(現リストヴャンカ村)が湖に最も近い集落である。1725年に二コラ・キスリツィンと言う男が、バイカル湖岸で冬を過ごした。その後、いくつかの家がその場所に建てられたのである。

7. 1969年、バイカル湖上でのボート遊び。湖では観光客のための多くのアクティヴィティがある。ハイキング、ロッククライミング、ケイヴィング、乗馬、カヤック、釣り、そしてヘリコプター遊覧など多岐にわたる。

 イルクーツク(バイカル湖最寄りの大きな都市)での週末の過ごし方についてはこちらをどうぞ。

8. 1970年、冬のバイカル湖畔の子どもたち。湖は全長およそ636キロメートル、ロシアの2つの地域、イルクーツク州とブリャート共和国(首都はウランウデ)の中間にある。

9. 1982年。バイカルアザラシは湖のとっても可愛いシンボル。バイカルアザラシ以外にも、バイカル湖に生息する動物は2,600種に上る。地元の珍味でサケ科の魚オームリを試してみてほしい。

10. 1983年。バイカルがどうやってできたのかについては今なお地質学者らの間で議論が続けられている。しかし2,500万年前からあると言うことでは見解が一致している。湖を最初に発見したのはコサックのクルバト・イワノフであった(1643年)。

11. 1989年、湖の真ん中に浮かぶオリホン島にあるミステリアスなシャーマン岩。この岩を巡っては伝説がある。バイカルという名の地元の男にはアンガラという名(湖のから流れる川の名)の娘がいた。アンガラは若いエニセイに恋をし、家を出た。エニセイも同じく川の名で、アンガラはその川と一緒になったのである。娘のアンガラが逃げたことを知って憤怒したバイカルはシャーマン岩を娘に投げつけた。

12. 1990年、バイカル湖がすっかり凍ってしまった冬、人びとはホッケー、スケート、スキーを楽しむ。また毎年、冬の終わりには湖面でマラソン大会が行われている。

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