トヴェリの住人は、彼らの街がモスクワとサンクトペテルブルクとの間に位置するために憂き目に遭っていると言う。街で最も教養と才能溢れる人々の多くが、遥かに大きな2つの都市でチャンスをつかもうとこの街を去ってしまうからだ。街のあるタクシー運転手は言う。「彼らはトヴェリに何も残していかないよ。くそったれ。」
これはずいぶん悲観的な見方だ。ついでに、この際はっきり言っておこう。トヴェリの人々はモスクワ人が嫌いだ。実際、彼らは常々自分たちの街こそがロシアの首都になるはずだったと考えてきた。しかし、モスクワ大公との数世紀にわたる争いの結果、トヴェリは数度占領され、略奪され、焼け野原にされてきた。
残念ながら今日では、古いクレムリンといくつかの中世の教会を除いて、見るべきものはそう多くない。とはいえ街を散策すれば、二大都市の間に位置するおかげでこの街が繁栄してきたことが分かるはずだ。実際、有名な建築家たちは、モスクワやサンクトペテルブルクで大きな仕事に取り掛かる前に、よくトヴェリでひと仕事していた。
1日目:ロシアの歴史を散策する
ヴォルガ川の岸辺を散策し、最も重要な名所を見てみよう。ヴォルガ川はトヴェリからそう遠くないところに源流がある。冬には凍ったヴォルガ川を徒歩かスキーで渡れる。
ステパン・ラージン通では美しい古商家が連なる区画を目にするだろう。実際、古いモスクワを描き出したい撮影班はしばしばここで映画を撮る。川の対岸には白・青・緑の聖エカチェリーナ修道院が見える。立ち寄って、静かでこぢんまりとしたロシアの教会の世界に飛び込むのも良い。
ヨーロッパの橋と“アジアの”映画館
川沿いにを数百メートル下れば、いわゆる“新”石橋を見ることができる。実はこれは、部分的にサンクトペテルブルクから寄贈されたものだ。1956年にサンクトペテルブルク市当局が街で最古の橋の再建に取り掛かったさい、その一部がカリーニン市(トヴェリは1931年から1990年までそう呼ばれていた)に贈られた。今では“サンクトペテルブルク橋”は地元住人の誇りだ。
ヴォルガ川に架かるもう一本の橋はかなりヨーロッパ的な由来を持つ。これは、ハンガリーの首都ブダペストの有名な鉄橋を模したものなのだ。大きな鋼鉄製の建造物の一端から景色を眺めれば、自分がドナウ川にいるのかヴォルガ川にいるのか分からなくなってしまう。
2本の橋の間に、トヴェリの文化施設がある。目に飛び込むズヴェズダ(“星”)映画館は、1937年に当時支配的だった構成主義の様式で建てられた。地元に伝わる話では、これは建築家らが2つのプロジェクトを混同した結果できたもので、本来はウズベキスタンの街サマルカンドに建てられるはずだったという。しかしこれは、これほど風変わりな建物が自分たちの地域にあることを正当化するために地元の人々が考え出した話である可能性が高い。
トヴェリを旅した人々:プーシキン、ニキーチン、エカチェリーナ大帝
街の公園を一周して川のほうへ戻ると、アレクサンドル・プーシキンが出迎えてくれる。彼はこの地域をよく旅したのだ。川の向こう岸では、アファナシー・ニキーチンに出会える。彼はトヴェリで生まれ育ち、“三洋”を渡ってインドまで航海したが、不幸にも二度と故郷の土を踏むことはなかった。
トヴェリの最も美しい名所の一つが、近年改修されたエカチェリーナ大帝の宮殿だ。この宮殿と公園の複合施設は革命の嵐と戦禍とを被ったが、写真資料や建設当時の資料を元に再建された。
街の美術館も訪れる価値がある。ロシアの古い宗教的工芸品や、シーシキン、アイヴァゾフスキー、レーピンといった巨匠の作品、そしてソビエト時代のプロパガンダ用の陶器も展示されている。ここではロシア芸術の各時代を象徴する作品を見ることができる。
飢えと渇きを癒す歩行者区域
トヴェリの旅の初日は、カフェ、レストラン、バーの立ち並ぶ2つの歩行者区域、トリョフスヴャツカヤ通とラドィシェヴァ通の散策で締めくくろう。街は小さく田舎風情が漂うが、グルメ文化はかなり発展している。ここでは、あるイタリア料理店に入って、居心地の良い屋内テラスで土地の定番料理とロシア産の“イタリアン”チーズを味わったり、あるいは挽きたてのコーヒー、自家製ケーキを楽しんだりすることができる。
2日目:ロシアの田舎の隠れた美を探求しよう
2日目はトヴェリから少し離れ、静かで澄んだ田舎の生活に浸るチャンスを最大限に生かそう。
スタリツァ―絵のように美しい精神世界の町
スタリツァ(トヴェリから約65キロメートル北西)の中心の橋の真ん中に立つと、心が躍る。眼下にはヴォルガ川が流れ、周囲はロシア正教の古教会が林立する3つの寺院が立つ丘が取り囲んでいる。
スタリツァは13世紀に川岸の要塞として建設されたが、かつてのクレムリンは諸公の覇権争いの中でその役割を全うすることができなかった。のちにこの街はトヴェリやモスクワ地方の精神的な中心地となった。この町で最も有名で人気のあるスヴャト・ウスペンスキー(聖母就寝)修道院は16世紀に創建された。
もう少し時間があるなら、ベルノヴォのオシポフ・ヴリフ家の邸宅を訪れることもできる。ここはプーシキンが友人やファンたちを連れてよく宿泊した屋敷だ。小さな町の博物館やそばの公園のほか、本物のロシアの村を散策し、少しばかり詩人になった気分を味わうことができる。
トルジョク―黄金の歴史
美しい街トルジョク(トヴェリから60キロメートル西)はトヴェリツァ河畔にあり、その立地条件の良さから商業が栄えた。トヴェリ同様、トルジョクもモスクワとサンクトペテルブルグに挟まれている。1478年、トルジョクはイワン3世(大帝)によってモスクワ大公国に併合された。1703年にサンクトペテルブルグが建設された後は、この町は新しい帝都へ物資を供給する交通路の要衝となった。
また、モスクワとペテルブルグとを結ぶ郵送街道を通って、大勢の傑出した人物がトルジョクに立ち寄った。
トルジョクには2つの主要な観光名所がある。聖ボリス・グレブ修道院と、トルジョク金糸刺繍工場博物館だ。
キムルィ―ユニークな木造アールヌーボー
スタリツァとトルジョクは(十分に早起きすれば)両方を一日で回れるが、小さな町キムルィ(トヴェリから100キロメートル東)は反対方向にある。別の日を割く必要があるが、もし建築と歴史の大ファンなら、行かない手はない。
キムルィが最初に言及されたのはイワン雷帝が1546年に出した勅許の中だが、この居住地が公式に市に格上げされたのは1917年のことだ。二大都市の間にある街のほとんどがそうであるように、キムルィは商業の中心地で、特に革製ブーツの生産で有名だった。この街のブーツは1862年のロンドン万博にも出展されている。今日こうしたスタイリッシュで実用的な靴とブーツは、街の博物館で目にすることができる。
キムルィで最も有名な観光地は、美しく独特なアールヌーボーの木造屋敷だ。この様式で作られた丸太小屋としてはロシアで唯一のものだ。
トヴェリへの行き方:モスクワのレニングラード駅で快適な郊外列車ラストチカ(ほぼ1時間に1本運行、切符はパスポートなしでも買える)に乗車する。他にもいくつか高速列車があり、サプサンはトヴェリで停車する。また、サンクトペテルブルグ行きの各種長距離列車でも行くことができる。