人物の中に時代を描く

「私は芸術を愛している、…私たちの人生のどんな幸せや喜びよりも。愛している、密かに、嫉妬深く、老いた飲んだくれのように、いやしがたく」。この告白は才能が生前に広く認められた数少ないロシアの画家イリヤ・レーピンによるものだ。 画家は、最後のロシア皇帝ニコライ2世の肖像を描き、初代共産党書記長スターリンの愛顧を受けた。 昨年6月、ロンドンのオークションで『パリのカフェ』が競り落とされ、ロシアの絵画作品としては最高の740万ドルの値がついた。 日本での7回目のロシア文化フェスティバルで、国立トレチャコフ美術館所蔵のレーピンの展覧会が東京のBunkamuraで始まり、10月8日まで催される。

イリヤ・レーピンは1844年、ハリコフ州の屯田兵の町チュグーエフで生まれた。幼少の頃から絵筆をとり、余りに熱心で、絵に屈みこんではよく鼻血を出すほどだった。

チュグーエフでは教師たちに恵まれた。その中には、有名な肖像・風景画家のイワン・ブナコフがいた。

レーピンは同時代人たちの肖像をたくさん描いた。彼は肖像画の中に人物の性格や心の動きのみならず、その時代の現実をも映し出すことができた。

レーピンは好んで老人を描いた。子供の肖像はほとんどない。チュコフスキイは書いている。「子供の顔には醜悪さ、つまり、レーピンにとっての詩がないのです」。

恋と革命

レーピンの最初の恋はモデルを務めたベーラ。「アブラムツェボの橋上のベーラ・レーピナ」と題された絵に彼女が描かれている。結婚したが離婚に終わった。

他の肖像画のエピソードも興味深い。1895年の冬、レーピンは宮廷省から特別の注文を受けた。ペテルブルグ・マリンスキー宮殿の会議室のために皇帝ニコライ二世の盛装した肖像を描くことになった。それは近衛大隊の大佐の制服を身につけた若き皇帝の凛々しい姿で、穏やかな灰色がかった緑色の目は自信に溢れていた。

しかし、革命により肖像画は額縁から引きはがされ、その後長いこと謎のままだった。 1995年、レーピンの作と思われるニコライ2世の肖像画の鑑定を行ってほしいとの要望がオークションハウスから国立トレチャコフ美術館に寄せられた。作風や技巧を調べると、正に損傷を免れたその絵であることが分かった。

肖像画は修復され、オークションで競り落とされた。2002年に建都300周年を迎えたサンクトペテルブルグに寄贈され、国立ロシア美術館に収蔵されている。

画家が自分の最初の成功を味わったのは、1873年に『ボルガの曳舟人夫たち』(国立ロシア美術館、サンクトペテルブルク)を出品した時である。

画布の奥から観る者の方へ人の列が進んでくる。その一人ひとりに独特の個性がうかがえる。 主題は道程の初めと終わりを描き、何年も互いに身を寄せ合って生きる人たちの現実を物語っていた。

本物らしい神秘さ「サトコ」

写真提供:BridgemanArt/Fotodom

ロシアの叙事詩の主人公サトコが海のツァーリの娘たちの中から妻を選んでいるところだ。富裕な商人だったサトコは嵐で船が難破し、海の王国へたどり着いた。  神秘的に明滅する水の奥から、着飾った海の皇女たちがしずしずと現れる。サトコの視線は農婦の服をまといたたずんでいた娘に止まった。名はチェルナワ。レーピンはできるだけ本物らしくしようとして、海底の世界を研究し、ベルリンの水族館やロンドンの水晶宮を訪れた。絵はパリに出展されたが評判にはならなかった。しかし、ロシアで有名になり、アレクサンドル大公(後のアレクサンドル3世)が購入した。


レーピンは、着飾った別荘の人たちと対比させて、ボロをまとった貧しい曳舟人夫たちを描くという当初の構想を放棄したのだった。 画家の創作上の成熟を示したのは『イワン雷帝とその息子イワン1581年11月16日』(1886年、国立トレチャコフ美術館、モスクワ)である。

薄暗い宮廷の大広間の絢爛たる緋絨毯のうえに玉座が倒れ、床には笏杖が横たわり、2人の男の姿が見える。それは、怒りにかられて取り返しのつかないことをしてしまった後で血を止めるべく息子の頭の傷を押さえる父親と、赦された父親の胸に身をあずける若い皇子。

この作品は、イワン雷帝が息子イワンに死の一撃を加えた歴史の一場面を捉えている。心理的緊張は作品そのものばかりでなく制作過程にもみなぎってっていた。画家は、市場で出逢った雑役夫に雷帝の形象を見出し、皇子イワンは作家フセボヴォロド・ガールシンをモデルに描いた。

作品は数多の議論を呼んだ。皇帝の殺害を描くことは可能なのか? パーベル・トレチャコフは、すぐに自分のコレクションのためにその絵を買ったが、人目に触れない特別の場所へそれを隠しておかなくてはならなかった。 絵画にとってのレーピンは文学にとってのレフ・トルストイと重なるといった比較をよく耳にする。それを肯定するのも否定するのもあなた次第だ。

でも、そのためには、国立トレチャコフ美術館所蔵レーピン展へ足を運ぶのはもちろんのこと、『戦争と平和』をも読破しなくては。

国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展

❖2012年8月4日(土) ~10月8日(月・祝)Bunkamura ザ・ミュージアム

❖2012年10月16日(火) ~12月24日(月・祝) 浜松市美術館

❖2013年2月16日(土) ~3月30日(土)姫路市立美術館

❖2013年4月6日(土) ~5月26日(日) 神奈川県立近代美術館 葉山

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