軍用外套に包まれるモスクワ

タス通信

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モスクワは第二次世界大戦の記憶をたくさん残している。1941年6月の動員、やまない空襲と避難、敵の退散と前線から戻る兵士。そして、1945年6月の初めての戦勝パレード。

 モスクワの赤の広場で5月、対ドイツ戦勝70周年記念式典が行われる。これは第二次世界大戦の記憶をよみがえらせる唯一のスポットではない。空襲にさらされながら国と一体になって勝利を待ち望んでいたモスクワ市民から、この街はどのように見えたのだろうか。モスクワの歴史スポットをめぐるコースを、ロシアNOWが特集する。

 

鉄道ベラルーシ駅


画像提供:lori

 現在、鉄道ベラルーシ駅(Belorussky Railway Station)には、シェレメチェボ空港からの高速列車「アエロエクスプレス(空港エクスプレス)」が到着する。

 建物が建設されたのは帝政ロシア時代の1912年。第二次世界大戦中、ここから軍用列車が前線に向けて出発し、駅前広場では人々が兵士に別れを告げていた。

 ナチス・ドイツがソ連に奇襲攻撃を仕掛けてから4日後の1941年6月26日、ベラルーシ駅で初めて軍歌「聖なる戦い」が演奏された。この歌はソ連国民にとって非公式の国歌となった。駅の外壁には、この場面を描いた記念碑が設置された。

 1945年、帰還する勝者の兵士をのせたベルリン-モスクワの列車が、ここで盛大な出迎えを受けた。

 

地下鉄マヤコフスキー駅

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 鉄道ベラルーシ駅から、地下鉄マヤコフスキー駅(Mayakovskaya Metro Station)へ来るには、緑の地下鉄路線に乗り換えて、次の駅で降りる。

 マヤコフスキー駅が開業したのは戦前の1938年。このプロジェクトは翌年のニューヨーク万博でグランプリを受賞した。戦争中、この駅は他のモスクワ地下鉄の駅と同様、防空壕として使われた。また、1941年11月6日には、スターリンがここで演説を行い、「モスクワは健在であり、ソ連の人民は不屈である!」と述べた。この演説はラジオを通じて全国に流れた。

 モスクワ地下鉄では戦争中、食料を受け取り、診療を受け、また映画まで見ることができた。青い路線の地下鉄クルスク駅(Kurskaya Metro Station)には、レーニン図書館の読書室まで置かれていた。モスクワに激しい攻撃が行われていた期間、地下鉄へは1500万人が避難し、空襲の期間、150人の新しい命が生まれた。

 

マネージ広場のゲオルギー・ジューコフ元帥像

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 地下鉄マヤコフスキー駅から、マネージ広場のゲオルギー・ジューコフ元帥像(The Monument to Marshal Zhukov in Manezhnaya Square)のある場所へ来るには、2駅目の劇場駅(Teatralnaya)または野禽市場駅(Okhotny Ryad)まで乗る。像は赤の広場の入口わきのマネージ広場にある。

 農家で育ち、高等教育を受けていないジューコフは、ソ連の元帥のポストまでのぼりつめ、戦後は国民から「勝利の元帥」というあだ名をつけられた。大祖国戦争(独ソ戦)開戦時、ジューコフはモスクワ郊外の敵の攻撃を阻止し、二週間でソ連を制圧するというヒトラーの計画を崩した。「一番記憶に残った戦いは何かと聞かれると、私はいつも『モスクワの戦い』と答える」とジューコフは話していた。

 ジューコフ元帥像がマネージ広場に設置されたのは、戦勝50周年記念の1995年。馬に乗っている像には理由がある。1945年の戦勝パレードで、元帥はソ連軍をこのように歓迎したのだ。馬に元帥を乗せるというのはヨシフ・スターリンのアイデア。当時を知る人によると、5日かけて国中で馬探しを行い、「クミル(アイドル)」というあだ名のシルバーグレーの馬を見つけたという。パレードの前に、ジューコフは1ヶ月この馬に乗ってならした。

 

アレクサンドル庭園の哨所NO.1

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 ジューコフ元帥像の場所から、アレクサンドル庭園の哨所NO.1(Sentry Post No.1 in the Alexander Gardens)の場所へ来るには、マネージ広場を過ぎてアレクサンドル庭園の入り口の左手に来る。

 この哨所は無名戦士の墓のわきにある。ロシア人はここを「永遠の炎」と呼ぶ。永遠の炎は第二次世界大戦後、戦死した兵士を追悼するために、国内のすべての都市に設けられた。この哨所では名誉近衛兵が、いかなる天候であっても、毎日8:00から20:00まで1時間おきに交代を行い、観光客のカメラのフラッシュを浴びる。名誉近衛兵は身じろぎもせず、表情も変えずに立っているため、何とかして”揺らそう”と、変顔をしたり、さまざまな音を発したり、ジョークを言ったりする観光客もいる。

 

ポクロンナヤの丘の記念複合施設

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 アレクサンドル庭園から、「ポクロンナヤの丘」(お辞儀が丘)の記念複合施設(The Memorial Complex on Poklonnaya Hill)へ来るには、青い路線の地下鉄アルバート駅(Arbatskaya Metro Station)まで歩き、そこから3駅目の勝利公園駅(Park Pobedy)で降りる。長い散歩への準備が必要。

 記念複合施設が開設されたのは、戦勝50周年記念の1995年。大祖国戦争中央博物館の前にある中心遊歩道「戦争の年」は、噴水設備で飾られている。5年の戦争は5ヶ所のテラスで表され、その上で戦争が続いた週を意味する225本の噴水が吹きあがる。

 ポクロンナヤの丘(勝利公園)には、珍しい軍事技術品や工学・防備構造物の屋外展示場がある。戦いに参加した、ソ連とその同盟国、ナチスドイツとその同盟国の兵器サンプルが、300点以上展示されている。また、この公園は楽しい娯楽施設でもあり、暖かい季節には夜の散歩に最適である。

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