ペテルブルクの夏は、観光シーズンの真っ盛り。地下鉄駅「アドミラルテイスカヤ」の前では、小ざっぱりしてはいてもかなり風変わりな身なりの高齢の男性が、多くの客引きの中でひときわ目を引く。彼は、観光ガイドが身につける鮮やかな黄色のチョッキではなく、古いジャケットにだぶだぶのズボンにぶかぶかのオーバーシューズという出で立ちである。ちょっと猫背で、白髪の顎鬚の下には「ヴャチェスラフ・ロマノヴィチ・ラスネル」と記された名札が下がっている。
「観光ガイドになる前は、地理の教師をしていました」と過去を振り返るラスネルさんは、案内のための資料を、インターネットで探すのではなく、マヤコフスキー記念図書館で見つけており、「あそこには、『ペテルブルク学』というコーナーがあり、司書の方たちが、顔馴染みの私に必要な本を薦めてくれるのです」と語る。
ヴャチェスラフ・ラスネルさん=ユーリア・ティスリョーノク撮影
ラスネルさんは、ネフスキー大通りの左側、エルミタージュの旧参謀本部の角で、ガイドを始める。観光客たちが傍らを通り過ぎるが、一つの傘に身を寄せる私たち三人の乙女は、一番地についての話に耳を傾ける。ペテルブルクの目ぬき通りの中ほどに久しく佇んでいた白樺林、女帝エリザヴェータ・ペトローヴナの冬の宮殿、その辺りの建物が平屋だった頃に住んでいた人などの話に。
ラスネルさんは、気紛れな天気など意に介さない。なにせ、6年も路上で生活していたのだから。住まいの問題が持ち上がったのは、共同住戸(コムナルカ)の自室で20匹以上のペット(猫と犬)を飼っていた2000年のこと。それらの動物は、地区裁判所の決定に基づいて保護施設に引き渡されることになっていたが、飼い主は、ペットたちと別れることができなかった。そこで、友人は、自分の住戸で居住登録をするように勧め、ラスネルさんは、2010年までそこで暮らしていたものの、不動産業者らに騙されて路頭に迷うことになった。ときには、愛犬たちに身体を暖められながらアスファルトの上で眠ることも。その後、或る2月の晩に、慈善団体「ノチレーシカ(木賃宿)」のボランティア、スヴェトラーナ・コーチナさんが、彼に救いの手を差し伸べた。
現在、ラスネルさんは、その年金生活者の女性の部屋数一つの住戸のキッチンで寝起きしている。本人は、コンピュータがまったく扱えないので、「ノチレーシカ」が、彼の活動のピーアールに乗り出した。現在、「ラスネルさんとの漫ろ歩き」を勧めるSNSのグループのメンバーは、すでに4千人を超えている。そして、名物ガイドは、厳しく身を律し、晩の8時に就寝して早朝に起床している。
観光シーズンには、ラスネルさんは、9時、12時、15時の一日三度、ガイドを行っている。料金は、一人当たり500ルーブル(約8ドル)。当人は、溜め息まじりに「人気が出すぎるのも、困りものです。自分はアラン・ドロンじゃないと、みなさんに言っているのですが」とこぼす。
ユーリア・ティスリョーノク撮影
現在、ラスネルさんの友人で年金生活に入るまで聖イサアク大聖堂のガイドをしていたリュドミラさんという女性が、2人で「デュエット」できるようにネフスキー大通りの左側の観光コースを準備しつつある。「ノチレーシカ」は、同時通訳を学んでいる女子学生がすでに見つかり、彼女がラスネルさんの案内を外国人に通訳する、と伝えている。「ラスネルさんとの漫ろ歩き」の参加者は、通常2~3人だが、一度に10人が予約するケースもある。地元の音楽ショップは、そうした場合に備えてスピーカーを彼にプレゼントしたという。
エクスカーションが終わる。ラスネルさんは、ささやかな謝礼をカードで預け入れるためにキャッシュディスペンサーまでゆっくりと歩を運ぶ。乙女らが、友だちにも勧めていいですかと最後に訊くと、年金生活者は、少しくたびれた様子で「もちろん、いいとも!」と応える。
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