サンクトペテルブルクの宮殿広場(11月4日)=
AP通信「あなたはどのように人々を慰めているのですか」とよくきかれます。 私は玩具を失くした子供を慰めることはできても、子供を亡くした母親を慰めることはできません、と答えています。なしうることは、喪失とそれが取り返せないものであることに気づかせてあげることです。
航空機事故が起こり、若い女性が遺体確認にやってきました。墜落機には彼女の夫君が乗っていました。女性は三人目の子供を身籠っていました。
彼女と私は法医学鑑定用死体安置室の扉の前にたたずんでいました。彼女は遺体の確認に行くべきかどうか、難しい局面でした。
航空機事故の遺体の状態はさまざまです。この家族がやってきた時、未確認の遺体が数体だけ残っていましたが、三体は焼け焦げて目視では識別不能であり、一体は、顔だけ損傷を被っているほかはすべてそのままでした。
遺族には写真や遺留品で故人を確認した場合には、確認に行かない権利が認められています。
その事例では、目視での確認には故人の兄弟が行くので、その女性は行かなくてもよかったのですが、彼女は「私も行きたい」と言いました。男性たちは立ちはだかりました。
彼女と私は何時間も言葉を交わしました。彼女は泣いていませんでした。彼女は一方では強くて自制心のある女性であり、他方では夫の死を認めることができないのです。私は彼女と一緒に確認に行こうと判断しました。
彼女は夫君に近づき、別れの言葉、愛の言葉、言いたかったすべてを告げるのでした。その後で、彼女は、泣きはじめ、私にこう言いました。「今まで霧に閉ざされていたのが、これですっきりしました」
心理学の専門家は泣く女性と黙する男性がいるとしたら、後者を自分の対象に選びます。なぜなら、支えが必要なのはそうした男性だからです。彼は、はたからは平静に見えても、 実は、胸が張り裂けそうなのです。
私たちは、できるかぎりすべてのものを追跡しようとしています。すべてがうまくいくわけではありませんが、その人が少し楽になったことを知らせるマーカーのようなものがあります。
例えば、その人がこちらを見て「 とても大変なお仕事ですね」と言うような時に。つまり、注意の焦点がずれて、その人は、隣人に目を向けたのです。
私たちはこの道のプロですが、共感もすれば同情もする生身の人間です。人々に同情したり共感したりするにしても、一線を越えてはなりません。そうでないと、自分がもう一人の悲しむ者となってしまいます。
隣りにいなくてはならないのは、泣いている専門家ではなく、これから生きていく力と可能性を一緒に見つけられる強い人なのです。
私たちの仕事の特徴は、本人が自分の悲しみを自覚してそれに堪えはじめられるようにその人の感情に働きかけることにあります。
始まりのあるものには終わりがあり、悲しみにも終わりがあります。その人にとって大切なのは、とてつもなくつらい時期も、いつかは終わりを告げることを知っていることなのです。
*「プラブミル・ルー」記事の抄訳
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