ニジネヴァルトフスク工場で組み立てられた最初のタトラのトラック
Aleksei Shchukin/TASSタトラはチェコスロバキアで1942年から製造されたトラック・シリーズだ。このトラックは第二次世界大戦が終わって間もない1948年にソ連の道を走り始めた。最初のモデル、タトラ111はナチス用に作られていたが、このトラックが重要な役割を果たしたのはむしろ第二次世界大戦後、欧州やソ連での建設作業や復旧作業の現場においてだった。このトラックのエンジンは強力で、8~10トンの貨物を牽引できた。
タトラ128やタトラ148といった後のモデルはソ連でさらに人気を得た。ソ連は1969年以降約25000台のタトラ148を輸入した。おそらくオフロード走行性能が優れていたことがソ連で評価された理由だろう。
1950年代、欧州の技師らはトラック生産に新技術を導入した。車室がエンジンの上にある構造だ。こうすることで車室は大きくなり、運転手の視界も広くなった。
ソ連で大変な人気を得たこうしたトラックの一つが、1957年から1985年までチェコスロバキアで生産されたシュコダ・リアズ706 RTTNだった。
このトラックは30年近くソ連に供給され続けた。『コーカサスの女虜、もしくはシューリクの新しい冒険』(1967年)や『ガソリンスタンドの女王』(1963年)などの映画にも登場した。
チェコスロバキアで生産されたこのトラックは、ソ連ではアクセスの難しい場所での移動式研究施設として用いられた。空冷6気筒ディーゼルエンジンを搭載していた。短いボンネットで外見はどこか不格好だが、オフロード走行性能が高いことが主な強みだった。
このトラックは1957年からハンガリーで製造され、ソ連やその他の社会主義諸国に輸出された。D450は4気筒95馬力のディーゼルエンジンと空気ブレーキを持っていた。この記事のリストの中で最もスタイリッシュなトラックかもしれない。
ソ連ではこのトラックは移動式工房や輸送車、ソ連各地の地方自治体の公益事業車として用いられた。
ポーランド製のこのトラックは、1960年代末にソ連に輸入された。主に移動式工房として使われた。内部の設備は豊富で、用途に応じて作業台や手動プレス機、ガス溶接機、研削機などを搭載していた。
東ドイツは1965年にルートヴィッヒスフェルデ工場でIFA W 50の生産を始めた。このトラックは1980年代にソ連に輸出された。最大5トンの貨物を運ぶことができた。IFA W 50は6.5リッターの125馬力ディーゼルエンジンを備えていた。
東ドイツの小さな工場で製造されたこのトラックは、1980年のモスクワ・オリンピックの直前にソ連に輸入された。小型トラックは2トンの貨物しか運べなかったが、最高速度は時速60キロメートルだった。
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