プロペラを動力源としてスキーで走るアエロサン(「空気橇」の意)は、ロシアの広大で果てしない国土に最適だった。この種のスノーモービルが地上で最も寒い国で最初に生まれたのは当然と言えるだろう。
アエロサンは1903年、航空機エンジンを橇に載せて試験をした際に偶然生まれた。技師の一人セルゲイ・ネジダノフスキーがこの組合せを気に入り、世界初のアエロサンの特許を取ったのだ。
このマシンの主な役目は、貨物輸送、郵便配達、軍事作戦の参加だった。
アエロサンは雪に覆われた大地を長距離移動するのに最適だった。自動車よりも速く、飛行機よりも遥かに低コストで済んだ。
第二次世界大戦中、ソビエト軍は機動アエロサン特殊部隊を編成し、味方の軍を支援したり、単独の部隊として作戦に臨んだりした。
NKL-16は貨物や上陸部隊を輸送し、また郵便配達にも利用された。アエロサンは、乗員に加え、牽引車に乗った20人のスキーヤーを牽引することができた。
1942年、より先進的なNKL-26が登場した。NKL-16とは異なり、この新モデルは装甲が改良されており、7.62mmデグチャレフ機関銃を搭載していた。アエロサンの乗員は操縦士兼整備工と車長兼射撃手の2人だった。
第二次世界大戦後、新しいセーヴェル2(北-2)アエロサンが旧式のNKL-16に取って代わった。GAZ-M20「ポベーダ」のフレームをベースに作られたこのマシンは、航空機用のAI-14エンジンを搭載していた。しかし、このマシンは試験を重ねるうち欠点が明らかとなり、プロジェクトは終了した。
1960年代、より馬力の強いKA-30アエロサンがデビューした。最大8人の乗員を乗せて時速100キロメートルで走行することができた。KGB用に開発されたモデルはさらに強力なエンジンを搭載しており、車体を広げることで座席の数も増えていた。
A-3アエロサンは、おそらく最も興味深い運命を辿ったモデルだ。宇宙飛行士らの捜索に用いられ、ソビエトの指導者レオニード・ブレジネフの個人用狩猟車両として活躍し、世界で最も野心的な映画作品の一つ『戦争と平和』(1967年)の撮影に使用された。
今日アエロサンは、ロシアに加えて、カナダやノルウェーなど北方の国々の多くで生産されている。
とはいえロシアは主導的なアエロサン生産国であり続けており、実にアエロサンの9割がロシアで開発・生産されている。