信じ難いことだが、この104歳の船は、正式にロシア海軍に所属しているだけでなく(それだけなら、1797年に建造された帆走フリゲート「コンスティチューション」だって、いまだにアメリカ海軍の現役艦であるが、実質的には記念艦だ)、積極的にその役目を果たしている。1912年に海軍救助船「ヴォルホフ」(現在の名称はコムーナ)として着工し、翌年、進水式を行い、1915年にはバルト艦隊に加わっている。
この船の設計は実際ユニークなものだった。サンクトペテルブルクのプチロフ工場(現キーロフ工場)が使用していた特殊鋼のおかげで、船体は、進水から一世紀経つ今日まで完璧な状態にある。残念ながら、鉄鋼生産のこの方法は、ロシア革命と内戦の混乱のなかで失われてしまった。
ヴォルホフは自ら戦闘を行うようには設計されておらず、武装されていなかった。このカタマラン(双胴船)の主な任務は、潜水艦の救助。開放水域でのサルベージ活動である。
第一次世界大戦中、ヴォルホフは、バルト海における潜水艦の水上基地としての役割を果たし、最大で10本の魚雷と燃料を運んだ。また、60人の水兵に宿泊施設を提供できた。
ヴォルホフに救助された船のなかには、ロシアの潜水艦「AG-15」(非常な時化のなかでの作業だった)とバルス型「ユニコーン」がある。また1919年にフィンランド湾でソ連の駆逐艦、ガヴリールおよびアザルドと交戦して沈んだイギリスの潜水艦「HMS L55」を、1928年に引き揚げた。
1922年、この船は「コムーナ」(英語の「コミューン」)に改名され、その名は、ソ連崩壊後もそのまま残った。第二次世界大戦中は、この船は潜水艦の修理の拠点としての役割を見事に果たし、ソ連のM型(マリュトカ級)潜水艦にドックを提供した。
1967年以来、コムーナは、クリミア半島セヴァストポリの黒海艦隊に配属。乗員は23人から41人に増やされた。
コムーナは合計150隻を引き揚げているが、潜水艦だけが救助・引き揚げの対象ではない。1977年には、水没した戦闘爆撃機「Su-24」を引き揚げている。
もちろん、時の流れはこの船にも優しくはなかった。今日、コムーナは、絶えず革新と現代化を続けなければならない。船には、最大水深1kmの物体を探査できる遠隔操作型無人潜水機「Saab Seaeye Panther Plus」が装備されている。また、1914年に船に贈られた古いピアノも、修復、調律されて、また弾けるようになった。
コムーナは、円熟の境地で老境を楽しんでいるといえる。だが、ロシア海軍のプロジェクトのなかにはもちろん、これほどの幸運に恵まれなかったものもある。