電子機械工場「クーポル」、イジェフスク市
ドミートリー・エルマコフ撮影水曜日の真昼間。駐車場は一杯で、雪が黒ずんでいる。10mほど進むと入り口があり、その中には誰もいない。壁は薄紫色と空色で、天井は低い。静まり返っていて、天井の古い蛍光灯がパチパチいうのが聞こえるほどだ。ATMが二つあり、ときどきツナギを着た人が現れる。私と彼らの間には、チェックポイントと、狭い回転式セキュリティゲートがある。
最近、ウドムルト共和国・イジェフスク市(ウラル山脈西側にあり、モスクワから1200km)にある電子機械工場「クーポル」が、PRツアーを開始した。つまり、ジャーナリストを「秘密の」工場に入れて、「秘密のベール」を持ち上げてみせるのだが、この産業ツアーは、まだまだソ連的伝統の克服の途上にある。ソ連的伝統は、かりにそれが必要でなくても、隠せるものは何でも隠すというものだった。
さて、ここでセルゲイさんが登場。やせぎすのブリュネットで、ジーンズにジャケットという格好で、革靴を履いている。この工場は特別に管理されていて、まだ一人の外国人ジャーナリストも来ていないという。彼はセキュリティサービス担当だ。
通路がロシア人ジャーナリストで一杯になると、彼はすぐにその権限を示しにかかった。「ロシア・バイアスロン協会がここに何の用があるんです?スポーツ紙の『ソヴェーツキー・スポルト』も…。だいたいここは、スポーツとは何の関係もありませんよ。いや、あなたがたは入れません」
セルゲイさんは、納得いかないという風に両手を広げる。こうして、チェックポイントの向こうに、2人の女の子が取り残された。他の連中は、さっさとその女の子のことを忘れて、重い鉄扉の中に入った。
2交代制で、24時間勤務。交代ごとに作業内容が変わる。
ドミートリー・エルマコフ撮影内部は、金属特有の重苦しい匂いがする。一握りの小銭が発するような匂いだ。鉄製のラックの向こうには、作業員のテーブルがあるが、座っている者はわずかだ。ほとんどの人が、サッカー場二つ分はある、巨大な格納庫風の工場に分散している。ぶ厚いガラスの向こうに、工作機械があり、金属部品に何かの溶液をかけている。
「この場所では金属加工をやってますが、ここでは何も撮影しないでくださいよ」とセルゲイさんは言う。
その先に別のドアがあり、それからもう一つ、さらにもう一つのドアがある。さあ、その先に、「軍事パレードのセンセーション」、「国際航空ショーMAX-2017の目玉」が、ずらりと2列に並んでいた。分解された短距離防空ミサイル・システム「9K332 トールM2」だ。
ワイヤー、金属板、ねじ、ボルトがあちこちに散らばっている。 作業員は、外科医さながらに、開き、取り出し、ひねり、戻す。ゆっくりと、ほとんど瞑想的に。
「今、担当者を連れてきます」
作業員は、外科医さながらに、開き、取り出し、ひねり、戻す。
ドミートリー・エルマコフ撮影その担当者が速足でやってきた。がっしりした体格で、背は低く、常にニコニコしている。ダーチャ(別荘)の気のいいおじさんみたいだ。軍事技術よりは、村で道でも聞きたくなるようなタイプかも。
「ここの工場にはいつでもトールがあって、私はこの機械とともに一生を過ごしてきました。もう35年です。トールが開発されたとき以来で、それからずっとその近代化をやっているわけです。国防省が特別な注文者で、海外にも輸出してます。2交代制で24時間勤務です」。アレクサンドル・チルコフさんはこう説明し、車両部分から外した、「北極圏仕様」のトールM2を見てほほ笑む。「今年、赤の広場で、5月9日の戦勝記念日のパレードでこれを披露したときは、クマが描かれていました。これがそのときのトールですよ。どうです、“別嬪”でしょうが」
アレクサンドル・チルコフさん
ドミートリー・エルマコフ撮影防空ミサイル・システムについて、59歳のチルコフさんは、まるで人間であるかのように語る。「こいつを知るのは長い時間がかかる」、「いろんな面から、生涯をかけて、“彼女”の生活を知ってきた」、「こいつといると退屈することがない」云々。
チルコフさんは、自分については、「調整者」だという。つまり、午前8時に来て、作業の課題を各所に分配し、装置の設定を監督する。設定の監督というのは、製品用のデバイスを持って、あちこち歩き回り、試験室に「別嬪」を送ることで、そこで、+ 50Cの酷暑、- 50Cの酷寒や強振動のもとでの動作を確かめる。
「この防空ミサイル・システムは、低空・低速のターゲットに動作するように設計されています。つまり、いちばん認識しにくい目標物ですね。これが最も難しい目標なんです。何かが鳥のように、地上を飛んだり、森の上を飛んだりするとしよう。それは実際、鳥かもしれないけど、敵かもしれない」
システム一基の値段はどのくらいか、という質問に対しては、防空ミサイル・システムの値段はいつでも交渉で決まる、輸出される場合でもそうだ、という返事だった。その値段の幅はすごく大きいことがあるという。チルコフさんは、「まったく正直な話」、値段は知らないと請け合った。
工場内の大きなバナーには、「完璧な技術は信頼できる防御」と書かれている。チルコフさんが工場「クーポル」で働いてきた全期間のなかで、はっきり状況が悪かったのは一度だけ、連邦崩壊後の1990年代だという。「注文はなかったが、何とか我々は持ちこたえたよ」とチルコフさんは、吐き捨てるように言った。
工場内の大きなバナーには、「完璧な技術は信頼できる防御」と書かれている。
ドミートリー・エルマコフ撮影近くを警備担当のセルゲイさんが通り過ぎていく。彼は頭を左右に振り振り、トールの間に散ったジャーナリストたちを探している。
「秘密はぜんぶ話しちゃったよ」と、チルコフさんは彼をからかう。
「ぜんぶ?」
セルゲイさんは笑うが、何となくひきつったような笑い方だ。もっとも、秘密漏洩を心配することなんて何もなかったのだが。
チルコフさんは、軍関係者らしく、慎重に言葉の重みをはかり、答える前に一呼吸置く。例えば、スパイ、およびスパイへの恐怖について聞くと、こんな答えが返ってきた。「スパイなどいなかった。私に協力してくれという提案があったかって?そんなものはなかったよ。誰かが同僚たちに何かしゃべらせようとした?いや、そんなこともなかった」
また、我々ジャーナリストは彼とこんな会話を交わした。
「どんな親しい人間にもしゃべれないことってありますか?」
「うん、あるよ」
「そういうのって辛くないですか?」
「いや、ぜんぜん。しゃべらんだけのことさ。一生ここにいようとするなら…」。ここで彼はちょっと言葉に詰まったが、「しゃべる理由なんてないさ」
チルコフさんにはモットーがある。「余計なことはしゃべるな。それが肝心なことだ」。これはマントラみたいなものだ。
工場「クーポル」で、はっきり状況が悪かったのは一度だけ、連邦崩壊後の1990年代だ。
ドミートリー・エルマコフ撮影
チルコフさんは、技術系の大学を終えるとすぐに、工場「クーポル」にやって来た。ソ連時代の慣行では、派遣されるところで働けということだったから。工場は、イジェフスクだけでも20以上ある――パイプ、冶金、鋳造、セラミック、プラスチックなどなど。
「大学卒業後の就職先は、工場しかなかったんだ。この街の歴史はすべて工場と結びついている。ウドムルト共和国は遠隔地で、その点は理想的だった。他には何もなかったからね。小さい街だ。たぶん、ここ30年間まったく同じ状況だよ。人口は約65万人。うちの先祖は革命後にここに住むようになり、皆工場関係の仕事をしている。私も、私の子供たちもね」
防空ミサイル・システムの値段はいつでも交渉で決まる、輸出される場合でもそうだ。
ドミートリー・エルマコフ撮影「じゃあ、35年間、他の仕事は一度もやってみたいと思ったことはないんですか」
チルコフさんは、そう思ったことはあると言った。その仕事のほうが払いも良かったし、と。でも、イジェフスクの街が彼を引き留めたのだという。ここには、子供も孫もいる。自分の家もある…。「なにしろ生粋のイジェフスクっ子だからね」。実際、彼は自分の仕事が好きなのだ。
チルコフさんは、技術系の大学を終えるとすぐに、工場「クーポル」にやって来た。ソ連時代の慣行では、派遣されるところで働けということだったから。
ドミートリー・エルマコフ撮影「一つだけ夢がある。旅行することだよ。年金生活に入ってからも、さらに5年間、どこの資本主義国にも出国できないんだ。つまり、ヨーロッパ全体が自分には閉ざされてるってことだな。でも、旅行は大好きなんだけどなあ。紅海に行ったときはエライものを見たよ。いや、すごいの何のって!ウツボにも触ったんだけど、後でユーチューブにアップロードしたよ」
チルコフさんの目は輝き、『不思議の国のアリス』のチェシャ猫のような笑みを浮かべた。そして、トールの前で、そのウツボはこんなにでかかったと両手で示した。その間にセルゲイさんは、やっと全員をひとまとめにすることができた。
我々は再び、第133番工場を通った。金属加工をやっていたところだ。ところが今は、わずか1時間経っただけなのに、もう撮影していいという。
「何か心残りはありませんか?」と、何かじっと考え込んでいる顔つきのチルコフさんに筆者は聞いてみた。
答えはすぐに返ってきた。
「あるよ」。返事はそれだけだった。ところが、録音を切った後で、彼はこう付け加えた。個人的な心残りなんかより大事なものがあると。
世には、暴力を全否定する思想がある一方で、鉄拳なき善などありえないという考え方もある。彼は、どうやらそういうモットーの持ち主で、この工場全体がそれに乗っかっていると思っているようだ。
「スパイなどいなかった。私に協力してくれという提案があったかって?そんなものはなかったよ。誰かが同僚たちに何かしゃべらせようとした?いや、そんなこともなかった」
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