アントノフは消えるのか

アントノフは消えるのか

アントノフは消えるのか

Igor Kostin/RIA Novosti
 世界最大の輸送機の生産で知られる、伝説的なソ連のアントノフ設計局(現在はウクライナのアントーノウ記念航空科学技術複合体〈ANTK アントーノウ〉)は、ロシアとウクライナの関係の緊張のあおりで、生産が激減している。こうした状況を受けて、ウクライナ政府は、アントノフ社を解散することに決めた。 アントノフの将来はまだ明らかではないが、エンジニアは、別の会社に移ることを約束されている。ロシアNOWは、ソ連の歴史の一部をなす、同社の最大の業績を振り返りたい。

An-6、南極観測基地、1967年=G. コポソフ/ロシア通信An-6、南極観測基地、1967年=G. コポソフ/ロシア通信

 この伝説のソ連の航空機設計局は、1946年の第二次世界大戦終了直後にシベリアで設立され、1952年にはキエフに移された。

オレグ・アントノフ、1974年=ワシーリー・マリセフ/ロシア通信オレグ・アントノフ、1974年=ワシーリー・マリセフ/ロシア通信

 ソ連の航空機設計者、オレグ・アントノフが、設計局の最初の主任設計者であった。彼が1984年に死亡したとき、その名が社名に冠せられた。

An-24=セルゲイ・プレオブラゼンスキイ/タス通信An-24=セルゲイ・プレオブラゼンスキイ/タス通信

 An-24は、ターボプロップ双発旅客機のレジェンドで、1962年に就航。いまだに世界の航空各社で使われており、航続距離は最大で1000 km。これまでに合計1300機以上が生産されている。

An-12からのパラシュート降下、1967年=A. ポリカシン/ロシア通信An-12からのパラシュート降下、1967年=A. ポリカシン/ロシア通信

 An-12輸送機は今年で60歳になった。“高齢”にもかかわらず、依然運用されている。長年、An-12とその先輩であるロッキード C-130 「ハーキュリーズ(ヘラクレス)」は、世界で最も数多く運用されてきた輸送機だった。前者は、パラシュート部隊と軍の装備の大量運搬を容易にするソ連最初の飛行機となった。

An-22「アンテーイ」、モスクワの赤の広場で行う戦勝記念日軍事パレードのリハーサル中、2014年=アレクサンドル・ヴィリフ/ロシア通信An-22「アンテーイ」、モスクワの赤の広場で行う戦勝記念日軍事パレードのリハーサル中、2014年=アレクサンドル・ヴィリフ/ロシア通信

 An-22「アンテーイ」は、ターボプロップ輸送/旅客機で、そのユニークな特徴は、遠隔地のあまり整備されていない滑走路、設備の整っていない空港でも離着陸できることだ。

宇宙船「ブラン」を積載したAn-225「ムリーヤ」=イーゴリ・コスチン/ロシア通信宇宙船「ブラン」を積載したAn-225「ムリーヤ」=イーゴリ・コスチン/ロシア通信

 An-225「ムリーヤ」(ウクライナ語で「夢」を意味する)は、世界最大の輸送機の1つで、たった1機のみ製造された。貨物の積載可能重量を含む、200以上の世界記録をもっており、約50台の車両が飛行機の内部に収まる。An-225は胴体の外にも貨物を積むことができ、宇宙船「ブラン」(ソ連版スペースシャトル)さえ運べる!

An-124 「ルスラーン」に搭載されたスホーイ・スーパージェット100、2014年=マリーナ・リシツェワ/タス通信An-124 「ルスラーン」に搭載されたスホーイ・スーパージェット100、2014年=マリーナ・リシツェワ/タス通信

 An-124 「ルスラーン」は、量産された機体としては世界最大の輸送機であり、民間と軍用の両方で使用されている。最も高い評価を得た、人気ある輸送機の1つで、最大880人の完全装備の兵士を運ぶことができる。

An-74 =ロシア通信An-74 =ロシア通信

 厳しい北極条件に耐えるように造られた輸送機An-74は、-60°Cの低温で、雪で覆われたあまり整備されていない滑走路でも運用できる。この機体は、漂流ステーションを設置、支援し、流氷のモニタリングや漁業用の調査などを行うためにも使用される。

テストパイロット ウラジーミル・トゥカチェンコ、1986年=ヴァディム・デニーソフ/ロシア通信テストパイロット ウラジーミル・トゥカチェンコ、1986年=ヴァディム・デニーソフ/ロシア通信

 軍用輸送機An-32は、輸出専用に設計され生産された唯一のソ連の航空機だった。 酷暑のなかでも(最高50°C)飛行することができ、インド、イラク、アンゴラ、コロンビアなどで運用されている。

An-2、ウズベク・ソビエト社会主義共和国、 1967年=E.ヴィルチンスキイ/ロシア通信An-2、ウズベク・ソビエト社会主義共和国、 1967年=E.ヴィルチンスキイ/ロシア通信

 ソ連崩壊以来、アントノフ設計局は、ロシアと協力しており、2011年から2015年までは、ロシアの「統一航空機製造会社」(ロシアの主要な民間機・軍用機メーカーを統合して設立された国策企業)との合弁事業の一部をなしていた。

An-70、 航空宇宙サロン「アヴィアスヴィットXXI」にて=マリーナ・リシツェワ/タス通信An-70、 航空宇宙サロン「アヴィアスヴィットXXI」にて=マリーナ・リシツェワ/タス通信

 しかし、ウクライナとロシアの関係が緊張し、輸送機An-70の生産が中止され、それをロシアの空軍に組み込む計画もとん挫した。

An-225、1989年=イーゴリ・コスチン/ロシア通信An-225、1989年=イーゴリ・コスチン/ロシア通信

 ロシアとの軍事協力が“急降下”した後、アントノフ社は危機に陥った。

新型のAn-132Dのプレゼンテーション、キエフ、2016年=Vostock-Photo新型のAn-132Dのプレゼンテーション、キエフ、2016年=Vostock-Photo

 その結果、多くのウクライナの専門家とエンジニアがロシアに移ったが、アントノフ社はまだ新たな可能性を模索している。同社は、ロシア製航空機部品を2017年末までに、海外の類似の製品に置き換える予定だ。

もっと読む:ソ連の宇宙往復船ブランを探して>>

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