オレシャ・クルリャエワ/ロシア新聞撮影
「彼はロシアの歴史を創った」
プリマコフ氏逝去の報は、既にプーチン大統領にも伝えられた。「大統領は、プリマコフ氏の近親者、および氏を知る人すべてに深い哀悼の念を表した」大統領報道官ドミトリー・ペスコフはこう伝えた。報道官によれば、大統領はプリマコフ氏の知己であい、同志でもあったという。「プリマコフ氏はまさしく国家的人物で、学者でもあれば政治家でもあり、巨大な足跡を残した」と報道官は付け加えた。
「プリマコフ氏が亡くなった。傑出した政治家であり、ロシアの歴史を創った」。アレクセイ・クドリン元財務相(2000~2011年)はツイッターにこう書き込んだ。
また、日系の女性政治家・実業家で閣僚と下院副議長を務めたイリーナ・ハカマダ氏は、ロシアNOWに対してこう述べた。「私にとってプリマコフ氏は巨大な権威だった。初めは、政府の仕事を通じて知り合い、その後は、同時期にともに下院議員を務めた。豊かな経験と叡智の持ち主で、誠実で筋を通す人だった。政府に厳しく反対する野党の立場に身を置くことはなかったが、自分の真実を貫いた。亡くなられたことは本当に残念。大人物だった」
ハカマダ氏によると、ロシア対外情報庁の初代長官として、諜報活動の経験も豊富で、「飛行機をUターンさせたうえ交渉する練達の外交官」であったが、「常に経済問題にも関心をもち、問題点を理解していた」という。1999年にプリマコフ氏の補佐官を務め、現在は独立系の経済評論家、政治家であるミハイル・デリャーギン氏は、ロシアNOWにこう回想した。「プリマコフ氏は、あの破局的な1998年のデフォルトの後、政府を率い、文字通りロシアを救った」
プリマコフ氏と同時期(1999~2003年)に下院議員、下院副議長を務めた ゲンナジー・セミギン氏は、ロシアNOWへのインタビューのなかで、こう哀悼の意を表した。「プリマコフ氏は、最も清廉、誠実で、見識あるロシアの指導者の一人だ。ロシアの発展のために大きな貢献をなした真の愛国者だった」
プリマコフ氏の死を悼み、下院では一分間の黙祷を捧げた。また、ニコライ・レヴィチェフ副議長は、氏の功績を称え、モスクワのルビャンカ広場(ロシア連邦保安庁の本部がある)に記念碑を建立することを提案した。
大西洋上の外交
エフゲニー・プリマコフ氏はロシア有数の中東・アラブ問題専門家で、ソ連時代の1977~ 1985年に東洋学研究所所長を務めている。80年代末にソ連最高会議連邦会議議長、91~96年にロシア対外情報庁の初代長官。99年、外相を務めていた時、歴史に残る伝説的な「大西洋上のUターン」を行った。NATO軍によるユーゴスラビア空爆開始の報に接し、米国訪問を急遽取り止め、大西洋上にあった特別機にUターンしてモスクワに帰還するよう命じたもの。後にプリマコフ氏は再三、露米関係に言及した。「もし、露米が新たな冷戦に滑り落ちていったら、誰の利益にもならない。そういう事態を防ぐためには、残念ながら、現在盛んになっている外交レトリックを止めねばならない。これは自明のことだ」
ロシア外交のターニングポイントをなし、「多極世界」構築のために、大西洋優位主義を拒否した。今日、ロシアのメディアは、プリマコフ氏についてこう評価している。首相を退いたのち、氏
は短期間、2000~2001年に下院議員、その後は10年間、ロシア商工会議所会頭の職にあった。
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