アレクセイ・マルガヴコ撮影/ロシア通信
CFE条約は「政治的、実践的観点から無意味」になってしまったとして、ロシアは離脱を発表した。北大西洋条約機構(NATO)のイェンス・ストルテンベルグ事務総長は、ロシアの決定にNATOは失望したと述べた。
重火器保有数の制限を定めるCFE条約は1990年、NATO諸国とワルシャワ条約機構の加盟国によって調印された。1999年にCFE条約調整版が承認された。NATO拡大を考慮に入れながら、NATO加盟国の制限が引き下げられた。ロシアには国内北西部とカフカスでのより多くの兵器保有が許された。
ロシアはCFE条約調整版を2004年に批准。しかしながら調整版に調印した30ヶ国のうち、続いて批准したのはベラルーシ、カザフスタン、ウクライナの3ヶ国のみであった。ロシアは2007年、条約の活動を停止。完全に離脱したのは今回が初めてである。
専門家は今回のロシアの決定と、ウクライナ情勢を受けて生じた状況を関連付ける。
ロシア科学アカデミー世界経済・国際関係研究所国際安全センターのアレクセイ・アルバトフ所長は、ロシアNOWの取材に対し、ロシアのこの動きは「NATO拡大がロシア国境に迫っていることに対するけん制のジェスチャー」ではないかと話す。アメリカ軍が9日、ラトビアに戦車を陸揚げしたことを受けて、ロシアはこの条約にはもはや参加していないことを「今一度認識させ」ようとしているという。「機甲旅団戦闘団の派遣は、CFE条約の文言でなくとも、少なくとも条約の精神への違反に他ならない」とアルバトフ所長。
アルバトフ所長によると、2004年にNATOに加盟したバルト三国にも戦力制限が定められると予測されていたが、CFE条約にも、その調整版にも、バルト三国のことは書かれなかった。
ロシア国際問題会議のアンドレイ・コルトゥノフ事務局長も、CFE条約離脱を西側諸国へのシグナルと考えている。NATOがロシアの国境付近で軍事的積極性を見せていることに、ロシアは不快感を持っていて、このような形で伝えようとしているのではないかという。
CFE条約調整版はバルト三国に言及しておらず、さらにNATO加盟国の戦力制限をロシア軍の戦力制限の3倍に設定している。それでもロシアはこれを批准した。だがこの時、NATO諸国はCFE条約調整版を批准しなかった。
グルジア、アブハジア、南オセチア、沿ドニエストルからのロシア軍撤退を定めた、いわゆる1999年イスタンブール協定をロシアが実施することを、NATOは条約批准の前提条件とした。だがロシアは、グルジアとモルドバが署名した軍撤退に関するこの協定が二国間協定で、CFE条約には無関係である点を指摘しながら、不自然な関連付けであると言っていた。
「NATO諸国は(ロシア軍の撤退を要求する一方で)CFE条約調整版の批准を急がなかった。ロシアはほぼ全軍を撤退させたものの、ごく小規模な部隊と施設は残った。西側はイスタンブール協定に言及し、ロシアに完全な撤退を求めながら、自分たちの戦線を追加しようと試みた。NATOにとってこれは極めて近視眼的だったと思う。これは大きな間違い」とアルバトフ所長は述べながら、NATOが結局ヨーロッパの普通の戦力の管理体制を「つぶした」と締めくくった。
安定と安全のレベルをいかに回復させるのかについての具体的な主導的提案が、ロシアのCFE条約離脱に伴わなかった点に、専門家は注目する。
「何かを拒むのであれば、問題への新たな解決策を提案することが必要だし、その方が公正である」。コルトゥノフ事務局長はこう指摘しながら、ロシアの離脱の仕方では、反ロシア的なムードが余計に高まってしまい、西側諸国がますます懐疑的になるのではないかと述べた。
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