イギリスのマーガレット・サッチャー元首相が8日、脳卒中で死去した。写真はサッチャー元首相の家の前に、ロンドン =AP通信撮影
「鉄のカーテン」の向こうから「鉄の女」
サッチャー氏が「鉄の女」と呼ばれるようになったのは、ソ連国防省機関紙「赤い星」に1979年1月24日に掲載された、軍事ジャーナリストのユー リー・ガヴリーロフ氏の論文がきっかけだ。ガヴリーロフ氏はサッチャー氏を「ジェレズナヤ・ダマ(鉄の女)」と形容し、イギリスの週刊新聞「サンデー・タイム ズ」が翌日、これを「アイロン・レディー(鉄の女)」と翻訳して、広く知られることとなった。個人的に交流のあった人々は、強く決断力のあるカリスマ、と いう世間のイメージそのものの人だったと回想する。
サッチャー首相(当時)は1987年3月、ソ連ジャーナリストのトーマス・コレスニチェンコ、ウラジーミル・シーモノフ、ボリス・カリャーギンのテレビ・インタビューに応じ、この様子がソ連中央テレビで放映された。
衝撃のインタビューと花瓶のエピソード
ロシアのジャーナリストであるアレクサンドル・アルハンゲリスキー氏はこう思い出す。「非ソ連圏の政治家が、ソ連の政治評論家のテレビ・インタビューに 答えたということで、大変な反響があった。現在では当たり前のことになっているが、西側の首脳がはっきりと、自由に、そして明るく質問に答えるということ が、当時は月か火星の話を聞くぐらい驚異的なことに思えた」。
実際にインタビューを行った、元ソ連テレビ・ラジオ政治評論家のボリス・カリャーギン氏は、その時のエピソードを明かした。ソ連とイギリスのメディアが収 録前に殺到し、大混乱となったために、大きな花瓶がサッチャー首相に向かって倒れてしまったのだという。「花瓶の中に水は入っておらず、植物がさしてある だけだった。サッチャー氏は怒ることなく、かわいく微笑んで、これをジョークにした。とてもおもしろい女性だった。魅力的な笑顔で皮肉を言った。場が和ん だよ」。
強烈なカリスマ性とオーラ
サッチャー氏と長年交流のあったボリス・ネムツォフ元副首相はこう話す。「サッチャー氏はとても正直で、主義主張を曲げない人だったから、翻意させるこ となどできなかった。このような人は他に知らない。私有、法の重要性、民主主義を信じ、国家の無限の権勢を信じなかった」。
ロシアの野党政治家であるウラジーミル・ルイシコフ氏も、サッチャー氏と何度か会っており、同様の印象を語る。「強いカリスマ性があり、すぐに自分に 注意を向けさせることができる。肩書に関係なく、これができてしまう。偉大な権力と人間的な強さを感じさせるからだ。きゃしゃな女性だったが、鋭く突き刺 すような視線、有名な髪型、堂々とした態度などで、権威のオーラが出ていた」。
ネムツォフ元副首相によると、サッチャー氏はソ連からロシアへの変革に、特別な感情を抱いていたという。「ロシアの生活に純粋に興味を持っていた。ロシ アとイギリスは過去に帝国だったという共通点があるが、イギリスはこのコンプレックスをすでに克服しており、ロシアはこれから克服することになる、と話し ていた」。
サッチャー氏は政治的洞察力を発揮しながら、ペレストロイカ前にミハイル・ゴルバチョフ書記長(当時)を無条件で支持していたと、ルイシコフ氏は話 す。サッチャー氏の評価があったからこそ、ソ連の変革に対する西側諸国の支持を受けることができ、結果的に冷戦と軍備拡張競争の終結が実現できたのだ。
「ゴルバチョフが有望な指導者であると最初に察知したのがサッチャー氏。そして『この人となら仕事ができる』という有名な発言をした」とカリャーギン氏は話す。
ゴルバチョフ氏を丸め込み、ソ連崩壊へ?
それでも、ゴルバチョフ書記長(当時)に及ぼしたサッチャー氏の影響が、すべて肯定的に評価されているわけではない。「サッチャー氏は、ロナルド・レー ガン氏と並ぶ、20世紀末の大物政治家の一人として、ソ連との競争でも、共産政権との闘いでも、西側は正しかったとの声明を発表していた。この立場を固持 しながら、ゴルバチョフ氏との関係を築いていった。そしてゴルバチョフ氏からサッチャー氏に歩み寄る方が圧倒的に多かった。したがって、ソ連崩壊に及ぼし たサッチャー氏の影響は、非常に大きかったと言える」と、ソ連崩壊を否定的に評価する、政治学者で歴史学博士のヴャチェスラフ・ニコノフ氏は話した。
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