「ロシア的魂」とか「ロシア的精神」とか言うけど:本当に何か特別なものはあるのかな?

Dmitry Feoktistov/TASS
 「ロシア的魂」は神秘的で、広く、強い…とか言うが、本当かな?そんな観念を思いついたのは誰だろうか?それは他の魂、精神とどう違うというのか?

 「神秘的なロシア的魂」は、たぶんロシアに関する記事やガイドに最も頻繁に出てくるものの一つだろう。この魂を発見すべく、ライターたちはふつう、クレムリンや、「ネギ坊主」のドームをもった教会がある古都を散歩する。そういう場所では、民族衣装を着たホストがキャビアをのせたパンケーキ(ブリヌイ)をご馳走してくれる。

 しかし、こういう牧歌的な画像を取り去るとどうなるか?それでも「ロシア的魂」はあるのか、それとも、これもまたロシアについてのお決まりのステレオタイプなのだろうか?

 

「ロシアの魂」なる観念を思いついたのは誰か?

 この観念は、19世紀以降のロシアの古典的な文学作品のおかげで、外国でも知られるようになった。最初にこれを発信したのは、ロシア最高の詩人アレクサンドル・プーシキンだろう(彼の韻文小説『エフゲニー・オネーギン』のヒロインは、「ロシア的魂」をもつタチアーナだ)。

 作家フョードル・ドストエフスキーもこれについて語っている(長編『白痴』に「ロシア人の魂は暗い場所だ」という言葉がある)。

 そして哲学者ニコライ・ベルジャーエフはそれを発展させた(「ロシアの大平原のように、ロシア人の魂には、無限への広大無辺の憧れがある」『ロシア思想史』)。

 さらに、イワン・トゥルゲーネフ、レフ・トルストイ、ニコライ・ゴーゴリ、アントン・チェーホフなど、ロシア最高の作家たちが、ロシア的魂について考察している。いや、実のところ、ロシア文学の「黄金時代」のほぼすべての作家がこれに関して考えている。

 しかし、「ロシアの魂」への関心が本当に高まったのはソ連時代だ。すなわち、新しい国が世界地図に登場し、いったい今どんな人たちがそこで暮らしているのか、外国人たちが理解しようとしたときである。

 第二次世界大戦後の「鉄のカーテン」の出現と「資本主義の西側」からのこの国の孤立により、途方もない神話がやたら沢山生まれた。たとえば、ロシアの誰もがウォッカを飲み、バラライカを弾き、野生のクマが通りを歩いているという(確かに、クマが通りに出てくることは時々あるが)。

 そもそも、ソ連のツアーオペレーター自身が、この広大な国を巡る外国人の旅をできるかぎり「ロシアっぽく」して喜んでいたようだ。観光客は、モスクワ近郊の古都群「黄金の環」の古代、中世の建築などを見せられるのが常だった。

 サンクトペテルブルク(当時はレニングラード)の豪華な宮殿と、モスクワの「ネギ坊主」を戴いた正教の教会…。外国人観光客たちは、レストランでボルシチとパンケーキを食べ、ロシア民謡と民族舞踊を楽しんだ。

 こういう事情もあって、ソ連を訪れた人々は、見ることを許されたものと言われたことだけを記憶したのである。その言われたことのなかには「ロシアの魂」も含まれていて、これはロシアのブランドみたいになったが、実のところ、これは悪いことではなかった。

 

読者たちはどう考えているか?

 我々は読者に、「ロシアの魂」なる特殊なものがあると思うかどうか尋ねてみた

 すると、彼らのほとんどはまだ「ロシアの魂」を信じていることが分かった。彼らはそれが存在する根拠として、ロシアの古典を引用する…。ところで、我々の読者がお気に入りの作家を引用するのを見ることができて最高だ!

 「ドストエフスキーの愛読者なら誰でも、神秘的な『ロシアの魂』について知っている。『カラマーゾフの兄弟』は、門外漢への、ロシアの魂に関する最良の入門書になると思う」。クナル・ガングライさんは書いている

 「私にとって、『ロシアの魂』とは、ロシア人同士が感じている絆であり、すべてのロシア人の魂をつなぐ、共有された歴史、物語、神話、文学だ。それは、『罪と罰』のヒロイン、ソーニャや、『アンナ・カレーニナ』の男性の主人公レーヴィンの優しさに似たものだが、『白痴』のムイシュキン公爵のような無邪気さもあり、また、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老のようにちょっと神秘的でもある」

 「謎に包まれた『ロシアの魂』には、次のような特徴がある。愛情深さ、思いやり、人間味、他者の尊重、優しさ、多少の奇妙さと迷信深さ、教養の深さ、騎士道精神、神秘性、多少の暗さ、寛大さ、そしてスリルと冒険を好むこと」。モハメド・ラフィさんはこのように列挙する

 ペティ・ステファノフさんは、ロシア人を、すべてかゼロかの「最大主義者」と呼ぶ。「ロシア人は、物事をすごくうまく、最高に、完璧にやってのけるか、すごくまずくやるかの両極端だが、全体として、それは互いにバランスが取れている。私はそれがとても好きだ」。彼はこう書いている。「これが私にとってのロシア精神」

 サンドラ・ヴァシッチさんは、「ロシアの魂」をこう説明した。「仲間に温かく親切に接するが、見返りに何も求めない。そして不可解な謎めいたところがある」

 もちろん、「『ロシアの魂』などという特別なものは存在しない」とか「不思議な魂はいたるところにある」など、さまざまな反論もあった。

 

「ロシア的魂」は…本当にロシアに特有のものか?

 興味深いことに、今日では、「神秘的なロシアの魂」という固定観念を「解体」する外国人が増えている。そして、彼らの論拠はなかなか深い。第一に、人間は十人十色である。第二に、ロシアには、ロシア人だけでなく、200以上の民族が住んでいる――。

 そのうちの一人は、ドイツ人作家のイェンス・ジーゲルトさんだ。彼は、モスクワに30年近く住み、ロシアを心から愛している。

 「誰もが『神秘的なロシアの魂』について語るが、そんなものはない!ドイツ人、フランス人等々の魂についても、同じように安直に話すことができる。どの国にも、独自の国民性とメンタリティーがある。『ロシアの魂』という概念は、個々のロシア人を平均化し、彼らの複雑さと多様性を均してしまう。言ってみれば、年間の平均気温を示し、極端なケースを無視するようなものだ」。彼はこう言う。

 イギリスのジャーナリスト、オリファント・ローランドさんも彼に同意し、ロシアは「とてつもなく広大な国」であり、さまざまな人々がさまざまな地理的、文化的、社会的条件のもとで生活していると指摘する

 「『ロシアの魂』という観念の主な難点は、それがいったい誰に正確に当てはまるのか不明だということだ」。彼は書いている。彼の考えでは、全体の傾向として、今後数十年以内に、この観念は時代遅れになり、忘れ去られるだろうという。

 さて、あなたはどう考えるだろうか?

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