テニスの全米オープンで、2021年9月12日、ロシアのダニイル・メドヴェージェフ選手がノヴァク・ジョコヴィッチ選手を破り、グランドスラム初制覇を決めた。
ジョコヴィッチは、52年ぶり史上3人目となる年間4大大会(全豪、全仏、全英、全米) 制覇を狙っていたが、メドヴェージェフはこの偉業を阻止した形となった。
メドヴェージェフは主要選手になるまでの長く苦しい道のりを経て、ようやくグランドスラムでの初優勝を果たした。以下にメドヴェージェフ選手に関する10の事実を紹介しよう。
メドヴェージェフはテニスクラブに入るまでにさまざまな活動を行っていた。両親は幼いメドヴェージェフを水泳選手にしようと考えたが、うまく行かなかった。その後、テニスに目覚めるまでは、本人の希望でチェスクラブと絵画教室に通っていた。
7年生で数学学校に入学し、14歳になるまで授業には完全な形で出席していた。これも世界の主要選手の中ではかなり珍しいことである(プロの選手は通常、トレーニングに多くの時間を割くため、学校に通う時間を短縮した特別プログラムで授業を受けている)。
メドヴェージェフはモスクワの国際関係大学にも入学した。しかし1年間学んだ後、プロのテニスプレーヤーの道を選んでいる。
18歳になったとき、フランスに移住し、カンヌにあるエリートテニスセンターでトレーニングを開始した。そこで出会ったジル・セルヴァラコーチが、メドヴェージェフを現代のトッププレーヤーの1人に育て上げた。
メドヴェージェフがプロテニスプレーヤーとして大きく飛躍したのは2016年。この年にランキング順位を232上げ、グランドスラム大会でプレーするようになった。
メドヴェージェフは2017年1月、チェンナイ・オープンでATPツア初の決勝進出を果たし、世界的に知られるようになった。当時まだ20歳であった。
この大会の直後、メドヴェージェフは数週間の入院を余儀なくされた。伝染性単核球症にかかったためである。この病気は唾液で感染することから、「キス病」とも呼ばれる。
この病気により、ATPファイナルズで勝利することができなかった。
メドヴェージェフはグランドスラムの中でも最大規模の大会の1つを制し、雑誌フォーブスが選ぶ「もっとも成功しているロシア人(40歳以下の部)」で上位40人入りを果たした。
最近の好成績を受けて、メドヴェージェフはBMWとの契約を2024年まで延長し、フランスのアパレル・スポーツ用品ブランド「ラコステ」との間でも2026年までの契約を結び直した。またメドヴェージェフはスイスの高級時計メーカー「ボヴェ」、フランスのテニスラケットメーカー「テクニファイバー」、ロシアのチンコフ銀行ともスポンサー契約を締結している。
フォーブスによれば、これらのスポンサー契約では、テニス大会での勝利に際し、毎年1,180万ドルが提供されることになっている。
メドヴェージェフはスポーツカーとスピードを出して運転するのが大好きである。2020年8月にはモナコで時速163キロを出し、運転免許証を取り消されている。
ダニイル・メドヴェージェフ選手と奥さん、2020年
Getty Images女性ファンにはがっかりかもしれないが、メドヴェージェフは3年前に結婚している。2017年に同じくテニスプレーヤーのダリヤさんに求婚し、2018年9月12日にモスクワで結婚した。
メドヴェージェフはテニスプレーヤーとしての生活と私生活を切り離すべく努力している。インスタグラムのアカウントでも、ソーシャルメディア全般においても、夫人をタグ付けしたり、写真を投稿したりしていない。 夫人の旧姓も未だ不明となっている。
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