東京2020パラリンピック大会で金メダルに輝いた主要なロシア人選手5人

ロシア・ビヨンド, Lintao Zhang, Dean Mouhtaropoulos, Kiyoshi Ota/Getty Images
 四肢障害を抱える者、脳性まひの診断を受けた者、知的障害を持っている者・・・。ここで紹介するアスリートたちは、パラリンピック東京大会で金メダルを獲得しただけでなく、世界新記録を樹立した。勝利を手にしたすべてのパラリンピック選手たちを祝福し、輝かしい活躍を見せたロシア人選手の一部を紹介しよう。

1. ドミトリー・サフロノフ(陸上競技)、両下肢に中等度の障がいがあるクラスの男子100㍍、200㍍で金メダル獲得

 25歳のドミトリー・サフロノフはニジェゴロド州出身の脳性まひの選手で、子どもの頃は歩くのも困難な状態であった。脳性まひの診断を受けながら、母親のエレーナ・サフロノワさんは、幼いドミトリー選手を陸上教室に連れて行った。エレーナさんは、スポーツによって、サフロノフ選手は社会に適応し、多くの困難を克服することができたと話している。

 2016年、サフロノフ選手は、欧州選手権の短距離走で金メダルを獲得。2020年のパラリンピック大会運動機能障がいの部門の100㍍と200㍍を制し、その両方で世界記録を打ち立てた

 サフロノフ選手は、2度目の勝利のあと、タス通信からのインタビューに答えた中で、「すべてが霧の中の出来事のようでした。覚えているのはスタートし、ウクライナの選手に追いつき、コーナーを曲がってゴールしたことだけです。走っているとき、そばに誰もいないと分かり、勝利したと両手をあげました。でもわたしはいつもそうなのですが、ゴールを目指すことだけを考え、他のことは何も考えません。ゴールの瞬間は自分で記録を塗り替えたことに対する喜びと誇りを感じます」と語っている

2. ミハイル・アスタショフ(自転車競技)、運動機能障がいのクラスで世界記録を樹立

 ミハイル・アスタショフは、両手両足を持たずに生まれた。両親がミハイルの親権を放棄したため、ミハイルは4歳までブリャート共和国の孤児院で、その後はリハビリセンターで育った。16歳になったとき、両親がミハイルを親権を取り戻し、ブリャート共和国で両親と暮らすようになったが、2016年にトライアスロンのウラジーミル・アルィポフコーチのトレーニングを受けるため、エカテリンブルクに引っ越した。このときまでにミハイルは数年にわたり水泳をしていた他、バドミントンやバレーボールの経験もあった。

 2018年、ミハイルはパラトライアスロンの国際大会IRONSTARで優勝し、また障がいを持つアスリートのための水泳大会ロシア杯では100㍍自由形で複数回にわたって優勝、さらにパラトライアスロンのロシア杯でも勝利を収めた。

 2020年、アスタショフはあるとき、フードデリバリーのアルバイトをした。義足を使って移動することで、新しい出会いに対する恐怖に打ち勝ち、障がいに対する偏見をなくすため戦おうと決意した。

  e1.ru.からのインタビューの中で、ミハイルは「通りを歩いていると、よく指をさされます。でもわたしは自分が“制限された人間”ではなく、やりたい仕事をして、なりたい職業に就けるということを証明したいのです」と語っている

 2021年5月、アスタショフは障がいを持つ人々のための自転車競技のロシア選手権で勝利を収め、 パラリンピックでは金メダル2個を獲得。3000㍍パーシュートでは世界記録を打ち立て、その後、16㌔のロードレースでも優勝した。

 アスタショフは「神と家族、そして、このメダル獲得の道でわたしに関わり、わたしと共に歩いてくれた皆に心から感謝しています。(中略)今後も、わたしの人生で出会うすべての人々にインスピレーションを与えるべく努力していくつもりです。 なぜならヒーローはわたしたちの中に存在し、誰もがそのヒーローになることができるからです」と述べている

3.エヴゲーニー・トルスノフ(走り幅跳び)、運動機能障がいのクラスでパラリンピック記録樹立

 エヴゲーニー・トルスノフは1990年にペルミ地方で生まれ、脳性まひと診断された。 脳性まひでありながら、小さいころからコンピューター技術に熱中し、2014年にペルミ大学コンピューターセキュリティ学科を卒業。大学卒業の1年前に陸上を始め、運動機能障がいを持つ人々のための大会に参加するようになる。

 トルスノフは世界選手権で2度にわたり優勝。その他の国際大会で銀メダル、銅メダルを獲得している。2016年6月に5,93㍍を跳び、世界記録を塗り替えた。パラリンピック東京大会では5,76㍍という記録を出し、パラリンピック新記録を樹立した。

 トルスノフは勝利後のインタビューで、「今日勝つことができてとても嬉しい。とても幸せです。(中略)これはコーチと一緒に出すことができた成果であり、2人の協力によって得られたものです」と語った。 

4. ワレリヤ・シャバリナ(水泳女子)、知的障がいのクラス、100で世界記録樹立

 26歳のワレリヤ・シャバリナはチェリャビンスク生まれ。知的障がいを含むいくつかの診断を受けているが、5歳からフィギュアスケートと新体操を始める。7歳で医師から、足の筋肉の痙攣を治すために水泳を勧められ、このリハビリが生涯の大きな趣味となる。

 2015年の時点でシャバリナはすでに2度世界チャンピオンの座に就き、 3度ヨーロッパチャンピオンになった。東京大会では100㍍バタフライ、200㍍自由形、100㍍背泳で、3個の金メダルを獲得。この大会で最初に出場したバタフライでは63秒50というタイムで世界記録を打ち立てた

 勝利後のインタビューでは、「この大会では自分自身に5点満点をつけたい。一番大変だったのは200㍍自由形です。非常に強い競争相手がいたからですが、でも勝てました」と喜びを表した

5. デニス・グネズジロフ(砲丸投げ)、低身長(130㌢以下)のクラスで2つの世界記録樹立

 34歳のデニス・グネズジロフは、幼いころから運動をしていた他の選手とは異なり、19歳になってからスポーツを始めた。グネズジロフはソチのスポーツクラブで入場者の監視係をしていたが、パワーリフティングに興味を持つようになったことから仕事をやめ、スポーツにより多くの時間を割くようになった。友人を通じて、ロシア陸上の功労コーチであるニコライ・コロトコと出会い、パワーリフティングのトレーニングを行うようになったが、大会で思うような結果が出なかったことから、砲丸投げへの移行を勧めた。

 デニスはロシア選手権を何度も制し、2019年には世界選手権で金メダルに輝いた。

 パラリンピックでは、最初の試技で11,02㍍を記録し、世界記録を樹立。最後の試技の前に、イラクのガラ・トナイアシュが11,15㍍を出し、金メダルの可能性は失われたかと思われたが、結局、グネズジロフが11,16㍍という世界新記録を出し、金メダルを手にした。

 タス通信からのインタビューに応じたグネズジロフは、「最後の試技は技術的には正しかったとは言えませんが、 とにかく全力で投げ、全力で叫びました。(中略)毎日、寝る前に、“自分がチャンピオンだ。東京に行って、金メダルを取るんだ”と口にし、メモにもずっとそう書いていました」と述べている

 グネズジロフは今後もスポーツを続け、2024年のパラリンピックパリ大会に出場したいと考えている。

 「ここで気を抜くことなく、さらにトレーニングを積まなければなりません。現在34歳ですが、自分はまだ25歳のように感じています。コンディションを保ち、鍛え続けます。そしてパリに行きたいと思います」と意気込みを見せた

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