ロシアのコロナウイルス感染者たちの隔離生活とはどういうものか?

個人アーカイブ
 ある企業の対外協力部長、プロデューサー、そしてアマチュアサッカー選手が、コロナウイルス(COVID–19)感染症患者として、病院でどのような日々を送ったのか、隔離生活とはどのようなものなのか語っている。

 3月27に現在、ロシアでは1036人のコロナウイルス感染者が確認され、38人がすでに回復した。一方、モスクワの感染者は703人となっている。

マリヤ・ドルゴレンコ(46)、対外協力部長

 わたしはオーストリアにスキーに行き、2020年3月8日に帰国しました。その日の夜に37.6度まで熱が上がり、医者を呼びました。家に来た医者は、わたしの粘膜組織を採取しました。翌々日、その医者がもう一度訪ねて来て、再び粘膜を採取しました。そういう決まりなのです。そして次の日、電話があり、検査の結果が“気に入らない”とのことで、救急車を派遣するのでそれに乗って病院にきてくださいと言われました。同居する未成年の子どもがいるかどうかと訊かれたので、11歳と17歳の息子がいると答えました。そこでわたしと2人の息子が病院に連れて行かれることになりました。

 病院に着くやいなや、たくさんの検査が行われ、抗生物質を処方されました。子どもたちは抗ウイルス薬を飲まされました。検査の結果については何も教えてくれませんでした。食事はけっこうよくて、廊下から特別なケースの中に入れられ、わたしはそれを病室の中から取り出すという仕組みになっていました。外界との接触はまったくありません。医師らは全員、防護服に身を包み、外に出ている部分はありません。

 検査を受けてから8日目になって、わたしはようやく、わたしと子どもたちがコロナウイルスに感染していることを知らされました。

 わたしは子どもも感染していると知って、驚きました。家の中では感染防止を徹底していましたし、タオルもカップもスプーンもお皿も自分だけのものを使っていましたから。それに部屋を出るときはマスクをしていましたし、手もしょっちゅう洗っていました。蛇口やドアノブもアルコール消毒もしていましたが、それでも子どもも感染していたのです。

 わたしは最初から、子どもとは別にしてもらうよう頼んでいたので、わたしたちは同じ病院にはいるものの別の病室にいました。子どもたちには症状はまったくなく、今も出ていません。今は電話でのみ話をしています。

 病院での隔離生活でもっとも辛い日は日曜日です。日曜日は普通の日よりも静かで、朝ご飯が終わって、まだお昼ご飯のことも考えられないとき、とにかく何をしたらいいのか分かりませんでした。

 そこで体調が良くなってくると、わたしは体操をするようになりました。最初は呼吸体操です。最初はやり方が分かりませんでしたが、YouTubeの動画を見て、懸命にその真似をしていました。それから腕立て伏せをしました。知的好奇心を満たしてくれるものと言えば、読書と映画鑑賞で、ついに「パラサイト」を観ました。

 入院してから数日後、医師がわたしに、病院ではコロナウイルスの検査のためのセンターを作ったと話してくれました。それまで検査結果はノヴォシビルスクに送られていたので、結果が出るのに時間がかかっていたのです。

 かわいそうだったのは、自分より、医師や看護婦の方です。動きにくい服を着て、マスクは塩素消毒をするので、目からいつも涙が出ていました。

 入院して3週間経ち、わたしも子どもたちも基本的に回復したのですが、退院するにはコロナウイルス検査で2度、陰性になる必要があるということで、今その結果を待っているところです。

 治療が終わる頃、2人の男性がやってきて、ハンマードリルを持ってきて、なぜか空気照射・再循環器を取り付けました。

 男性たちは、「休日の間に、17階と18階でこの装置を設置したけれど、そこにはもう感染者はいません」と言いました。

 「みんなどこに行ってしまったのか聞きたくないけど」とわたしは尋ねました。

 彼らは大声で笑いました。もうとにかく早く家に帰りたいです。 

ヴィタリー・ミローノフ(33)、外国企業の社員

 わたしと妻は3月10日にバルセロナから帰国しました。空港ではなんのチェックもありませんでしたし、検温もしませんでした。何事もなくパスポートコントロールを通過し、空港から外に出ました。

 3月13日になって、38.3 度の熱が出て、鼻水が出ました。すぐにロシア消費者権利および福祉監督庁のホットラインに電話し、救急車を呼びました。救急車の中では検査をされましたが、救急車はそのまま帰っていきました。15日になって、コロナウイルス検査の結果、陽性だったと知らされ、その日のうちに病院に連れていかれました。しかし妻は陰性で、彼女は自己隔離していましたが、昨日から外出しても良いと言われています。

 病院での最初の1週間はなんの治療も行われず、ただ横になっているだけでした。食事をし、テレビを見て、スカイプで英語の先生と話し、友達とチャットしたりしていました。3月22日にリバヴィリンという薬が与えられました。C型肝炎によく使われる薬ですが、その服用量は通常の5倍で、1日2錠のところ、10錠も飲みました。看護婦でさえ、その量を見て驚いて、慌てて当直の医師のところに確認しに行きましたが、なんの間違いもないそれで正しいとのことでした。

 病院にいる人々は皆、メッセンジャーのチャットを使って、この問題について話し合っています。現在このチャットには90人が参加しています。このチャットに参加している患者たちは、薬を2錠飲んだだけで背中が痛くなり、倦怠感が出たり、目が乾燥したりすると訴えています。しかもこの薬を飲むと、その後半年間、避妊をしなければならないのです。しかしわたしと妻は子どもが欲しいと思っているのです。

 これを理由に、わたしは薬を飲まないことにしました。月曜日になって、担当の医師が出勤してきましたが、わたしの症状は良くなってきているので、薬は飲まなくてもいいと言ってくれました。その代わりにアルビドルを飲むよう勧めてくれました。しかしまだ飲んでいません。自分でも回復したと感じるからです。体自体がコロナウイルスを撃退してくれたのだから、それを邪魔する必要はないと思ったのです。 

 3月24日、コロナウイルスの検査をもう1つしたのですが、その結果が陰性であれば、29日にさらにもう1つの検査をして、そちらも陰性と出れば、退院できると言われています。早く妻の元に戻りたいと思っています。

マリヤ・ムヒナ(27)、プロデューサー

 わたしは外国で行われている技能アップのためのトレーニングを受けているので、ヨーロッパをよく旅行しています。そこで、もちろん、ヨーロッパのどこかでウイルスに感染するかもしれないと心配していました。ベルリン国際映画祭では、会場で誰かが咳やくしゃみをするたびに、他の人たちは恐怖を感じていました。それでわたしたちはロンドンに行きました。ロンドンではそれほど恐ろしい状態ではないように感じられました。パブもやっていたし、ミュージカルも通常通り上演されていました。マスクをしている人もおらず、ただ手指消毒液だけはあちこちに置いてありました。

 しかしロンドン滞在ももう終わりという頃になって、トレーニングのプログラムは中止となったので、帰国するようにと言われました。それで必死で帰国する方法を探し始めました。切符を買いましたが、フライトはキャンセルされ、あるとき、もうこのストレスに耐えられないと思いました。乗り換えのヘルシンキで、熱が上がりました。わたしは神経的疲労のせいだろうと思っていました。

 モスクワのシェレメチェヴォ空港に着いたのは3月17日。飛行機の中では、全員が体温を測らされましたが、わたしはそのときには熱は下がっていて、アンケート用紙に書き込むよう言われました。特殊な衣服を着た職員たちは退屈そうでした。アンケートを持って、「検査官」のところに行き、検査して欲しいと言いました。喉と鼻の粘膜を採取され、隔離されました。

 3月22日まで自宅待機していました。時が経つにつれ、急性呼吸器ウイルス感染症の症状のもっとひどい状態となり、夜に救急車がきて、コムナルカにある病院に収容されました。検査で陽性になったとのことでした。病院に着いてからもう一度検査され、寝るようにと言われました。

 22日から23日にかけての夜中に熱が38.4度になり、ひどい咳が激しく続き、顎が外れるんじゃないかと思うほどでした。そんなわけで夜も眠れず、唾の中に血が混じっていないか常にチェックしていました。首にあるのは、喉ではなく、肉のかたまりのような感じがしました。

 それで我慢できなくなり、スタッフを呼ぶ赤いボタンを押しました。愉快そうな看護士たちが点滴をしてくれることになりましたが、針を入れるのがとても痛くて、気を失うかと思い、泣きながら、もう何もしてくれなくていいと言いました。

 朝になって、同じ看護士たちがやってきて、体温を測ると、37.6度に下がっていました。次の日、ずっと寝たり起きたりしていました。咳をすると痰ばかり出るようになりました。

 3月23日、コロナウイルスに感染しているだけでなく、肺炎が引き起こされていると言われました。夜になって、抗生物質とアジミトリツィンでの治療が始まりました。看護婦や医師たちも気にかけてくれるようになり、しょっちゅう様子を見にきてくれたり、Wi-Fiを繋いでくれたり、室温調整もしてくれると約束してくれました。病室はとても蒸し暑かったのです。

 今日、3月24日、朝6時に2回目の点滴をし、咳は落ち着いてきました。

 体温は37度ですが、ひどい倦怠感と体力の低下を感じ、ずっと寝ていたい感じで、座るのも辛い状態です。医師は高熱が出たせいで、中毒症になったのだと言っていました。食欲もありません。

 わたしは肉や乳製品を食べないので、自分が食べられない食事はテーブルの上に残しています。病院の食事に、わたしの好き嫌いを考慮することはできないと言われました。すべて計算されているからだと。幸い、家族や友人がフルーツを届けてくれるので、楽になりました。しかし病院で出される野菜料理はとてもおいしいです。食事はすべて密閉された容器で出され、食器もカップも使い捨てです。

 正直言って、まだ映画を見たり、本を読んだりする元気はありませんし、座ることさえままなりません。1日に点滴を3回受けています。調子がよくなればすぐにでもオンラインのレッスンを聴講したいと思っています。仲間はみんなもうオンラインレッスンを始めていて、授業を逃したくないのです。

ダヴィド・ベロフ、アマチュアサッカー選手で、モスクワ初のコロナウイルス感染者 

 2020年3月1日、ロシア消費者権利および福祉監督庁はモスクワで初めてとなるコロナウイルス感染者を確認したと発表した。感染者であるロシア人のダヴィド・ベロフはイタリアから帰国したばかりであった。ベロフは隔離生活と検査について、インスタグラムの中で次のように綴っている

 「わたしが入院したのは、モスクワにある第一感染症病院の一般病棟です。そこにはいろんな患者が大勢いました。それまでわたしは家族の数人としか接触していませんでしたが、彼らは全員、病院で隔離されています。症状のある者は一人もいません。最初の検査では陰性でした。

 隔離がどのように行われるのかについては、色々と疑問があります。わたしの家族は、最初電話を受け、家で検査を行うと言われました。それで、家に検査する人がきたのですが、わたしに陽性反応が出たので(といっても、そのときはそれを知らされていませんでしたが)、警察と一緒に感染症病院に運ばれ、病室に入れ、扉を閉められました」。

 3月5日、ベロフは3回目の検査を受け、コロナウイルスに感染していることが確認された。

 「血液ではなく、唾液の中で見つかりました。よく見えなかったため、長いこと確定できなかったと言われました。治療は対処療法で行われました。つまり、症状が出ればそれを抑えるというものです。わたしの場合、まずは軽い咳を治しただけで、あとは問題ありませんでした。熱ももう随分前に下がっていました。概して、気分も悪くありませんでした」とベロフは書いている

 3月7日、ベロフは退院した。のちにベロフはインターネット新聞Lenta.ruからのインタビューに対し、病院での対応や体の状態についてこう語っている

 「病院ではとてもよく対応していただきました。非常によく気にかけてもらいましたし、看護士たちも同情してくれました。(中略)わたしは単なる風邪だと思っていたんです。基本的に、いまでも、何の病気だったのかよく分かりません。コロナウイルスの検査では陰性だったのですから」。

 ベロフによれば、今は仕事にも復帰し、母親は祖父母のいるクリミアで静養しているという。ベロフ自身、コロナウイルスには気をつけなければならないと確信している。

 「このウイルスについてそれほど心配する必要がないとは言えませんし、言うつもりもありません。わたしの場合はこれで済みましたが、全員がそうとは言えないのです。わたしを見て、安心する人もいるかもしれませんが、ただ今回は、わたしの免疫がウイルスよりも強かっただけです。しかし概して、わたしたちの体に何が潜んでいるのか知りません。わたしたちの周りにはさまざまなウイルスや細菌があり、その中のどれにいつ遭遇し、その結果がどういうものになるのかは誰にも分からないのです」とベロフは締めくくっている

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