私と彼女は2020年1月、モロッコ行きのチケットを購入した。その時は、コロナウイルスによるパニックは特になく、3月6日にセヴァストポリからモスクワへ、そしてそこからモロッコへと無事飛び立った。 帰りは、アムステルダムで乗り継ぎをして、3月17日に帰国することになっていた。
私たちはマラケシュを訪れ、砂漠へ出掛け、旅行のすべてが素晴らしいものだった。しかし、その後、フェズに到着したとき、モロッコからの全ての国際線がキャンセルされたことを私たちはすでに知っていた。 私はすぐに他のロシア人と同じように別の便を見つけようとしたが、うまくいかなかった。
そこで私はアムステルダム行きの飛行機を運営する航空会社に連絡をした。 その会社は長い間、電話やメッセージを無視していたため、連絡を取るのは困難だった。 最終的に、フライトは予定通りに飛ぶと言われたので、安心して旅を続け、カサブランカに向かった。
この時には、街全体はすでに閉鎖されていた。客が減り、悲壮感漂うハシーシの売り子だけが路上に立っていた。出発の前日の3月16日、アムステルダム行きのフライトがキャンセルされたというメッセージを受け取った。私たちはついに動揺し始め、引き上げを待ち始めた。午前中に空港のウェブサイトに見て、飛行機がまだアムステルダムに飛んでいることがわかった。すぐに空港に急いだ。人々は騒がずフライトにチェックインし、荷物を預けたが、私たちを飛行機に乗せてくれなかった。システムに何らかのエラーがあり、私たちの名前が出発リストに表示されなかったのだ。
モロッコのロシア領事館の代表の回答に非常に憤りを感じた。「全てのホテルが閉鎖され、滞在する場所がなくなったら、我々が問題の解決を始めます」。
私たちはカサブランカの4つ星ホテルに住んでおり、毎日予約を更新している。私たちはまだ営業している店で果物と野菜を買っている。一日をずっとホテル内で過ごす。しかし、私たち以外にも、市内にはロシア人がいるが、1泊50ドルから80ドルの宿泊代を払うことができないものも多い。 それにもかかわらず、安いホテルはかなり前に閉鎖されてしまった。幸いなことに、モロッコ人はロシア人を家に住まわせ、時には車で送迎してくれている。
概して、街はあまり良い雰囲気ではない。昨日、カサブランカを歩き回り、お酒を購入できる場所を探した。人の歩いていないこの都市では、通りに袋が飛んでいる。歩き回る人はほとんどいない。食料品店やATMを除き、全てが閉鎖されている。
状況は、ルーブルの下落により悪化している。このことが日に日に海外に滞在するロシア人の負担を増やしている。これまでのところまだ私はお金があるが、ルーブルが下落し続けたら、次に何をすべきかはわからない。
昨年、夫と私は冬をモンテネグロで過ごした。私たちは本当に気に入ったので、今年も同じようにすることにした。私の夫と猫のユスタスは、モンテネグロのリゾート地であるブドヴァに12月から行っていて、3月下旬から4月上旬にロシアに戻る予定だった。
数日前、モンテネグロでコロナウイルスの最初の感染が確認された。これを受けて私たちは4月10日のチケットの予約を3月21日に変更することにした。
3月18日の朝、S7航空会社は電話をかけてきて、今日最後の飛行機でモスクワに飛ぶことができると連絡してきた。喜んで乗ることにしたが、同社は説明もせずに飛行機に猫を連れて行くことを拒否した。チケットの支払いは終わっていて、確認されていたので、これは奇妙なことだった。さらに、猫は特別なかごにいるので危険はないはずだ。
私は怒って、すぐにポドゴリツァの空港に行った。そこで、モスクワへの飛行機の搭乗リストに私たちが載っていなかったことがわかった。領事館の代表者は、リストに載っている人々をまずモスクワに送り、その後「他の全ての人々の面倒を見る」ので少し待ってほしいと提案した。飛行機は私たちを乗せずに飛び去った。
モスクワ行きの次のS7便が3月21日に出発することがその後通知された。多分、私たちはブドヴァに戻らなければならない。そこは人々が普通に通りを歩き、食料も十分にある。 しかし、じきにお金はなくなり、さらにアパートの契約はすぐに期限切れになる。21日に飛行機に乗れない場合は、次に何をすべきかを考えないといけない。全てが静かになるまでここにとどまることもありうる。すぐに状況が良くなることを願っている。
私は喧噪から離れた静かな場所に一人で行きたいとずっと思っていた。私が選んだのは、フィリピンのパングラオ島だった。お金を節約し、航空チケットを購入し、一ヶ月間部屋を借りて、2月16日に一人で旅行に出かけた。私がコロナウイルスについて知っていた唯一のことは、中国で発生したということだけだった。
4月1日に帰国する予定だったが、フライトがキャンセルされたという手紙を受け取った。キャンセルされたチケットのお金は返却されなかった。航空会社は全くメッセージや電話に応答しなかった。島自体が隔離され、フェリーで空港に行くことは不可能になってしまった。
コロナウイルスのために全ての施設が閉鎖されていることがわかるまでは、全てが穏やかに思えた。夜間外出禁止令も出された。夕方、警察はどこへでも現れる。彼らの目から逃れることは不可能だ。
今ではどこもすっからかんで、人通りもない。また、全ての家の電気が遮断される可能性がある。人の間の距離は少なくとも1メートル空ける必要があり、野生の動物に餌を与えたり撫でたりしてはいけないというメッセージが常に電話に表示される。
食料品店はいくつかあるが、毎日は営業していない。いくつかATMもあるが、手数料が高すぎる。今のところ、私は数千ペソ(9500円)しか持っていないので、できる限り節約している。1ヶ月以上はここから出られないとわかっているからだ。 ここ数日間は水だけを飲んでいて、夕方に果物など軽食を食べている。時間が過ぎるのを速くするために、できるだけ長く眠るようにしている。パングラオ島は少なくとも4月12日まで隔離が延長されることになった。
世界の果てまで行ってしまったのは自分なので、自分自身でここから出なければならないことを理解している。私には腕も足もあり、何かを考えて、ここから抜け出すための選択肢を探している。後はなんとかなる。
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