ロシア人が私の人生をどう変えたか:日本人のイシジマカオリ

イシジマカオリ撮影
 書道は大好きだけれど、人に教えるのは向いてないかな。そう思っていた自分が、まさかロシアという異国の地で書道を教えて10年以上が経つなんて信じられない。期せずして、ロシアという国は私の書道人生に於いてとても大切な国になった。

プラハではじめた書道教室、そしてロシアへ

 海外で書道を教える仕事をする迄は、普通に日本でOLとして働いていた。書道は8歳の頃から学んでいて、数ある習い事の一つに過ぎなかった。一方で、習い事の中で唯一書道だけは、大人になってまで続けていた。「特に辞める理由がなかったから」続けていたのだが、実は知らない間に自分にとって書道は切っても切れない存在になっていたのかもしれない。

 2004年書道学会の事務職として働いていた私に、ひょんなことから、チェコ/プラハで書道教室をする話が舞い込んでくる。当時、書道を教えることに特に興味をもっていなかったが、1年くらい海外で外国の人と一緒に書道を勉強するのも良い経験だと思い、一念発起して日本を発った。初めての外国暮らし、そして初めての先生という仕事は苦労の連続だった。縁があって、プラハで現在の夫となる男性に出会い、結局1年で帰るはずだったプラハに4年間暮らすこととなった。

 そして2008年、夫の転勤に伴いロシアの地に足を踏み入れた。

 当時、既に少しずつ教えることが楽しくなっていた私は、ロシアでも自宅で書道教室を開くことにした。英語でさえ苦手であった私にとって、ロシア語で書道を教えるなんて大いなる挑戦であったが、私は「ロシアの人々に書道を通じて日本文化を伝えたい」という思いが強かった。

 プラハで教えていた時に、全く英語が出来ない生徒が教室に訪れたことがあった。私はチェコ語が出来なかったので、結局彼女に教えることが出来ず、彼女は数回のレッスンで教室を辞めてしまった。海外で日本文化を学びたいという意欲を持って訪ねてきてくれた人の可能性を、自分が潰してしまったと思うととても申し訳ない気持ちになった。ロシアでは同じ失敗をしないよう、ロシア語も勉強した。「そんなロシア語レベルでよく先生やっているね」と言われたこともあった。確かに拙いロシア語だが、書道を教える私の熱意を理解し、ついてきてくれていると感じている。ロシアの生徒は皆思っていた以上に真面目で、殆ど全員が辞めずに続けてくれている。

 プラハでスタートした書道教室も、今では、ロシア人に書道を教えることが生きがいになっている。実は夫は約2年半前に、仕事の関係でロシアを離れている。私は一人ロシアに残り、教室を続けることを選んだ。ロシアで書道教室をはじめてもう11年目に入った。現在は週に10コマの授業をもち、50人以上のロシア人に書道を教えている。

ロシア人から教えられたこと

 昨年自身のモスクワ生活10年を記念し、モスクワで初めて生徒たちとの合同展覧会を開いた。日本人的な価値観で、「まだ早いから」とか「恥ずかしいから」と出展を渋るだろうと思っていたら、何と、ほぼ生徒全員が出品した。展覧会以降、生徒たちのやる気も実力もアップしたことが一目でわかる。今年の1月には、六本木の新国立美術館でも、生徒の作品20点が展示された。ロシア人の「自分」を表現していくことに物怖じしない性格に、私は敬意を抱いた。

 あるロシア人の生徒が、何度言っても、座って書いてくれなかった。彼女はいつも立ちながら字を書くのだ。私は固定概念にとらわれ、何となく彼女に座るように勧めたが、彼女は頑なに「何かこの方がいい」と言った。ある日、私も立って書いてみた。そしたら何と、全く違う世界が見えてきたのだ。文字と距離を取ることで、視野が広くなり、全体のバランスがとりやすいことに気付いた。長年書道をやっていて初めての気付きだった。教えることは面白い。

 最近ロシアで新しく始めたこともある。いつかやってみたいと思っていたマラソンだ。定期的にマラソン仲間と集まって、モスクワの街を走っている。今年の3月には2回目のバイカル湖アイスマラソンに挑戦した。昨年は天候不良により大会自体が中断してしまったので、今年が初めてのハーフ完走となった。マラソンを通じて、ロシアの他の都市や大自然を目の当たりに出来たことも貴重な経験となった。大人になってからの新しい趣味に出会えたことにも感謝している。

 人に教えることは向いていない、と思っていた自分に、教えることの楽しさと、そしてその難しさを教えてくれたのがロシアの生徒たちだ。習い事としての書道を辞める理由がなくて続けてきたように、自身にとっては、この地を離れる理由を見つけられず、どっぷりつかってしまっている。人情に厚いロシアの生徒たちが私をそうさせる。

 しかし、私にも家族があるので、いつかはこの地を離れなければいけないことは分かっている。本当にこの国とこの国の人を大切に思っているからこそ、自分が離れることで、ロシアの人々が書道を学ぶ機会を奪いたくない。その為にも、将来的にはロシア人の後継者を育てたいと考えている。今後も可能な限りロシア各地で書道ワークショップやデモンストレーションを行い、より多くのロシアの人々に書道を見せていきたいと思う。

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