海外でもっとも有名なロシア人10名(プーチン以外)

Getty Images, Vladimir Vyatkin/Sputnik, Global Look Press
ここにご紹介する面々は、ロシアを遠く離れたところで畏敬の的となった。

1. グリゴリー・ラスプーチン

 「皇帝の治療者」ラスプーチンがいったい何者だったのか、恐らく誰もご存じなかろう――この人物は、シベリアから(ほとんど、どこの出か分からないのだが)ペテルブルクへ出てきて、あっという間に貴族たちの人気を得た。

 ある者たちは彼のことを、自分自身の死や革命、そして最後のロシア皇帝の死を予言した偉大な神秘家とみなす。またある者たちは彼のことを、奇跡的な治癒を施したり、貴族社会で集団的な性行為を行ったりし、皇帝ニコライ2世紀とその政策に、限りないほどの影響を与えたと付け加える。丸十年の間、この秘密めいた「修道僧」は、ペテルブルクのスキャンダラスな歴史の主人公だった。

 いずれにしても、グリゴリー・ラスプーチンは、恐らくはロシアの皇帝たちよりも世界で知られている。彼の矛盾するイメージは、映画のシナリオや歌の中で見事に描き出されている

2. ウラジーミル・レーニン

 もっとも有名なロシアの革命家ウラジーミル・レーニンは、ソ連だけでなく世界中で数百万人もの人々に崇拝されていた。何世紀にもわたる帝政を転覆させたコミュニストであり、民衆を鼓舞する理論家であり、階級を廃し、民衆の新たな構造――ソヴィエト的人間の基礎を敷いた哲学者だ。

 レーニンの遺産は、一世紀を過ぎても忘れられぬほど偉大だ:防腐処理を施されたレーニンの遺体は、今日もなお赤の広場でもっとも人気のある呼び物のひとつとなっている。一方、世界的には、レーニンは今でも、もっとも翻訳された著作の作者である(ドストエフスキーとトルストイに大きく水をあけて)。

3. マリア・シャラポワ

 世界一のテニスプレーヤーになったとき、彼女は18歳だった。現在彼女は、四大大会「グランドスラム」(全豪オープン、全仏オープン、全米オープン、ウインブルドン選手権)の制覇を視野に入れ、『フォーブス』誌の女性アスリート長者番付10位にランクインし(収入額1050万㌦)、メルドニウムの使用を認め、出場停止処分となった後、見事に復帰した。

 もっとも成功し、もっとも美しいロシア女性の一人というシャラポワの名声は、以前と変わらず生きている。20年以上アメリカに暮らし、アメリカでトレーニングを受けているにもかかわらず、シャラポワはやはり自分のことを、まぎれもないロシア人だとみなし、ロシア人たちもまた彼女を崇拝している

 「私にはロシア人の血が流れていますし、自宅ではロシア語で話しています。ふだんは自分のことをアメリカ人というよりはむしろロシア人だと思っています」。2017年には、ロシアの孤児たちのために4万㌦を寄付している。

4. ウラジーミル・ナボコフ

 「私の頭は英語で語るが、私の心は――ロシア語で、私の耳は――フランス語で話をする」と、ナボコフは自分のことを話している。ロシアとアメリカを代表する作家は、人生の大半を亡命先で過ごしたが、ロシア人たちをめぐる傑出した小説と、ロシア文学の最良の手本を世界に贈り続けた。ほぼ20年間にわたり、彼はアメリカの大学でロシアの古典文学や外国文学を教え、しばしば、最良の古典作品の意味を知的に再評価した。

 彼の『ロリータ』は、文学界にセンセーションを起こしたが、成熟した男性と12歳の少女をめぐるスキャンダラスなストーリーは、彼がノーベル賞に選ばれる妨げとなった(ナボコフは4年連続でノミネートされたのだが)。にもかかわらず、この小説は今、「モダン・ライブラリー」(歴史上世界で最良の本100冊)で第4位になっている。

5. ハビブ・ヌルマゴメドフ

 ハビブが世界的に成功したのは、先日のコナー・マクレガーとの試合で騒動を起こす前のことだ。しかし今回、ダゲスタン共和国出身のこのUFCの格闘家は、「流血のスポーツ」で世界王者のタイトルを奪い取り、「観客席」にいる者でも「素手」で殺しかねない人間だということを強く知らしめた。

 子ども時代、ハビブが誰とトレーニングをしていたかご存じだろうか?9歳のとき、ハビブ少年は熊と闘って倒したことがある(ロシアの子どもたちの過酷な生活をご存じ?)。この後、彼のトレーナーと父親は、ハビブは「何かしら」になるのではないかと確信した。 

6. ナタリア・ヴォディアノヴァ

 もっとも有名なロシア人トップモデル、慈善家、ビジネスウーマン、4人の子どもの母親であるナタリア・ヴォディアノヴァは、数多くの夢を叶えた:地方の貧しい家庭で育った少女は、瞬く間にパリのファッション界のトップに立った。

 「純潔さとセクシャリティが一体になっている!子どもでありながら大人の女性だ!」と、彼女のことをジャン=ポール・ゴルチエは言う。

 ロシアでも彼女は愛されているが、なによりもまず、彼女が社会で行っている活動が評価されている。彼女の設立した「真心財団(Naked Heart Foundation)」は、障害のある子どもたちを支援し、国内各地に彼らのためのセンターや遊び場をつくり、チャリティーマラソンを開催して、もっとも裕福で有名なロシア人たちが参加している。それでも彼女は政治にはかかわらないままだ。 

7. ミハイル・バリシニコフ

 もっとも有名なソ連の「亡命した不帰国者」の一人、バレエの振付師ミハイル・バリシニコフは、アメリカでロシアバレエの顔となった。卓越したテクニックと信じられないほどの身体能力が、彼を20世紀最大のダンサーにした。1974年のカナダ公演の際に、カナダ人の友人たちと話をし、もうソ連に戻らないことを決意した。その後アメリカに移住し、ニューヨークにミハイル・バリシニコフ芸術センターを設立。ヨシフ・ブロツキーが彼に捧げて書いた詩もあり、ライザ・ミネリも彼のことを崇拝していた。

 ミーシェ(アメリカではこう呼ばれている)はだいたいなんだってやってのけた。『セックス・イン・ザ・シティ』に出演し、ゴールデングローブ賞やオスカーにノミネートされた映画にも出演、ブロードウェーの舞台に立ち、テレビショーにも出てエミー賞を受賞している。

8. ミハイル・プロホロフ

 経済危機の最中の2009年、ロシアのビジネスマンたちが融資の乗り換え先を大慌てで模索していたとき、プロホロフは、4億9600万㌦で世界最高額の別荘を購入し、バイアスロンに数百万ドルをつぎ込んでいた。この世界的なオリガルヒは、贅沢な家々やリゾート地、模型、バスケットボール(彼は、NBAのブルックリンネッツのオーナーだ)が好きなこと、そして独身でいることで有名だ。2012年にはロシア大統領選に立候補した(3位だった)。

 現在、「ザ・レイト・ショー」のスティーヴン・コルベアのようなテレビスターを自宅に招くことのできうるロシアで唯一人のオリガルヒだ。

9. ミハイル・カラシニコフ

 ナショナルブランドで全世界に信奉者がいるカラシニコフ銃の設計者は、あるときこの世界を決定的に変えた。彼の発明は、地球上でもっとも人気のある武器となり、彼の名は世界中の国々にダントツで知られている。

 65年以上の間に、さまざまな種類の「カラシニコフ」が1億丁以上(!)も製造された。現在、カラシニコフ・コンツェルンは、伝説となった銃から、傘やスマホケースや衣類まで一切合切を製造している。

10. エヴゲニー・カスペルスキー

 2012年の『ワイアード』誌で、カスペルスキーは「世界でもっとも危険な人物」リストの第8位にランクインした――近東でのスパイ行為とイランの核問題を頓挫させるために作られたアメリカのサイバー武器を暴露したためだ。

 それ以降、多くのことが悪化した。「カスペルスキー社」を創設し、人気のアンチウイルスソフトウエアを開発したロシアのプログラマは、現在に至るまで、そのサイバー能力ゆえに恐れられパラノイアを引き起こしている。

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