勝利の象徴「ゲオルギー・リボン」:草の根の運動が国家的キャンペーンに

マクシム・ブリノフ/Sputnik
 イギリス、フランスなどでは、赤いヒナゲシの花(リメンブランス・ポピー)が、第一次世界大戦の戦没者追悼のシンボルだ。それと同じようにロシアでは、黒とオレンジの縞模様の「ゲオルギー・リボン」が、第二次世界大戦で倒れた人々の記憶の象徴になっている。これは、つい十数年前に一地方の民間のイニシアティブから始まった。それがどうして瞬く間に全国的なシンボルに変わったのだろうか?

 イギリス、フランスなどでは、赤いヒナゲシの花(リメンブランス・ポピー)が、第一次世界大戦の戦没者追悼のシンボルだ。それと同じようにロシアでは、黒とオレンジの縞模様の「ゲオルギー・リボン」が、第二次世界大戦で倒れた人々の記憶の象徴になっている。これは、つい十数年前に一地方の民間のイニシアティブから始まった。それがどうして瞬く間に全国的なシンボルに変わったのだろうか?

 「聖ゲオルギーのリボンは、私たちジャーナリストたちが発案したものだ。こういうアイデアはたぶん偶然の産物ではなかったろう。私たちは、現代の歴史と社会状況を実感しているから」。2005年にゲオルギー・リボンを発案したジャーナリスト、ナタリア・ロセワさんはインタビューのなかでこう述べた。このように彼女は、黒とオレンジの縞模様のリボンがこれほどの人気を得た理由を説明する。リボンは、ロシアの社会と国家が、第二次世界大戦の戦没者を悼み記憶し続けようとする、その努力を象徴するものとなった。


草の根のイニシアチブ

 黒とオレンジのリボンの広まり方、人気は大変なものだ。毎年、59日の「戦勝記念日」の前日と当日には、数百万のゲオルギー・リボンがロシアだけでなく他の国でも配布される。リボンは、プーチン大統領をはじめ、ロシアの高官たちも身につける。

 しかし、現在これほどの規模に達した、この運動は、わずか13年前に、国営通信社「ロシア通信」のジャーナリストたちにより、地元の草の根的なイニシアチブとして始まった。このときロシア通信は、インターネット・プロジェクト「私たちの勝利」を立ち上げていた。これは、戦争体験をもつ人々の個人的な物語で構成するものだ。ロセワさんによると、運動がどんどん勢いを増していたときに、政府当局から支援を受け始めたとのこと。

 では、この運動を始める前に、ジャーナリストが社会で実感していたこととは何か?後に彼女が説明したところによると、ソ連崩壊後の時期の虚無主義、ニヒリズムへの反動であるという。

 「(連邦崩壊後)しばらくの間、私たちは(ソ連の)過去を拒絶し、過去への憤りを感じていた。当時のロシア社会は、過去の歴史の重荷を、停滞、鉄のカーテン、貧困の時代としてくくりたがっていた。大祖国戦争(独ソ戦)と第二次世界大戦の結果もひとまとめにして。でも、ご承知のように、心と歴史の拠り所がなければ、社会が健康であることは難しい。自尊心の欠如は、人々を惨めで未熟な存在にする。このリボンは、そうした健康的な誇りの隙間を埋めてくれたようだ。リボンは、『私は記憶している。私は誇りに思う』という標語のもとで配布されている」

 

「第二次世界大戦中、聖ゲオルギー勲章はなかった」

聖ゲオルギー勲章

 しかしこのシンボルがいくら人気があっても、一部の人からの批判は免れなかった。彼らは、このイニシアチブの背後に「政策」を見てとった。

 例えば、ロシアで依然として支持者が多い共産党の党員の一部は、こう非難した。この旗を掲げて勝利した「赤旗」と同じく、共産主義に関連した勝利のシンボルを除こうとしている、と。また共産党員らは、ゲオルギー・リボンは大祖国戦争ともソ連時代とも何の関係もない(ロシア語)として、このイニシアチブは、共産主義者を狙い撃ちにしている、と言う。

 確かに、黒とオレンジのゲオルギー・リボンは、軍人最高の栄誉である聖ゲオルギー勲章の一部だ(色は火薬と炎を表す)。これは、18世紀後半のエカテリーナ2世の治世に導入され、1917年のロシア革命の後に廃止されている。だから、厳密に言えば、ゲオルギー・リボンは第二次世界大戦中には存在せず、復活したのはようやく2000年のことだ。この年、ロシアで、聖ゲオルギー勲章が再び設けられた。

 

それでも似たリボンはあった

 しかし、事はそれほど単純ではない。戦時中、1942年から、「ソビエト親衛隊リボン」という名の、同色のリボンが導入されていた。1943年に設けられた「栄光勲章」にも、同じ色のリボンが使われており、100万人を超える兵士に授与されている。

 これらのソ連軍の勲章とリボンの色は、聖ゲオルギー勲章のそれを直接引き継ぐものであったと言われている。要するに、戦争の過程でソ連当局は、ロシア帝国軍のいくつかの象徴的要素を復活させたのである。

 ほとんどの兵士が授与されたメダル(「対独勝利のために」)にも、やはりゲオルギー・リボンの色のストライプがあった。戦後、これらのリボンとその色はソ連のポスターや絵葉書で人気になった。だから、リボンが大戦中にはなかったといっても、実際にはあったわけで、ただ名前だけが「ゲオルギー」でなかった。こう言っていいだろう。

 

PR的剽窃」という非難

 さらに、こんな非難もある。ゲオルギー・リボンは、2004年にウクライナで起きたオレンジ革命に対抗して、ロシア当局によって導入されたと勘ぐる意見だ。オレンジ革命の支持者たちは、オレンジ色のリボンやマフラーなどを身につけていた。

 「オレンジ革命にはオレンジ色のリボンが、聖ゲオルギーには黒とオレンジのリボンがある。 我々は明らかにここで、PR的な剽窃を目の当たりにしている」。あるコラムニストはこう書いた(ロシア語)。 だが、親クレムリンとは到底言い難い米ワシントンポスト紙でさえ、それは「真実ではあるまい」と書いており、PR説には懐疑的だ。

 その後、ウクライナの危機のなかで、この国の新政府の反対派がゲオルギー・リボンをシンボルに選んだため、このリボンは、同国で正式に禁止された

 だがリボンの発案者はこう指摘する。「このプロジェクトは非政治的なものであり、歴史を記憶するためのものだ。一地方の草の根運動が広範な国民的伝統となっても、当初の目的が失われず、第二次大戦をめぐるそれぞれの家族史が追体験され続けることを望む」。

 最後に付け加えると、ローマ教皇もこのリボンをつけたことがあった。もっとも後でバチカンは、教皇フランシスコは実はそれが何なのか知らなかったと説明したが

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