国家イデオロギーとしての共産主義は、ロシアではもう死んでいる。これがロシアの公式の立場だ。「いかなるイデオロギーも、国家イデオロギーあるいは強制的なそれとして定められることはない」。このように、1993年に採択されたロシア連邦憲法第13条にはうたわれている。
これが、先行するソ連憲法(1977年)との主な違いだ。このソ連憲法では、ソ連共産党は「社会を指導し、方向づける勢力であり、政治体制、国家機構、社会団体の中核である」と強調されていた。
ソ連共産党は、1991年末にソ連崩壊とともに、その存在を終えた。ロシア連邦初代大統領、ボリス・エリツィンは、自身かつて党員であったが、ソ連崩壊時になお1800万人の党員を擁していた同党に対し、解散を指示する大統領令を発した。これで、1917年以来の共産主義国家としてのロシアには終止符が打たれた。しかし、これはロシアにおける共産主義の終わりを意味するものではなかった。
キリストは共産主義者?
「人類の発展の道は共産主義に向かっている…。そのモットーと道徳的根拠は、イエス・キリストの『山上の垂訓』に見ることができる。それはあらゆるトランプ大統領のような連中、アメリカみたいな国、そして我々自身よりも永続する」。ロシア連邦共産党の党首を長年務めるゲンナジー・ジュガーノフ氏はこう言った。
ロシア連邦共産党は、1993年に設立された。かつて全能であったソ連共産党は、1991年に解散され、ロシアの政界から姿を消したが、そのすぐ後のことだった。
ジュガーノフ氏とその党は、ロシアの共産主義の主な擁護者だ。2003年以降の下院選挙でも、与党「統一ロシア」にとっては手強い挑戦者であり続け、かなりの票を集めており、議席数で2位を占めている。
とはいえ、共産党は勢力を伸ばすことはできないでいる。2016年の下院選では、共産党の得票は13%にとどまった(2011年は19%)。2018年3月の大統領選では、同党のパーヴェル・グルジニン候補は、わずか11%の得票だった。
だがそれでも、ロシア全土の何百万人もの人々が、ソ連的な共産主義に魅力を感じている。セルゲイ・チビネエフさんは、ソ連の様々な遺物を収集し、ソ連芸術の復興を標榜している人物だが、「ラジオ・リバティー」のインタビューで、「ソ連風の共産主義は、賞賛に値する思想だ。民族と宗教に関わりなくすべての人々を団結させ、より良い未来を創造しようとする」と述べた。
過去は消えないが
概してロシアは、共産主義の過去を消し去るのに熱心だ、とはいえない。例えば、ロシア全土に、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンの像が5400もある。とはいいながら、政治学者や歴史家は、一般市民と同様にこう考えている。ロシア人がいかにソ連を懐かしもうと、共産主義が再び優勢になることはなさそうだと。
「現在のロシアの指導者たちは、革命や軍国主義的な共産主義などは御免だと思っている」。ロシアの経済紙「コメルサント」の政治評論家、ドミトリー・ドリゼ氏はこう書き、次のように付け加えた。なるほど、ロシア当局は、多数のレーニン像や赤の広場のレーニン廟を残し、過去とのつながりを保っているが、それはソ連時代を懐かしむ人々をなだめようとしているからにすぎない。別に、政治経済の共産主義的政策に引きつけられているということではない、と。
昔は良かった!…
ソ連についてこんなジョークがある。「私は、ピオネール(ボーイスカウトのソ連版で共産党の少年団)だったとき、将来の生活は素晴らしいと言われたもんだ!今、私はこう言われている。お前が若いピオネールだったころは、本当に素晴らしい生活だったんだ、とね」
モスクワの政治評論家、セルゲイ・バルマソフ氏はこう言う。「我々は古い神話を際限なく繰り返すことを好む。帝政時代はどんなに素晴らしい生活だったか、共産主義時代はどんなに良かったかという具合に…。将来、プーチン時代についても同じようなことを言うだろう。それは、我々の伝統的な『失楽園』神話だ」
だが、こんなノスタルジアは誰もが共有しているわけではないから、ロシアが共産主義に戻ることはあるまい。ソ連文化を研究する歴史家、イリヤ・ヴェニャフキン氏は講演で次のように語った。
「ソ連文化では、(共産主義)の未来は、消費財の不足や粛清や住宅問題をともなって、禅宗ではないが“今ここに”存在した」
ヴェニャフキン氏が想起させるように、ソ連の夢は決して実現することはなかった。「共産主義というプロジェクトは、西側諸国との経済競争に負けた」。ロシアの共産主義は、大きな失望をもたらし、歴史のくずかごに置き去られた…。