1. 湿地にスタジアムを建設
開催都市の一つであるカリーニングラードでは、45000人を収容する新スタジアムを建てるには街の中心部の2本の川に挟まれた中州が最適な場所だという判断がなされた。一見問題なさそうだが、実はこの中州にはプロイセン時代から深さ50メートルに及ぶ湿地があり、干拓したり何か記念碑的なものを建てたりする試みはすべて失敗に終わってきた。水が戻ってきてしまうのだ。
有言実行。スタジアムは杭の上に建てられた。土壌に25000の杭を打ち込み、その上に板を敷き詰めた。とはいえ客席の数は35000まで減らさなければならなかった。夏にはこのスタジアムでグループリーグの4試合が行われる。
2. スポーツ大臣が英語を勉強
ロシア・スポーツ省のヴィタリー・ムトコ大臣(現ロシア連邦スポーツ担当副首相)の英語が2010年にインターネット・ミームとなった。大臣はロシアの2018年W杯招致プレゼンテーションを“Let me speak from my heart(衷心より申し上げます)”という言葉で始め、ひどいロシア語訛りで演説を続けた。
のちにブロガーが明かしたところでは、英語が苦手なムトコ大臣のために職員らがロシア文字で原稿を書いたそうなのだが、これがかえって悪い結果を招いた。このフレーズは流行語となり、ムトコ大臣の失敗はユーチューブで曲となった。
その後大臣は英語を習得することを誓った。2015年にはW杯の準備状況を次のワンフレーズで説明できるようになった。“Is very good temp, open new stadium, no problem, no criminality.” しかし次の瞬間にはロシア語と英語とを混ぜこぜにして話し始める始末。ムトコ大臣は誕生日プレゼントにウラジーミル・プーチン大統領から英語の独習教材を受け取り、2年後の2017年には「隅から隅まで」英語を習得したと宣言して、スペイン語の勉強に移った……。
3. 何千もの屋台を撤去
上空からもシックに見えるよう、すべての開催都市で景観を損なう屋台、キオスク、不細工な停留所を周囲一帯から撤去した。ジェラール・ドパルデューの第二の故郷サランスクでは、都市部の数十ものダーチャが取り壊された。モスクワでは“大ショベルの夜”作戦が実施され、イコンからパンストまでほとんど何でも買えた屋台が一夜にしてメトロ駅の傍から消えた。
4. “ゼニト・アリーナ”はとにかく完成
サンクトペテルブルクでは世界で最も高価で最も長期に及ぶスポーツ施設の建設の一つが展開した。誰も“ゼニト・アリーナ”の建設に9年もかけるつもりはなかったが、工期は常に変動した。結局このスタジアムは営業開始前の段階で伝説となった。アリーナには「絶対に屈するな」というスローガンが掲げられたが、インターネットやテレビでは、なぜこんなに時間がかかるのか、憶測が飛び交った。その一つは、“ゼニト・アリーナ”の下に何か別の施設を作っているのでは、というものだ。
“ゼニト・アリーナが高額な理由が明らかに”
スタジアムは2017年に完成したが、その価格は当初の予算の67億ルーブル(1億1700万ドル)から6倍の430億ルーブル(7億5000万ドル)にまで膨れ上がった。これはほぼ“ウェンブリー・スタジアムの価格に匹敵する。
5. モスクワを再開発
この数年間首都は白と緑のフェンスに覆われた塹壕となっていた。モスクワ人の生活は破砕用ハンマーの音とアスファルトの敷設で地獄と化した。119の通りが全面的な工事の対象となり、クレムリンの壁の脇には平原とツンドラが現れた。5000棟以上の古い家が取り壊され、街には新しい地上メトロが開通した。
どうやら市の当局の誰かが、何一つ不可能なものはないと信じているようだ。もし長い間モスクワへ行っていないのなら、カルチャーショックがあなたを待ち受けている。
6. 工場を停止
W杯の間、開催都市は地球上で最も安全な場所でなければならない。この目的のためには数百万単位の損失を出そうとも立ち止まることはできなかった。ひと月の間、“危険な生産物”を扱う大工場はすべて操業を停止する。これは放射性同位体を扱う工場だけにとどまらない。配合飼料メーカーにも恭しく操業停止が要請された。