モスクワ、1988年
Getty Images現地のある企業が主催した2月末のロシア旅行で、元プロボクサーのタイソンはウラル地方を訪れた。彼のスケジュールは過密で、時に驚きに満ちていた。彼は幼稚園を訪れて子供たちと記念撮影をし、新しいスポーツセンターの建設の起工式に参加し、リングで仮想現実装置を体験し、若者向けにボクシング教室を行った。
この間彼は、自身のロシアやロシア人に対する見方や、アメリカでロシア人がどう認識されているかについて話した。「アメリカでは、ロシア人が敏感な人々だという評判はない。しかしロシア中を旅行してみて、人々がとても敏感で親切だと気付いた。残念ながらアメリカ人の大半にはその実体験がない」とタイソンは言う。
彼は去年、ロシア人の精神性の本質たる敏感さについて詳述し、このような警告を付けた。「彼らの感情を傷つけないように細心の注意を払ったほうが良い。さもなければ彼らは激怒するだろう。」
ボクサーは主催者らに彼がロシア史ファンでもあることを思い起こさせた。彼はエカテリンブルク市で“ロシア―私の歴史”ミュージアムを個人的に訪問した。現地のメディアによれば、彼は、“悪い奴”だと彼が考えているソビエトの指導者ヨシフ・スターリンのことや、ロシア革命について質問した。のちの記者会見では、悪名高く謎めいた“皇帝一家の親友”、グリゴリー・ラスプーチンに共感を持っていると告白した。
このボクサーはまた、ロシアで初めて正式にツァーリを名乗ったイワン雷帝を称賛した。イワン雷帝は重要な改革者だったが、残忍で好戦的な支配者と見なされることが多い。「私はよく、ロシアが四方八方から圧力を受けていた時代に思いを馳せる。ロシアから侵略者らが放逐されたのは、ひとえにイワン雷帝のおかげだ」と彼は言う。
モスクワ、1988年
Getty Images鉄人マイクはロシア文学も鑑賞し、特にレフ・トルストイを好んでいる。彼にとってトルストイは“粋な友人”で、「皆が彼の作品を読むべき」(ロシア語)だという。タイソンは、美人コンテストの出場者に対するレイプ事件で有罪判決を受け3年間服役したが、服役中の1990年代前半にトルストイの作品を読んだ。
自身の著書『真相』(2013)で述べているように、彼は2005年にモスクワに来たさい、トルストイの家を訪れようとした。「(…)私たちを案内してくれた通訳は、私がトルストイの子供たち全員の名前を知っていること、トルストイと彼の妻との間の力学について知っていたことに驚いていた。」ボクサーはこう打ち明ける。
ラムザン・カディロフとマイク・タイソン、チェチェン共和国、2005年
Getty Images2005年にタイソンはモスクワを“ステロイド剤で強化されたニューヨーク”と呼び、ロシアのことは、彼が“刑罰を受けずに”何でもできる場所と表現している。『真相』で彼は、アメリカよりも教養があるというモスクワのコールガールについて述懐している。「彼らはフォーチュン500にランクインする会社を経営することだってできる。」彼はまた、大豪邸に住む役人やギャングとも会い、こう書いている。ロシアでは、この地域の他の国々と同様「セックスと力がすべてだ。」
結局タイソンは、ロシアは彼の「居場所ではない」と締めくくっている。「ロシア語には“バランス”に当たる単語すらない。ロシアにはバランスなどなく、あるのは極端だけだ。私がロシアにうまく適合した理由はそれだ。あそこは完璧すぎて私や私の悪魔たちにはもったいないくらいだった。ロシア滞在は最高だったんだがね。」
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