ロシアに仰天:アーノルド・シュワルツェネッガーを驚かせた5つのこと

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 アーノルド・シュワルツェネッガーは過去数十年、さまざまな資格でロシアを訪れている。彼は観光客として、映画スターとして、起業家として、そして政治家としてやって来た。これらの旅の間に彼の心を最も強く打ったものは何だろうか。ロシアを恐れていた彼が、どのようにしてこの国を愛するようになったのだろう。

1. もうモスクワは怖くない

 シュワルツェネッガーが打ち明けることには、1988年に訪露した際に再発見したロシアに驚嘆し、この国に恋をしたという。彼はゴルバチョフのペレストロイカが最高潮にあった時期にモスクワを訪れ、映画『レッドブル』でのソビエトの警察官イワン・ダンコの役を演じた。それまで、ロシアやソビエト連邦に対する彼の見方は、恐れに端を発する“独特の進化”を遂げていた。というのも、彼のロシアについての認識は、戦後オーストリアでの幼少期に形成されたものだったからだ。

 「父はドイツ軍に所属してロシアと戦った。スターリングラードで負傷した。[…]私が5歳の頃、私たちがウィーンへ移ろうとしていたとき、ロシアの国境検問所を通らなければならなかった。オーストリアの一部がロシアに占領されていたからだ。とても恐ろしかった。頭の中に常に恐ろしいイメージがあり、車から放り出されてロシアに送られるのではないかと怯えていた。」(ロシア語のインタビュー)

 彼は観光でもソ連を訪れたが、すべてが変わったのは1988年になってからだった。モスクワはシュワルツェネッガーにとって「忘れがたい」ものとなった。「真冬だった。雪が降っていて、とても美しかった。セットでは人々が懸命に作業をしていた。これは私が新しい光の下でロシアを見直した瞬間だった。」俳優はそう語る。

 この街は、1990年代半ばにシュワルツェネッガーがレストラン“プラネット・ハリウッド”を開店するためにやって来たとき、彼を再び魅了した。この時、モスクワ市長(当時はロシア人政治家のユーリー・ルシコフ)が彼に街案内をした。「午前2時に街全体を歩き切った。彼はさまざまな教会や観光名所を見せてくれた。忘れがたい経験だった。」

 

2. ソビエトでの絶大な人気

映画『レッドブル』の撮影中、1988年

 1988年当時、シュワルツェネッガーは自分がソビエト連邦でそれほど人気になるとは考えていなかった。ペレストロイカが勢いを増しつつあったとはいえ、まだ冷戦の空気ははっきりと感じられていた。彼はよくアメリカ人記者らに、ソビエト連邦での「自分の成功の大きさ」など考えてもみなかったと語ったものだ。

 「ロシアにいたとき、宿泊していたホテルの前や、撮影が行われていた赤の広場にたくさんの子供たちがやって来るのを見て驚いた」とシュワルツェネッガーは言う。ソビエト当局は彼の登場するハリウッド作品が劇場で公開されないよう規制していた。しかしシュワルツェネッガーによれば、「私たちに常に同行していた一人のソビエトの役人が、モスクワはもちろん、ソビエト連邦中の闇市で私のビデオの売れ行きが絶好調だと説明してくれた。」

 

3. モスクワ市長職のオファー

 2010年に鳴り物入りでモスクワを訪れたシュワルツェネッガーは、モスクワ市長にならないかという提案に心底驚いたに違いない。当時の大統領ドミトリー・メドベージェフが彼にこの話を持ち掛けた。長年市長を務めたユーリー・ルシコフ(以前シュワルツェネッガーがモスクワ観光をした際にガイド役を買って出たあの人物だ)がメドベージェフに更迭されて渋々退任したのち、ポストが空いていたのである。

 「もしあなたがロシア市民だったら、私たちのために働くことができるのだが」シュワルツェネッガーとの対談でメドベージェフはこう話した。シュワルツェネッガーは沈黙で答えたとされる。

 この申し出は完全に筋違いというわけではなかった。この時シュワルツェネッガーは、俳優としてでも起業家としてでもなく、政治家としてロシアを訪れていたからだ。当時彼はカリフォルニア州知事だったが、任期が終わりつつあった。

 2010年、彼は『レッドブル』の撮影当時を振り返りながら、自分が「知事として戻って来る」とは夢にも思わなかったと述べた。しかしカリフォルニアでの任期が切れると、彼はモスクワではなくハリウッドへ戻って行った。

 

4. 大統領とのドライブ

ドミトリー・メドベージェフ大統領(当時)とアーノルド・シュワルツェネッガー

 シュワルツェネッガーはメドベージェフと会っただけでなく、大統領の運転する車に同乗もした。ロシアのメディアが当時報じたように、「アーノルド・シュワルツェネッガーでさえ、このような運転手は夢想だにしなかったろう。」

 メドベージェフは彼をソ連高官しか乗れなかったソビエトのリムジン、チャイカに乗せた。シュワルツェネッガーはメドベージェフの運転スタイルに感銘を受け、のちにツイッターでこうつぶやいた。「大統領、あなたは運転が大変お上手だ。」

 

5. 革新的な滝

 メドベージェフはソビエトのリムジンでこの俳優知事をスコルコヴォへ連れて行った。これは、同年に大統領がシリコンバレーを視察したのちに出した指示に基づいて作られたビジネス・スクールである。彼はシュワルツェネッガーに、ロシア版シリコンバレーとなるべきものを見せようとしたのだ。

 スコルコヴォではテクノロジー分野における米露協力を議題に会談が行われたが、メディアの報道によれば、施設を視察中にシュワルツェネッガーが最も関心を示したのは人工の滝だったという。それは単語やロゴを象るように水が流れる仕掛けのものだった。「どうやったんです?」シュワルツェネッガーが尋ねた。彼は、水流の統御を可能にした革新的な新技術が使われているのだと説明を受けた。「いや、でもどうやったんです?」当惑した訪問者(ロシア語)は仕組みをどうにか把握しようと質問を繰り返した。

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