ロシアの貴族はどのように花を使ってコミュニケーションを取ったのか

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 革命以前のロシア上流階級の人々は花の種類や意味についてよく知っていた。この点では男性も女性に劣っていなかった。この知識は秘密のコミュニケーションに必要だった。

 「好き、嫌い、唾を吐く、キスをする、胸に抱く、地獄に送る」カモミールの花びらをちぎりながら、みんなのロシア人がこのフレーズを口にした。これが最も簡単な花の恋愛占いだということがお分かっただろうか?

 カモミールを使った儀式は古代エジプトでも知られており、エジプトではカモミールが神聖な花とされていた。ツタンカーメンのサンダルにはカモミールが描かれており、埋葬前にファラオの遺体にカモミールオイルが振りかけられた。

 しかし、これはほんの一例にすぎない。中央アジアや中東では、花は常に宗教儀式や日常のお祝いに大きな役割を果たしてきた。この慣習がそこからヨーロッパに伝わったのは18世紀に入ってからである。

レディ・メアリーとゲーム「セラム」

 1716年から1718年にかけて、英国貴族で詩人のメアリー・ウォートリー・モンタギューは、駐オスマン帝国英国大使の夫とともにイスタンブールに住んでいた。彼女の故郷へ宛てた手紙は1763年にロンドンで出版され、すぐに大人気となった。当時のヨーロッパ社会はオスマン帝国に憧れを抱いており、この流行はテュルケリと呼ばれていた。 そしてこの波に乗って、モンタギュー夫人の手紙に記された「花言葉」が知られるようになった。

 「絵の具も、花も、雑草も、果物も、草も、石も、鳥の羽も、それに対応する詩がないものはなく、それを用いて喧嘩したり、悪態をついたり、情熱や友情、礼儀を伝える手紙を送ったり、情報を交換したりできる。しかも指を汚さずに」とモンタギュー夫人はトルコの女性のゲーム「セラム」について書いた。これは、高貴な女性が韻を踏んだ名前の物をお互いに送り合う、一種の題韻詩(Bouts-rimes 仏語)である。

 このゲームの花には多くの象徴的な意味がある。イギリス人はこのようにメッセージを暗号化することができることに惹かれた。閉鎖的で堅苦しい英国社会では、秘密の暗号が好まれており、それによって秘密の話題について気づかれずに話をしたり、こっそりと戯れ合ったりすることができた。

 モンタギュー夫人の手紙の出版直後、さまざまな種類の花の比喩的な意味を説明する「花辞典」がヨーロッパで出版され始めた。ロシアでは、この辞典は当初外国語から翻訳され、その意味は手書きで図録に書き込まれた。

 1830年、有名な詩人ドミトリー・オズノビシンは『セラム、あるいは花言葉』という本を出版した。序文の中で、彼はこの出版の基となったのは1823年出版のドイツの「花言葉」という本の翻訳であると書いている。その時からロシアの紳士淑女は自分の辞書を持ち、意味を込めた花束を贈ることができるようになった。

「花言葉」

 ドミトリー・オズノビシンは、本の中で花の多くの意味を説明した。その中で最も理解しやすくイメージの豊かなものを紹介したい。

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