ソ連の国章はどのようにできたか

歴史
ゲオルギー・マナエフ
 共産主義のシンボルが詰まっていることを別にすれば、純粋な芸術作品だった。ソ連の国章について知っておくべきことをお話ししよう。

 1990年代末のロシアでは、まだソ連の国章の付いたパスポートが発行されていた。例えば、1998年、当時13歳だった筆者が受け取ったパスポートには、表紙と各ページにソ連の国章があった。国章はソ連よりも長生きしたのだ。どうしてそうなったのだろうか。

 

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国章:除かれた剣

 1917年のボリシェヴィキ革命の直後、新生のロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国家文書には帝政期の双頭の鷲の紋章のある用紙が使われ、帝国の国璽で押印された。ソ連の国章作りの出発点は国璽作りだった。 

 1918年1月、人民委員会議(ソビエト政府)が新国璽の作成指示を出した。1918年3月までに原案が出来上がった。紋章の中心には新国家の主要なシンボルである鎌と槌があった。鎌と槌は農民と労働者の団結を象徴していた。

 最初の図案では、鎌と槌の後ろに盾があり、これらを剣が貫いていた。そして左右に麦の穂が配されていた。皆がこのデザインを承認したが、レーニンだけが新しい国璽から剣を除くべきだとしてこの図案を退けた。さらにレーニンは、国名と、1848年の共産党宣言でカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが最初に言った共産党の有名な標語「万国の労働者よ、団結せよ!」を加えた。この標語はマルクスの墓碑にも刻まれている。

 1918年7月10日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の最初の憲法が発効したが、ここで新しい国章に関して次のように規定されている。「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の紋章は、赤地の上の太陽光線、取っ手を下にして交差させた黄金の槌と鎌、それを囲う麦の穂の図と、『ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国』『万国の労働者よ、団結せよ!』の文から成る」。

 

ソ連の国章:世界革命 

 国章は1920年にわずかに変更された。共産党の標語を記した赤いリボンが加えられ、国名はドット入りの略称(Р.С.Ф.С.Р)に短縮された。この国章が1922年に成立したソ連の国章になった。ただし、盾に替えて地球が加えられた。これは、世界中のすべての国がソ連に加わることを歓迎することを意味していた。

 1923年以降共産党の標語は、麦の穂に巻き付く6本のリボンに、最初の連邦構成国(ロシア、ウクライナ、白ロシア、アルメニア、グルジア、トルクメン)の言葉で書かれるようになった。連邦内の共和国の数が増えるにつれ、リボンも追加され、1956年までに15本になった。 

 ソ連の国章はすべての連邦構成国の国章の基礎となった。各共和国の国章の主要な要素も鎌と槌になり、各国語で「万国の労働者よ、団結せよ!」の標語が記された。

 ソ連の国章は紙幣や公式文書、書籍とその表紙などに使用され、学校の制服やドリルの表紙にもあしらわれていた。

 

なぜソ連のパスポートが今でも使われているのか

 この国章は1991年にソ連が崩壊した後も使われ続け、1995年までは通貨や公式文書、パスポートにも印刷されていた。通貨や文書については理由は明快だ。透かしや紙幣が本物であることを証明する偽造防止策を紙幣に施せるソ連時代の印刷機をすぐに更新することができなかったのだ。パスポートについては事情はやや複雑だ。

 2020年現在、35万人以上のロシア人がソ連のパスポートを身分証明書として所持している。彼らは国籍の変更を拒み、公式には今は存在しない国家の国民ということになっている。

 1997年、ロシア政府はソ連のパスポートを更新すべきという法令を出したが、具体的な期限を示さなかった。2002年、ソ連の渡航用・国内用パスポートの新たな発行が停止した。しかし2003年、ロシア連邦最高裁判所がソ連のパスポートに有効期限はないと判断し、現在使用されているソ連のパスポートについては、所有者本人が生きている間は有効ということになった。

 ロシア連邦は現在でもソ連のパスポートが有効な唯一の国家だ。他の旧ソ連諸国はソ連のパスポートを無効としている。