スターリンと3人の女性アーティスト:独裁者の特別のお気に入りだった

Public Domain; NIkolai Horunzy; Anatoly Gagarin/Sputnik; MAMM/MDF
 「諸民族の指導者」、ヨシフ・スターリンは、2度結婚しているが、二人の妻はいずれも悲劇的に早世している。スターリンは、生涯最後の21年間は妻をもたなかった。しかし、音楽、演劇、オペラを愛する彼は、多くの有名な芸術家と関係したと信じられていた。なかでも目立った3人は次のアーティストたちだ。

オペラ歌手、ヴェーラ・ダヴィドワ 

 オペラとバレエの殿堂、ボリショイ劇場のソリスト、ヴェーラ・ダヴィドワは、「スターリンの最後の愛」と呼ばれ、二人の関係は19年続いたと言われた。この噂は、ロシア人亡命者、レオニード・ゲンドリンの暴露本でさらに煽られた。彼はかつてボリショイ劇場管弦楽団に在籍し、1980年代に、『スターリンの愛人の告白』なる本を出している。本の中で著者は、このメゾソプラノ自身が話したことがらを記録したと主張。本は世界的なベストセラーになった。ダヴィドワは、暴露本の刊行について知ると、発作を起こした。

 歌手は、スターリンとの親密な関係を否定した。とはいえ、彼が1930年代以来何度も彼女に会ったことが知られている。とくに公式のレセプションには、彼女はボリショイ劇場の主要なソリストとして招かれていた。彼女の孫娘、オリガ・メチェドリゼは、こう述べている。 

 「祖母はその頃もう(グルジア人の)メチェドリゼと結婚していたので、少しグルジア語を知っていて、スターリンに彼の母国語で答えることができた。もちろん、彼はそれが大変気に入った」

 さらに、スターリンは何度もボリショイの公演に足を運び、シックな花かごを彼女のために置いていった。1946~1951年に彼女は、3回にわたり最高の褒章「スターリン賞」を授与されている。

バレリーナ、オリガ・レペシンスカヤ         

 スターリンはまた、ボリショイのもう一人のアーティスト、プリマバレリーナのオリガ・レペシンスカヤとも関係があったと言われる。彼女は、4回もスターリン賞を受賞。スターリン自身も、彼女の才能を賞賛していた。彼は、「パリの炎」の舞台を少なくとも17回見ている。

 「スターリンは、暇があるといつもやって来て、自分の桟敷に座っていた。それで私たちは、スターリンが劇場に来たことを知った。多くの若い、身なりのよい男性が舞台裏に現れた」。レペシンスカヤはインタビューで語っている

 スターリンのボリショイ劇場訪問は伝説になっている。彼はいつもロイヤルボックスに座って、上演中に自由に行き来していた。他の党幹部も劇場で時間を過ごした。

  ボリス・イリザロフは自著『スターリンの秘められた生活』の中で、彼らのボリショイ訪問について断定的にこう書いている。

 「政治局員、政府高官、軍幹部たちは、ボリショイのバレリーナ、女性の歌手、合唱団員を、いわば高級娼婦として嬉々として利用していた」。

 スターリンとレペシンスカヤのロマンスについては、はっきりした証拠があるわけではない。多くの記述は、そのソースとして、独裁者の取り巻きの一人だった、ジャーナリストのイワン・グロンスキーを挙げている。彼の回想録によると、1930年代半ばにスターリンは、有名な某バレリーナのもとからしばしば深夜にクレムリンへ戻ったという。

 1940年、モスクワの目抜き通り「トヴェルスカヤ通り」の17番地の屋上に、バレリーナの記念碑が建てられた。モデルはレペシンスカヤだと信じられており、この彫刻はスターリン自らの命令で設置された。ダンサー自身は、自分はこの彫刻と何の関係もないと主張している。スターリン没後の1950年代後半に、彫刻は撤去された。

ピアニスト、マリア・ユージナ

 人々は、才能あふれるマリア・ユージナを、「スターリンのお気に入りのピアニスト」と呼んでいた。彼女はユダヤ人で、とても宗教的であり、ロシア正教に帰依し、質素な生活を送っていた。床まで届くような裾長の黒いワンピースを着ており、しばしば栄養失調気味だった。彼女は1921年にオーケストラと協演し始め、やがて世界中で公演するようになる。

 マリア・ユージナの近親者の回想によれば、彼女は、公演料を政治犯に送るか、教会に寄付していた。彼女は、反体制派というわけではなかったが、自分の意見をまったく隠さなかった。

 たとえば、1930年代に彼女は、正教への公然たる帰依のせいで、レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)から解雇された。1960年代には、現代の欧米の音楽、とくにロシアから亡命した作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーへの共感を大っぴらに示したせいで、モスクワのグネーシン音楽学校から追放された。

 作曲家ドミトリー・ショスタコーヴィチは、ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』で、ユージナはソ連でも海外でも大変な人気を博していたが、かなり風変わりな人物だったと語っている

 ショスタコーヴィチによると、ラジオをよく聴いていたスターリンは、1943年にラジオ委員会の幹部に電話して、ユージナが演奏した、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番の録音があるかどうか尋ねた。スターリンは、その前日にラジオで聴いたと言う。そのような録音はなかったが、スターリンの頼みを断るのは怖かった。そこで、「彼らはユージナとオーケストラに電話して、その夜に録音した。もちろん、誰もが震え上がっていたが、ユージナは例外だった。彼女は特別な人物で、何も恐れていなかった」

ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』については、その真贋をめぐりいまだに議論が続いている。この件について、ロシア・ビヨンドは、ショスタコーヴィチのイリーナ夫人にインタビューしている

急遽録音された、マリア・ユージナによるモーツァルトのピアノ協奏曲第23番

 その後まもなく、ピアニストは2万ルーブルが入った封筒を受け取った。これはスターリンの特別な指図によるものだと彼女は伝えられた。すると、彼女はスターリンに手紙を書き、その中で支援に「感謝」したが、その文面は…。

 「私は、昼も夜もあなたのために祈り、民衆と国に対するあなたの大いなる罪をお許しくださるように、主にお願いしています。主は憐れみ深い方ですから、あなたをお許しくださるでしょう。 お金は、私が通っている教会に寄付しました」。ショスタコーヴィチは、ユージナから聞いたという、その手紙の内容をこう伝えている。 

 ユージナはこの手紙を送ったが、何も起こらなかったという。おそらく、スターリン自らの意向で彼女は守られており、大粛清は彼女には及ばなかった。彼女には粛清されるだけの理由は十二分にあったのだが。

 「スターリンがダーチャ(別荘)で死んでいるのが発見されたとき、ユージナによるモーツァルトのレコードがプレーヤーにあったという。これが、彼が最後に耳にしたものだった…」。ショスタコーヴィチは回想している。

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