スターリンはなぜスターリンと名乗ったのか:独裁者の筆名の由来をめぐる謎

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 ヨシフ・ジュガシヴィリには、30以上の筆名、仮名があった。その中で最も有名なのがスターリンだが、彼はその由来を生涯誰にも教えなかった。

 ヨシフ・ジュガシヴィリは、グルジア(ジョージア)の貧しい家庭に生まれた普通の少年で、1894年に首都トビリシの神学校に入学し、司祭になるはずだった。

 しかし15歳のときに、マルクス主義に接し、地下の革命家グループに加わり、まったく異なる生活を始めた。それ以来、ジュガシヴィリは、自分の「名前」をいろいろ考案し始める。

 数年後、彼の選択は、中でも最も成功した「スターリン」に落ち着くことになる。この筆名、仮名は、本名よりもよく知られている。まさにこの名で、彼は歴史に刻まれた。

 さて、ジュガシヴィリがスターリンになった経緯は?この筆名はどんな意味をもっているのか?

 

筆名の伝統 

ヨシフ・ジュガシヴィリはボリシェヴィキの革命家たちと一緒に、1915年。ジュガシヴィリは立っている方の中で3番目。

 ロシアでは、筆名、仮名、偽名をもつことは、とくに知識人と革命家の間では一般的だった。地下に潜った党員やマルクス主義者は、筆名をいくつももっており、それで警察を攪乱することができた(例えば、ソ連の建国者ウラジーミル・レーニンには、150もの筆名があった)。その際、最もありふれたロシア人名から筆名をとるのがふつうだった。

 「そうした筆名は、単純で、知的な気取りがなく、どんな労働者にも分かり、そして肝心なのは、誰にとっても本名のように見えたことだ」。歴史家ヴィリヤム・ポフレブキンは、自著『偉大な筆名』でこう指摘している

 例えば、ジュガシヴィリ(スターリン)は、第4回党大会に登録するために、(イワンから派生した)筆名「イワノヴィチ」を選んだ。

 名前からつくった、この類の筆名としては、ほかならぬウラジーミル・ウリヤノフのそれ、レーニンが挙げられる(レナ川に由来)。本当の姓がロシア名に由来する党員でさえ、別の名にちなんだ筆名をつけた。

 筆名に関する、もう一つ強い傾向は、動物、鳥、魚などの「動物学的」名前を用いることだったろう。自分の強い個性を何らかの形で筆名に反映させたいと思った人が、この手のものを選んだ。

 さらにもう一つ、カフカス出身者(グルジア人、アルメニア人、アゼルバイジャン人など)の筆名は、しばしば「傍流」をなしていた。彼らは、陰謀家のルールをかなり頻繁に無視し、カフカスの「色合い」を帯びた筆名を選んだ。例えば、「コーバ」がそれだ。1917年までジュガシヴィリは、党内でしばしばこう名乗った。これは、スターリンに次いで有名な、彼の筆名だ。

 

コーバ

ヨシフ・スターリン、1917年

 グルジアでは、コーバという名前は、非常に象徴的だ。スターリンの幾人かの外国人伝記作家の間には、こんな意見がある。つまり、ジュガシヴィリは、19世紀グルジアの作家アレクサンドル・カズベギの古典的名作『父親殺し』の主人公からこの名を借りた、というのだ。この作品で、山岳農民出身の大胆不敵なコーバは、故郷の独立を求めて戦う。

 こうした人物像は、おそらく若きジュガシヴィリにとって身近に感じられただろう。ただし、作家カズベギにとって、コーバの名には、さらにオリジナルのルーツがあったことを念頭に置かなければならない。

 コーバは、ペルシャ王コバデスの名に対応するグルジア語だ。この王は、5世紀末に東グルジアを征服し、トビリシをその後1500年間にわたる首都とした。ジュガシヴィリに感銘を与えたのは、政治家・君主としてのこの歴史的原型だ。二人の経歴も、驚くほどよく似ていた。

 しかし、1911年にはもう、この主要な筆名「コーバ」を変えねばならなくなった。歴史的状況が筆名の変更を必要とした。

 なぜなら、ジュガシヴィリの活動は、南カフカスの境界をはるかに超え始め、彼の野心とロシアの党組織との関係が強まっていったからだ。コーバという筆名は、南カフカス以外では不便だった。異なる言語および文化の環境は、異なる対応を要求した。

 こうして、ジュガシヴィリは、1913年1月に、著作『マルクス主義と民族問題』で初めてスターリンという筆名を用いた。

 

スターリンという筆名の由来は? 

ヨシフ・スターリン、1932年

 この疑問の答えは、長年のあいだ不明だった。スターリンの生前は、彼の履歴に関わるものはすべて、歴史家の議論、研究、仮説の対象にはなり得なかった。「諸民族の指導者」に関係する一切は、マルクス・レーニン主義研究所が管轄し、ここには、ヨシフ・スターリン基金があって、極秘資料の保管所を備えていた。

 しかし実は、スターリンの生前は、これらの資料に関する研究は行われなかった。また、彼の死後も、スターリンの個人崇拝が非難されたため、長い間、まったく研究されずにきた。 

 にもかかわらず、革命後の1920年代初頭から、党のなかでこんな意見が広まっていた。つまり、「スターリン」は、本名のグルジア語の語源「ジュガ」をロシア語にしたものであり、これは「鋼」をも意味したというのだ。

 なーんだ…という感じで、答えは、一見、月並みだ。スターリン関連文献で繰り返し言及されたのはこの説であり、筆名の由来の問題は「解決済み」とみなされた。

 しかし、この説は、実は「発明」だった。より正確には、単に流布した(そして誤った)意見で、グルジア人の間にも広まっていた。

 1990年、グルジア人の作家・劇作家で、かつて強制収容所にいたキタ・ブアチゼは、これについて書いている

 「『ジュガ』は『鋼』を意味しない。『ジュガ』は、古代の異教時代のグルジア語であり、ペルシャ語のニュアンスをもち、ペルシャ支配の時期に広まったもので、単なる名前だ。多くの名前がそうであるように、その意味は翻訳不可能。ロシアのイワンのようなものだ。だから、ジュガシヴィリは、単に『ジュガの息子』を意味するにすぎない」

 こうして、スターリンの本当の姓は、筆名の由来と無関係だったことが分かった。そうなると今度はまたいろんな新説が登場し出す。その中には、スターリンが、同志の党員で愛人のリュドミラ・スターリの姓から筆名をとったという話さえあった。

 別の説によると、レーニンという筆名とうまく調和する、唯一のニックネームを選んだのだという。レーニン⇔スターリン

 しかし、最も興味深い仮説は、歴史家ヴィリヤム・ポフレブキンが唱えたものだ。このテーマを特別に研究した彼の意見はこうだ。

 リベラル派のジャーナリスト、エフゲニー・ステファノヴィチ・スターリンスキーという人物がいた。彼は、ロシアの有名な定期刊行物の出版者の一人であり、12世紀・13世紀のグルジアの詩人、ショタ・ルスタヴェリの長編叙事詩『豹皮の騎士』を露訳している。この彼こそが、スターリンという筆名の基になったというのだ。

 スターリンはこの詩をとても好み、ショタ・ルスタヴェリの作品を賞賛していた(その750周年が、1937年にボルショイ劇場で大々的に祝われた)。しかし、何らかの理由で彼は、ルスタヴェリの最高の出版物の一つを回収するように命じた。

 こうして、スターリンスキーの翻訳を含む、その多言語版(1889年版)は、展示会、書誌から削除され、文学関係の記事にも記されなかった。

 「スターリンは、1889年版の隠蔽を命じたとき、主に彼の筆名の選択の『秘密』が明らかになるのを懸念していた」。歴史家ポフレブキンはこう結論する。

 したがって、スターリンという「ロシア語の」筆名でさえ、グルジアと若きジュガシュビリの思い出と密接に関連していることが判明したわけだ。

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