一時代の終わり:モスクワがソビエト時代のトロリーバスに別れを告げる(写真特集)

歴史
ロシア・ビヨンド
 2020年は、1933年以来モスクワ市民の移動を支えてきた交通機関にとって最後の年となった。

 1930年、モスクワの著しい人口増加に伴い、新しい交通機関を作る必要が生じた。当時の首都住民の主要な交通機関はまだ路面電車で、9割以上の市民が日々これを利用していた。

 スターリンの側近の一人としてモスクワ再建計画を担当したラーザリ・カガノーヴィチは、最初の地下鉄線の開業に尽力し、市内のバスの数を増やした。

 意外にも、交通手段としてのトロリーバス路線の敷設は、モスクワ新交通計画の指導者にとって最優先事項ではなかった。

 しかし、後に強力なソビエト指導者となるニキータ・フルシチョフは、1930年代にはラーザリ・カガノーヴィチほど影響力がなかったものの、モスクワにトロリーバス路線を整備するという案が大変気に入っていた。 

 モスクワのトロリーバスの将来を安泰にするため、フルシチョフは最初のトロリーバスにラーザリ・カガノーヴィチに因んだ名称を与えることを提案した。こうして、モスクワ・トロリーバスの最初のモデルは「LK」と呼ばれることになった。

 モスクワ初のトロリーバス路線は1933年11月15日にレニングラーツコエ街道の辺りに開業した。

 1934年までに、モスクワでは計50台のトロリーバスが運行するようになった。ソ連の他の街も続々とトロリーバスを採用し、キエフやロストフ・ナ・ドヌー、トビリシ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)でトロリーバスが走り始めた。

 レニングラードのトロリーバスの歴史には、悲劇的な一幕もあった。1937年12月26日、LK-5トロリーバスがフォンタンカ川に落下したのだ。この事故で乗客11人が死亡した。当時はスターリンによる大粛清の最中で、市のトロリーバス事業の責任者、車両基地の主任技師、事故に関与した人々が逮捕され、その後処刑された。レニングラードで運行していたLKシリーズのトロリーバスはすべて廃車にされた。

 概して、最初のLKトロリーバスは完璧からはほど遠かった。車両の主要な部品のいくつかは木製だった。木材にはワイヤーや部品、乗客を保護するのに十分な強度がなく、トロリーバスに負のイメージが付きまとう原因となった。初期のモデルは暖房システムや窓ガラスもなく、ロシアの冬の厳しい条件下で運行するのは非常に難しかった。 

 とはいえ、新しい交通機関はロシア人の間で人気となった。新奇で魅力があり、娯楽のようなものとして見ていた。

 より先進的なモデルが現れたのは1936年のことだ。ヤロスラヴリの工場に因んで「YATB-1」と名付けられた。1935年に英国へ出張に行った工場の主任技師が、英国製のトロリーバス2台を購入し、それがソ連製トロリーバスYATB-1のベースとなったのだ。

 YATB-1の車体は木製で、薄い鋼鉄の膜が張られていただけだったが、先代モデルよりは優れていた。暖房設備があり、座席にはクッションもあった。主要な問題点は、電気装置が湿気や塵から十分に守られておらず、しばしば故障したことだった。

 MTB-82と名付けられた新モデルは、1946年に運用され始めた。このモデルはソ連航空産業人民委員部の「第82工場」で作られたもので、設計はナウム・チェルニャコフという航空技師が担当した。1950年までに、MTB-82はソ連で最も普及したトロリーバスとなり、以後計5000台が作られた。

 次の新モデルが登場するまでの間に、ソ連の技師らはMTB-82をTBU-1というモデルで置き換えようとしたが、上手くいかなかった。TBU-1は試作機1台と試験的に10台が製造されたが、設計上の重大な欠陥が見つかり、製造中止となった。

 しかし、この失敗に終わったプロジェクトのおかげで、ソ連の技師らはZiU-5という遥かに優れたモデルを生み出すことに成功した。新モデルは1959年にデビューし、4種類の派生版も作られた。最も広々としたモデルは最大120人の乗客を乗せられた。しかも、従来のモデルよりもずっと速く走ることができた。

 だが1972年、さらに新しいモデルが登場した。ZiU-9と名付けられ、国際的にも人気を得た。ソ連はハンガリーやギリシア、ドイツ、ブルガリア、さらにはアルゼンチンにもこのモデルを輸出した。新しいトロリーバスは非常に広く、中央に3つ目のドアがあった。1972年から2013年までソ連とロシアで合わせて42000台が製造されたZiU-9は、世界で最も量産されたトロリーバスとなった。 

 モスクワではしだいに電気バスがトロリーバスに取って代わるようになった。トロリーバスが使っていた古い架線は2019年までに撤去された。8月24日晩から25日未明にかけ、モスクワ最後のトロリーバスが営業を終え、車両基地に戻って永久停車した。市の当局は電気バスへの更新を選んだのだ。

 しかし、モスクワには改革の手が及んでいないトロリーバスの路線が一つある。2020年9月4日、長年モスクワ市民の移動を支えてきた交通機関を記念して、コムソモリスカヤ駅からエロホフスカヤ広場までの新路線が開業したのだ。