女性像を使ったソ連ポスター20選(写真特集)

歴史
ロシア・ビヨンド
 プロパガンダポスターの発展を見れば、ソ連の女性がどうあるべきだと考えられていたか、女性のイメージや社会の中での役割がどのように変化してきたかが分かる。

 ソ連はフェミニズムの考えを実践した最初の国と言える。女性は男性と対等の権利を持ち、早くから参政権も持った(英国やドイツよりも先だった)。しかも女性に対しては、男性同様、ジェンダー的に中立である「タヴァーリッシ」という呼び掛けが用いられた。

 

1. 「女性労働者と女性農民。全員選挙へ。男性と並んで赤旗の下へ。ブルジョワジーに恐怖を与えよう!」(N・ヴァレリアノフ、1925年。M.K.R.K.P出版社)

2. 「全員選挙へ!」(G・イワノフ、1947年)

 多くのポスターが3月8日の国際婦人デーを題材にしていた。1917年3月8日にペトログラード(現サンクトペテルブルク)で女性によるデモが行われたため、この日は女性解放の祝日と考えられている。国際婦人デーをテーマにしたポスターには女性革命家、女性労働者、女性農民、母たちが描かれたが、しだいに単に花を持つ美しい女性の絵に取って代われた。

3. 「3月8日は女性解放の日」(A・I・ストラホフ=ブラスラフスキー。1926年)

4. 「3月8日。万国のプロレタリア女性よ、コミンテルンの旗の下に、世界を十月革命へ」(1922年-1930年。AKhR芸術出版株式会社) 

5. 「3月8日は女性労働者が台所での隷属状態から脱しようと立ち上がった日だ。家庭での迫害と俗物根性よ、さらば」(B・デイキン。1932年)

6. 「祝日万歳、親愛なる女性たち!」 

7. 「祝日万歳、親愛なる女性たち!」 

 女性はソ連社会の活動的な一員となるよう促され、新社会の長所と過去の短所が説かれた。例えば下のポスターでは、旧体制の下では僧侶を崇拝して貢ぎ、夫の暴力に耐え、子育てや家事のみに専念せねばならなかったことが視覚的に分かりやすく描かれている。新しい生活は「イリイチの約束を果たし」、仲睦まじく「裁縫、ミシン」をし、読み書きを習うことを宣言していた。母は子を託児所に預け、社会の完全な成員となることができるようになった。

 

8. 「農民女性よ! 旧生活から新生活へと発つ準備をせよ!」(1919年-1921年。「さらば文盲」出版社) 

 ソ連では急速に集団化と工業化が進められ、女性は必要不可欠な労働資源だった。女性は働いて、トラクターや列車の運転手など、「男性的な」職業も含め、さまざまな仕事を身に付けるよう呼び掛けられた。

 

9. 「コルホーズの女性たちは大いなる力。I・スターリン」(M・ヴォロン。1934年) 

10. 「女性たち。機関車へ!」(アレクサンドル・デイネカ。1939年) 

11. 「農民女性よ、村を集団化させよ! 赤きトラクター運転手の一員になれ」(1930年) 

12. 「我々はノルマをこなす。君たちは?」(O・サヴォスチュク。1954年) 

 女性像は第二次世界大戦中のポスターで特別な位置を占めた。そこでは女性は戦士や看護師として、あるいは兵士の帰りを待ち望み、勝利を期待する母や女性として描かれた。最も有名なのものの一つが、「母なる祖国が呼んでいる」だろう。

13. 「母なる祖国が呼んでいる」(I・トイゼ。1941年) 

14. 「すべての希望はお前に、赤軍よ!」(V・イワノフ、O・ブロワ。1943年。ソ連、モスクワ-レニングラード。国立「イスクーストヴォ」出版) 

15. 「戦う女友達に栄光あれ」(G・ザイツェフ。1941年)

 赤いスカーフを身に付けた模範的な女性労働者の姿はスパイに対するプロパガンダ戦にも用いられた。

16. 「無駄話をするな! 警戒しろ、このご時世、壁に耳あり。無駄話や噂話のすぐそばに反逆がある」(N・V・デニソフ、N・N・ヴァトリナ。1941年。イスクーストヴォ出版) 

 ソビエト政権は生活の隅々まで規制した。女性が子供をどう育てるかということもだ。赤ん坊の養い方、世話の仕方、女性の健康管理などについて、ポスターを通して女性に明確な指示が出された。体育に盛んに取り組むことも促された。 

17. 「赤ん坊は乳で養え」(K・S・ミトゥリチ。1953年-1955年。モスクワ。ソ連衛生教育研究所出版会) 

18. 「清潔は新生児養育の要」(N・ヴァトリナ。1958年)

19. 「朝の体操で健康は万全」(A・ココレキン。1957年)

 女性像はソ連の広告にも盛んに用いられた。

20. 「シベリアのペリメニ。肉入り」。食肉産業総管理局の広告(V・グシチン。1950年)