『イワン・ワシーリエヴィチ、転職する 』
Leonid Gaidai/Mosfilm, 1973建設現場で働く女性や、工場技師や所長として働く女性は古いソ連映画では珍しいことではなかった。それなのになぜ家庭での状況はより「保守的」(よりよい言葉が見つからないが)なのかと思う者がいても不思議ではない。
指摘しておくべきことは、ソ連のフェミニズムは決してアメリカ的な道を歩まなかったという点である。つまり男性優位の社会において、たとえばメイクをすることが、ある種の管理システムとして認められないというようなことはなかったのである。そして、それはいまも、多くの強く自立したロシア女性にとってはそうである。しかしながら、そうした哲学は近代的な突然変異を起こし、ここにあげる映画の半分は「問題のある(problematic=ここ数年ロシアで好まれているアメリカ英語)もの」とされるようになった。しかし何れにしてもどれも映画としては名作なので、楽しんでいただけるはずである。
警告:解説にはネタバレのおそれあり!
当時アカデミー賞を獲得した、疑いのない名作も、2020年には眉をひそめる人がいるだろう。この映画は、モスクワを「征服」し、夢を叶え、幸せをつかむために上京してきた3人の女友達を描いた物語。中でも主役のカーチャは、強く、自立した女性で、自らの夢を叶え、工場長にまで昇りつめ、その一方で1人で子供を育てている。しかし彼女は、男性との縁に恵まれず、幸せを感じることができずにいた。ついにゴーシャと巡り合うが、彼の仕事が彼女の職務より劣っていることを知り、彼は彼女の元を去っていく。そんなゴーシャにカーチャは腹も立てるのではなく、モスクワ中を探し回り、なんとか見つけだし、そして彼が彼女のそばでただボルシチを食べるのを見て幸福を感じるのである。カーチャはとても強い女性だが、彼女の自尊心と自己概念は、現代の第3次フェミニズム運動の人たち(もしフェミニスト全員でなければ)には賛同されないようだ。
ソ連映画では数少ないシンデレラストーリー的な内容のこの映画は、30歳すぎのデザインエンジニアであるナージャ・クリュエワが主役である。彼女は活発な社会生活を送り、熱心に仕事をし、そして、暴漢とのストリートファイトに巻き込まれたりもする。しかし、私生活にはそれほど満足していなかった。それを何とかしようと、同僚は彼女に、容姿を変えて、男性との駆け引きを楽しんではどうかと提案する。完璧主義者のナージャはこの新しい戦術を実践し、すぐさま成功する。結果、人から注目されるようにはなるのだが、それで幸せを感じるようになったわけではなかった。というのも、やってくるのは気に入らない男性ばかりで、気に入った男性は他の女性とデートしていたからだ。最終的には、外見が大事なのではないという結論に達する。この映画は合格。理由は、彼女は、幸せになるのに、魅力的な「人形」になる必要はないということを理解したからだ。
The Girlsも最初はハッピーエンドの明るい種類の映画だと思われていた。しかし実際には、その時代のダブルスタンダードがあからさまに表現されていた。一方で、ソ連女性トーシャは一生懸命に働き、皆が建設現場で働いている中、単身シベリアに行き、調理師としてのキャリアを確立しようとしている。しかし恋に落ちるやいなや、もっとも男性社会的なものが姿を現す。
一方、ナージャは自分よりかなり年上であまり魅力的でないサン・サーヌィッチと結婚する。その理由は、映画の中で、「彼女は28歳になろうとしていて、これは、山羊とでも結婚しなくてはならない年齢だからだ」と説明されている。
同時に、村で1番のイケメンであるイリヤは、トーシャに恋をしていた。彼女は恋の駆け引きをして彼を拒絶しつつ、彼を自分の元に戻らせ、謝らせる。登場人物(あまり多くないが)の行動は自立したように見えるが、その当時の現実は必ずしもそれを可能にするものではなかった。
現代社会においても、この映画は容易に受け入れられるだろう。若いシューラは恋愛小説に出てくるような女の子らしい世界が好きではなかった。そこで彼女は男性兵士になりすまして戦争に行く。彼女は、軍服の下に女性らしさを隠さねばならなかったが、そのことは仲間の兵士たちが彼女を尊敬するのを妨げるものとはならなかった。この映画は実話に基づいたもので、ナポレオン戦争時の有名な女性兵士、ナジェージュダ・ドゥーロワの冒険を下敷きにしている。クトゥーゾフ元帥はシューラが女性であることを見抜き、軍隊から追い出した。しかし、彼女が士官を助けたとき、事態は変わるのである。
中堅労働者であるノヴォセリツェフを主人公にしたコメディ。ノヴォセリツェフは、悪友にそそのかされて、自分のキャリアアップのために、未婚の女性上司である「魅力のない悪魔のようなボス」を口説こうと決心する。現代の女性たちは、ヒロインのリュドミラ・プロコフィエヴナが変わっていく様を見て、この映画が当時のフェミニストたちの考えとどう合致していたのか大いに疑問に感じることだろう。映画の冒頭で、彼女は野暮ったいスーツを着た魅力に乏しい女性なのだが、大きな調査会社の局長として成功している。誰もが彼女を怖れ、陰では外見を揶揄して陰口を叩いていた。しかし、たちまち彼女は変身し始める。秘書の助言で、きれいなドレスを身につけ、ヘアスタイルを整え、化粧をし始める。そして明るくなって他人にも優しくするようになる。つまり、この映画のメッセージは、36歳の管理職である女性の人生は、恋人がなく、化粧もせず、流行を追わなければ価値がないと言うことなのである。
高校を一緒に卒業した3人の女友達を描いた名作ドラマ。ターニャは医学校に入り、キーラは舞台芸術学校の演劇科に入学する。スヴェトラーナは大学入試に失敗するが家族にそのことで嘘をつかなければならなくなる。
ターニャは医大の大学院生、アルカージーに一目惚れをし恋に落ちる。彼女は真剣であったが、彼にとっては一時のロマンスに過ぎなかった。ターニャがダンスパーティーに行けなかったとき、アルカージーはターニャの友達であるキーラとパーティに出かける。彼はターニャを捨てキーラを選んだのである。しかもキーラにプロポーズまでした。後になってターニャとキーラは共にアルカージーに騙されていたことを知ることになる。2人は彼を巡って争うことはせず、ともに彼との交際を終わらせる。彼よりも友情を選んで共に夢を追うことにするのだ。この映画は彼女らが大切にしている女の友情を描いている。
主人公のリュドミラは社会階層を上って、望む仕事に就くことが出来ずにいた。蜂に刺されて一時的に魅力がなくなっているためである。この映画は女性の成功には、美貌が大いに関係することを描いている。彼女はその外見のせいで野卑なジョークや嘲笑の対象となる。結果的に腫れが治まって元の姿に戻ると、リュドミラはたちまち再び注目を浴びるようになる。
パーシャ・ストロガノワは大作映画でジャンヌダルク役を手にする。彼女はこの映画の監督と恋に落ちるが、彼は妻帯者であった。彼女は心を強くして自分の感情を押し込めるが、この役を辞退したりはしなかった。彼女が描かれたポスターが街の至るところに貼られ、歩いていても人に気づかれるようになり、皆から愛されるようになるのだが、他の監督たちは彼女を使いたがらなかった。しかし最終的に彼女はこれらの困難に打ち克つ。彼女は夢を追って成功を収める。人は性別に関わらず平等で、誰もが自分の道を進むことができるということを証明したのだ。
レオニード・ガイダイ監督の大人気ソ連コメディである「イワン・ヴァシーリエヴィチ」は16世紀に移動できる装置を発明した技術者を描いたコメディである。この映画は、「Me Too」時代の眼を通すと簡単には観賞できない1作である。
この映画では、ニセモノの皇帝イワン雷帝が、酔っ払って皇后と宮廷のすべての女性を弄ぶ。しかし誰の名前も覚えていない。暫くして、金髪の女優が、映画監督のヤーキンを誘惑して良い役をもらい、タダで休暇旅行に行こうとする。最後に、典型的なゴシップ好きである隣人のウリヤーナ・アンドレーエヴナが皆の邪魔をする。
貨物船の中で、奇妙な出来事が立て続けに起こった。乗組員たちは、トラが何頭もオリから逃げ出し、他の動物たちと一緒に船内を徘徊しているのを見つける。怖くて避難した乗員は専門家を呼ぶのだが、彼もその動物たちから逃げようとトラのオリに入って中から鍵をかけてしまう。危機一髪というところで、バーテンダーのマリアンナが、誰の手も借りずに1人で事態を収拾し、動物たちをオリに追い戻す。
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