フィンランドがロシア領だったことはあるのか

Legion media、ロシア・ビヨンド
 何世紀もの間、ロシア人とフィンランド人は幾度となく衝突してきたが、一方で平和に共存してきた時期も長い。現在、フィンランドはロシアにとって最高の隣国の一つと考えられている。

 フィンランドは1809年にロシアの支配下に入るまで、6世紀余りにわたってスウェーデン領だった。ヨーロッパの騎士らが中東の聖地の解放を目指して戦っている間、スウェーデンの十字軍騎士は、領土拡大の機会を別の方向に見出した。12世紀から13世紀にスウェーデン国王によって3度の大きな十字軍遠征が行われ、フィンランド人諸部族の地が征服されるに至った。

スウェーデン領であったフィンランドの紋章(左)、スウェーデンとフィンランドの地図、1747年(右)

 ここでスウェーデンは別の強敵と出会った。この地域に関心を持っていたノヴゴロド共和国だ。両者の戦いは何度も行われたが、スウェーデンはフィンランドを自国領になんとか留め置いた。当時はまだロシアにフィンランド併合の機運はなかった。

  北方戦争(1700年-1721年)では、フィンランドの大部分がロシア軍に占領された。紛争の結果、スウェーデンは東バルト地方の広大な領土を失い、大国の地位から退いた。しかし、スウェーデンはこの時もフィンランドを失わなかった(カレリアの一部を除く)。

北方戦争、ノーテボリ攻囲戦、1702年

  フィンランド戦争(1808年―1809年)は、スウェーデンでは「スウェーデン国家の長い歴史の中で最大の惨事」と言われているが、この戦争の結果、スウェーデンはフィンランドをロシア帝国に譲ることとなった。国土の3分の1、全人口の4分の1を失うこととなったのである。

『雪の中の傷ついた戦士』、画家ヘレン・シャルフベック、1880年

  ロシア皇帝アレクサンドル1世は、突如としてプロテスタント住民が暮らす未知の地域を治めることになった。彼はこの戦争の間フィンランド人がいかに効果的かつ激しくパルチザン活動を展開したかを記憶しており、十分注意しながらフィンランドをロシアに統合することを決めた。1809年の春から夏にかけて、ポルヴォーの議会で自治権を持つフィンランド大公国の設立が宣言された。スウェーデンによる統治時代にはフィンランド人がこれほどの地位を得たことはなかった。フィンランド人は自分たちの信仰と権利を維持することを許された。1772年制定のスウェーデンの憲法が、そのままフィンランドの憲法として認められた。

『アレクサンドル1世がポルヴォーの議会を開幕』、画家エマヌエール・テルニング

  1811年、アレクサンドル1世はカレリア地峡にあったヴィボルグ県をフィンランドに割譲した。こうして、一世紀後に起爆し、数度の激しいソ芬戦争の原因となる時限爆弾が仕掛けられたのだった。

『カレリアの開拓者』、画家ペッカ・ハロネン、1900年

  翌年、大公国の首都が、フィンランドの最重要都市オーボ(トゥルク)からヘルシンキへ移された。サンクトペテルブルクに近く、したがってスウェーデンの影響力も小さかった。

ヘルシンキの風景、1867年

  19世紀後半、フィンランド大公国は独自の貨幣制度(フィンランド・マルッカ)と軍隊を持つという重要な特権を与えられた。しかし、間もなくフィンランド人に対するロシアの政策は完全に変わってしまう。大規模なロシア化政策が主導され、現地当局の権力は大幅に制限され、そして1901年にはフィンランド軍が解体、ロシア帝国軍に組み込まれた。 

フィンランド・マルッカ札

 こうした政策に対するフィンランド人の不満が爆発し、1905年から1907年の第一次ロシア革命にフィンランド人も参加する結果となった。皇帝ニコライ2世は譲歩せざるを得なくなった。1906年、フィンランドは新しい議会の下、ヨーロッパで初めて女性の選挙権と被選挙権が認められた国となった。国際的なスポーツ大会では、フィンランドはロシアから独立して選手団を派遣し、自分たちの旗を掲げた。

フィンランドの第一回議会召集、1907年

  ロシアの十月革命の直後、フィンランド議会は独立を宣言した。最初に承認したのはレーニンの政府だった。とはいえ、間もなく起こる紛争は回避できなかった。フィンランド内戦でソビエト・ロシアが援助するフィンランド赤軍に対してフィンランド白軍が勝利したことで、両国は完全に分断された。

フィンランド白軍、1930年代

  両国間の最大の紛争は第二次世界大戦中に起こった。アレクサンドル1世のプレゼントが仇となったのだ。戦争の原因は、カレリア地峡だった。レニングラード(現サンクトペテルブルク)の重要な防衛地点となり得るヴィボルグがそこにあったからだ。ソ連が冬戦争に勝つと、フィンランドは領土を取り返すためヒトラーと同盟を組んだ。

ソ連軍の戦車がフィンランド領土に行進、冬戦争、1939年12月2日

 戦後、両国政府は過去の因縁を克服し、新たな協力関係を発展させることを決めた。結果として、フィンランドはソ連(および後のロシア)にとって最大の友好国の一つとなったのである。

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