なぜロシアの詩人はフランスの大統領を暗殺したか?

ポール・ドゥメール大統領の暗殺直後。1932年5月12日。

ポール・ドゥメール大統領の暗殺直後。1932年5月12日。

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 人気があったフランスの指導者がロシア人亡命者により暗殺されたことは、フランスとヨーロッパ全土を揺るがした。暗殺者はなぜか、この殺害によりロシアのボリシェヴィキ支配を終わらせたいなどと考えていた。

 193256日、ポール・ドゥメール大統領がパリでロシア人亡命者に射殺されたことは、フランス共和国全体に衝撃を与えた。それ以上に恐怖したのは、フランス在住の巨大なロシア人コミュニティだった。彼らは、フランス当局がたった一人の狂人の行動ゆえに彼ら全員を罰するだろうと思い込んだ。

暗殺

ポール・ドゥメール大統領の暗殺。フランスの新聞「Lillustre du petit journal」の第一面、1932年。

 ポール・ドゥメール大統領が、パリのブックフェアを訪ねた際に、長身の若い男が近づいてきて、ポケットからピストルを取り出し、二度発砲した。弾丸は、大統領の頭蓋下部と右脇に命中した。

 大統領は緊急手術のために病院に運ばれた。しかし彼は、翌日亡くなる前に一度意識を取り戻しただけだった。

 暗殺犯は、銃撃の直後に捕らえられた。怒り狂った群衆は、彼を八つ裂きにしかねない状態だったが、警察は、その容疑者を直ちに連れ去り、身元と凶行の動機を明らかにしようとした。

犯行の動機は?

パーヴェル・ゴルグロフのピストル

 その後の調査で、フランス大統領、ポール・ドゥメールの殺害者は、1917年のロシア革命後にロシアからフランスに亡命した医師・作家・詩人、パーヴェル・ゴルグロフであることが明らかになった。尋問でゴルグロフは、自分はロシアのボリシェヴィキ支配を終わらせる使命を担うロシアのファシストであると宣言した。

 発見された文書によれば彼は、「農民全ロシア人民緑党」の指導者という触れ込みだった。ロシアの内戦期のいわゆる「緑の党」は、赤軍(共産主義者)と白軍(君主制主義者、共和主義者など)のいずれにも反対した農民勢力だった。しかし、この党について言えば、ゴルグロフはおそらく党の唯一のメンバーだった。

 ゴルグロフは、ドゥメール大統領に対して個人的な恨みは何もないと述べた。大統領をターゲットとして選んだのは、彼がフランスの指導者だからである。この国は、ソ連とそのボリシェヴィキ政権に対する戦いを止め、それによってロシアと全世界の破壊への道を用意した――。ゴルグロフはこう陳述した。

 「ヨーロッパとアメリカはボリシェヴィキ政権を利しているように思われるので、私は大統領を殺し、フランスに対ロシア戦争を宣言させることにした!私はロシアの偉大な愛国者だ。共犯者はいなかった」。ゴルグロフは述べた

反応

パーヴェル・ゴルグロフ

 それにもかかわらず、「偉大なロシアの愛国者」は、フランスのロシア人コミュニティには支持されなかった。それどころか、ロシア人亡命者たちは、彼の行動を強く非難した。とばっちりを恐れてエミグレたちは、フランスへの忠誠心と、自分たちと暗殺者との間にはいかなる共通点もないことを懸命に示そうとした。ロシア人コミュニティーの著名な人物全員が、哀悼の意を政府と仏大統領未亡人に送り、葬儀に参列している。

 次のような途方もない事件さえ起きた。暗殺の翌日、パリのあるカフェのウエイターで元ロシア人将校のセルゲイ・ドミートリエフが、恥をすすごうと、自殺した。自殺前のメモに彼はこう書いている。「私はフランスのために死ぬ!」

 フランスの報道機関および国会で、奇妙な反ロシア的声明がなされたにもかかわらず、大規模な報復はなかった。ベニート・ムッソリーニも、「ロシアのファシスト」とは一線を画すと宣言した。イタリアのドゥーチェがフランスと事を構える時期はまだ到来していなかった。

「偉大な緑の独裁者」に対する裁判

法廷でのゴルグロフ。1932年7月25日。

 ゴルグロフの弁護士は、被告の行動を狂人のそれとして描き出すことで、彼の命を救おうとした。確かに、警察がゴルグロフの文書に見つけた事柄は、ある種の精神疾患をはっきり示していた。

 ゴルグロフは、「緑の兄弟」の蜂起によりロシアのボリシェヴィキ政権を倒すための詳細な計画を立てていた。そして、将来の「全ロシア民族共和国」の元首は、ゴルグロフ自身、「偉大な緑の独裁者」が就任するつもりだった。

 ゴルグロフの文書には、旗や軍将校の制服まで含めて、「新しい」ロシアの政治体制が微細に記されていた。またゴルグロフは、「独裁者」自身が発明したという、巨大な破壊力を持つ「ポータブル機器」を利用して、権力を掌握することを期待していた。

 またこれらの文書によると、ポール・ドゥメール仏大統領の暗殺後、ゴルグロフは、ドイツのパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領とチェコスロバキアのトマーシュ・マサリク大統領を殺害する計画を持っていた。驚くべきことに、ゴルグロフの将来の犠牲者に挙げられていた人物の中には、8年前に死亡していたソ連の建国者、ウラジーミル・レーニンの名があった。

 しかし法廷は、パーヴェル・ゴルグロフを精神障害者として認定することを拒否し、死刑を宣告した。宣告を受けたゴルグロフはこう述べた。

 「私は、自分自身のために、友人たちのために英雄として死んでいく。フランス万歳!ロシア万歳!私はあなた方を、死ぬその日まで愛し続ける」(アナトリー・テレシチェンコ著『銀の時代のミステリー』、モスクワ、2017年)

 1932914日、パーヴェル・ゴルグロフは、パリのサンテ刑務所でギロチンにより処刑された。

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