哲学者・科学者ボグダーノフ:文字通り不死のソビエト的人間を目指したが…

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 いくつもの風説によれば、ロシア人はどうやら、超兵士やX-メン(突然変異によって超人的能力を持って生まれたミュータント集団)の類の理論が現実であることを望んでいるらしい。悲しいかな、ソ連は「不朽の政治家」をつくろうという試みまでしか行かなかったが…(これは、それほどスゴイ企てではないかもしれないが、それでもやっぱりスゴイ。そうじゃないか?)。

 1924年にソ連の建国者ウラジーミル・レーニンが亡くなる少し前のこと、この国に秘密のグループが生まれた。そのメンバーたちは安全な場所に集まって、ボランティアを募り、輸血実験に参加させようと企てる。

 気味が悪い?あなたは、これが何らかの宗教的セクトやカルト集団だと思うかもしれない。ところが実は、正真正銘のボリシェヴィキの幹部、アレクサンドル・ボグダーノフ(本名マリノフスキー)によって運営されていたのだ。

 ボグダーノフは、レーニンに近い同志であり、ボリシェヴィキの中でレーニンについでナンバー2の地位を占めていた時期もあった。革命後は、新設された社会主義者社会科学アカデミーの総裁も務めている。

 ボグダーノフの信奉者は彼を、「偉大なる先見の明の人」と呼んだ。彼は、不死の秘密を解き明かそうとしていたのだ。ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)は、皇帝ニコライ2世をはじめ、ロシア帝国の読者の趣味に大いに合致したのである。そうした嗜好は、社会主義時代にも持ち越された。

 血と犠牲ということの意味が、戦争で200万人を失った国の神秘的な情熱に訴えた。かつて世界は、第一次世界大戦ほどの、残虐行為の規模と頻度を目にしたことはなかったから。

「なぜ彼らは、レーニンを復活させることができなかったのか?」。1924年のレーニンの死をめぐり、軍関係者にはこう書いた者が多かった。これほどの巨人が普通の人間並みに死ぬことは受け入れ難かった。

 レーニンはストレス、衰弱、栄養不良ですり減っていったように見えた。そしてこれらが一丸となって、一連の症状を引き起こしたのだが、古参ボリシェヴィキの幹部のほとんど全員が、早くも30代半ばで類似の症状に苦しんでいた。

 こんな状態に陥った彼らには、「資本主義的専制からの世界の解放」を、然るべく始める時間さえなかった。何とかしなければならなかった。

 ボリシェヴィキの黎明期のロシアが非常に実験的な国家であったことは、別に秘密ではない。「完璧なロシア人」を模索しつつ、あらゆることが試みられた。名高い性革命もそのなかに含まれる。

 当時の幾人かの科学者たちはまた、血液の神秘的な魅力にひきつけられ、人間のパーソナリティの全体が――魂も免疫システムも――血液中に含まれているという理論を立てた。

 ボグダーノフもそうした科学者だったが、それだけではない。彼は天文学に造詣が深く、熱心に星々を観測しており、とくに火星に夢中であった。そしてこの惑星に、人間の血族による社会主義的ユートピア社会のようなものを想像していた。こういう考えが彼のユートピア小説『赤い星』(1908年)のもとになっている。

 この小説は、ある科学者についての物語だ。その科学者は、赤い惑星に旅し、そこで共産主義者たちがほぼ不死を獲得していることを発見する。不死は、彼らの血の文化のおかげだった。

レーニンとの亀裂

 レーニンは、ボグダーノフの空想とSFへの関心に失望していた。これが二人の間の亀裂につながる。レーニンは、ボグダーノフが革命を「鍛える」仕事に集中するかわりに、人々に愚かな夢を追いかけさせていると信じた。

 しかしボグダーノフは、当時はあまりにも重宝な存在で、党のナンバー2であり、レーニンの流刑、亡命中は党を指揮していた。

 それでも、二人の友情は、二人の違いを乗り越えられなかった。レーニンは、ロシアの立法機関「ドゥーマ」への参加を含め、対話と協力を主張した。ボグダーノフは、そんなものに参加する気はさらさらなく、レーニンよりもさらに左に傾いていた。

 友人のレオニード・クラシンとともにボグダーノフは、ロシア社会民主労働党中央委員会の下に軍事部門を設けた。この部門が土地収用で得た資金は、レーニンとボグダーノフが支配する様々な組織に分配されるはずだった。しかしボグダーノフは、金がレーニンのほうに流れるように思い、憤慨した。

 ボグダーノフは間もなく同党から追放された。二人は、マルクス主義の解釈においても対立する。レーニンの著作はそれを反映し始め、ボグダーノフの「ブルジョア的な」構えを非難するようになる。

 この時点では、レーニンの家族でさえ、ボグダーノフがブルジョワ性を乗り越えられると思っていた。しかし、ボグダーノフの小説を各家庭で読むことが禁止される事態となっても、彼はどこ吹く風だった。

 一方、ボグダーノフは、レーニンの「絶対的マルクス主義」の理想を、いわば「旧世界の吸血鬼」とみなしていた。その追従者も吸血鬼であり、その親玉がレーニンというわけだ。

 ボグダーノフは、かつて彼が同志と考えていた人々と、紙上のジャブの応酬をしているうちに、党と仕事と信頼を失った。

 しかし、第一次世界大戦がもたらした荒廃とロシア革命の後、ボグダーノフにとって光が見えてくる。1920年代から30年代にかけて、「科学は万能である」という考えがマントラのように広がったからだ。

 作家ミハイル・ブルガーコフは、SF風刺小説の傑作『犬の心臓』を発表した。野良犬にアル中男の脳下垂体と睾丸を移植させたら、人語を話す犬男が生まれたという話だ。科学がフィクションからインスピレーションを得始めていることが明らかになってきた。その潮流の主な支持者こそボグダーノフだった。 

ボグダーノフの「科学」の問題 

 ボグダーノフが考えていたのは、我々が今日血液について知っているようなことではなかった(Rh血液型を含む血液型その他、多数の要因のこと)。彼の「科学」は危険がいっぱいで、自分自身を頻繁にモルモットにしていた。

 輸血を行う前にまず、血液を患者から採取し、滅菌容器に注ぎ、抗凝固剤と混合する。バクテリアの生成を防ぐためには、迅速にやらねばならない。

 この狂気すれすれの実験が進展する兆しを見せ始めたので、ボグダーノフの信奉者は増えていった。ボグダーノフ自身も、5〜10歳若く見えるようになったと言われているし、彼の妻の痛風も改善の兆しを見せ出していた。人々は自分の目を信じることができなかった!

 スターリン自身も、「科学の虫」にやられる。この独裁者がボグダーノフに実験を呼びかけるまでには、それほどの時間はかからなかった。スターリンは、ボグダーノフに復党を提案してさえいる。党からボグダーノフは、スターリンの前任者によって追われていた。

 スターリンは確かにレーニンではなかった。そして、もし(次の)世界大戦が起きるならば、自分にはあらゆる「刃」が必要になると信じていた。輸血の軍事申請が金を惜しまずに行われた。

 こうして、輸血研究所が1926年にソ連指導者の命令で設立され、ボグダーノフが所長に就任する。彼は、火星を舞台にしたSF小説『赤い星』で、「血の兄弟愛」を表現していたが、その魅力がついに実を結び始めたかに見えた。

 だが悲劇的なことに、この狂える科学者にしてSF作家のボリシェヴィキは、彼の若返り処置の効果を適切に研究するのに十分な時間はなかった。輸血を成功させるために、赤血球や血漿をどう扱うかも、あるいは今日行われているテストや処理についても、何も知らなかった。

 ボグダーノフは、ある個人の免疫システム全体を輸血を通じても他人に移せるかどうかに非常に興味をもっていた。結核に苦しんでいる若い男性がその理論を試すのに最適な候補であるように思われた。患者と科学者の間で1リットルの血液が交換されることになった。

モスクワのヤキマンカ通りにある旧輸血大学の建物。アレクサンドル・ボグダーノフは輸血大学の設立者だった。

 ボグダーノフは、自分の血をドラキュラのそれと比べたりしていた。人間的な苦痛から自由であると言って。だが、12回目の輸血が最後となった。

 3時間の間に、二人とも確実に容体が悪化し始めた。熱、吐き気、嘔吐――重い中毒のすべての兆候が現れた。

 にもかかわらず、ボグダーノフは輸血したことを秘密にすることにした。耐え難いほど苦しかったその日、彼は気の毒な結核患者のカルドマソフよりさらに気分が悪かった。だが、ボグダーノフは、何が起きたのか理解するために、治療をむざむざ拒否してしまった。

 ボグダーノフの腎臓は、48時間後に溶血反応により死滅した。彼の最後の言葉は、国営「第1チャンネル」が、子孫で経済学者のウラジーミル・クレバネルにインタビューしたところによると、次のようであった。

「なすべきことをせよ。我々は最後まで戦わなければならない」

 1928年4月7日、54歳でボグダーノフは死去した。

 だが、その21歳の学生(結核患者)は、生き残った。最後に試みられた輸血も、ボグダーノフを死から救うことはできなかったが、その後も医者は死因を示すことができなかった。この最後の輸血が原因でなかったことは後に明らかになった(ボグダーノフもカルドマソフもO型だった)。

 しかし、先行する11回の輸血で、適切な血液さえ拒絶されるほどの抗体ができていた。これが、我々に知られているすべてだ。

 スターリンは激怒した。ボグダーノフの血液研究所に何万ルーブルもの支出を約束していた指導者は、今やすべての科学者は舌先三寸の強請野郎だと考え始めた。

 しかし結局のところ、ソ連の血液学が非常に必要だった推進力を得たのは、ボグダーノフの研究のおかげだったのだ。

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