チューフロマの廃れた屋敷
廃虚と化したこの屋敷は、辺鄙な地のど真ん中にあり、チューフロマという人が住んでいる最寄りの村からも約8キロ離れている。オスタショーヴォという大きな村に建てられ、かつては活気で溢れていた魅力的な邸宅だったが、この村は、ソ連が直面した急速な都市化プロセスにより、20世紀に過疎化が進んだ。この邸宅の家主はサンクトペテルブルク出身の富裕なビジネスマンで、彼はオスタショーヴォ出身だった2番目の妻への贈り物としてこれを建てた。この屋敷は、擬似ロシア風の様式で建てられており、スラブ建築とビザンチン建築の異様な融合が特徴となっている。現在、この邸宅はどちらかと言うとロシア風スリラーのホラーハウスのような外見になっており、修復するために募金活動を行っている熱心なブロガーのグループを除けば、ほぼ完全に忘れ去られた存在である。
モスクワから北東へ550キロ離れたコストロマ州にあるこの地に到達するには、ガーリチ行きの電車に乗る必要がある。そして現地のバスターミナルで、チューフロマ行きのバスに乗る。この邸宅は、村から徒歩で行ける範囲内にあるが、念のため、地元住人に道を尋ねるのが賢明だろう。
チェリャビンスクの穀物用エレベーター
20世紀初頭、この穀物用エレベーターは、ウラル山脈に位置する都市、チェリャビンスクの郊外に建設された。シベリア鉄道の建設に伴い、チェリャビンスクはロシアの東部と西部をつなぐ重要な交易の駅となった。この都市は数年間で急拡大を遂げたため、エレベーターの所在地はもはや郊外ではなく、市の中央広場に位置するようになってしまった。建設終了後まもなく、この巨大な8階建ての建物は、平屋や2階建ての住宅のど真ん中に位置する超高層ビルの様を呈し、この都市のシンボルとなった。
現在、この建物は完全に放棄されており、中央部分(最も背の高い部分でもある)のみが残存している。エレベーターは来訪者に公開されておらず、新しい監視つきの駐車場が隣接しているため、入場は困難である。
このエレベーターはチェリャビンスク(モスクワから東へ1770キロの距離)の中央交易広場に位置し、この都市へは飛行機かシベリア鉄道で到達できる。
産院
この建物は、1812年のナポレオン戦争のロシア戦役でフランス軍と戦ったロシア兵負傷者のための病院の敷地内に、19世紀末に建設されたもので、当初は地域の総合病院だったが、20世紀後半に産院となり、2009年に再建のため閉鎖された。地下室や屋根裏部屋があるこの2階建ての建物の図面は、キリル文字の「П」に似ている。天井の高さは5メートル以上あり、建物は完全に放棄されているにもかかわらず、セントラルヒーティングがまだあり、依然として清潔感がある。かなりのブロガーや廃墟の愛好家などが、この場所に定期的に見学に来ている。
この病院はモスクワの東186キロに位置するヴラジーミル州にある。
廃墟と化した5つ星のノーザンクラウンホテル
サンクトペテルブルク北部の独特の雰囲気に富んだクラウンホテルの建物は、アンダーソン監督の最新作『グランド・ブダペスト・ホテル』のようなノスタルジックな雰囲気に包まれている。唯一の違いは、この建物がホテルとして営業した栄光時代を経験していないことである。建設はモンテクスグロエクスポートという名のユーゴスラビアの会社の指揮下、1988年に始まった。これは、50,000平方メートルの敷地に247の寝室や豪華なカフェ、大広間、廊下やテラスが広がる巨大な5つ星ホテルになるはずだった。建物の9割が完成していた1995年、建設作業が突然中止され、それ以来この建物は放置されたままである。神秘主義的な考えを持つ人たちは、ノーザンクラウンの不運は、サンクトペテルブルク銀行設立5周年を記念して1995年に開催されたレセプションの際に、このホテルでサンクトペテルブルク府主教イオアンが亡くなったことに、何らかの形で関係していると信じている。
このホテルは、サンクトペテルブルクのカルポヴカ川沿いの37番地にある。
ブルスニツィン邸
通りからは目立たない、廃虚となったこのチャーミングな邸宅は、サンクトペテルブルクのワシリエフスキー島にある工業地区に所在する。この邸宅は、ペテルブルクの住人で地元の皮なめし工場を所有していたニコライ・ブルスニツィンによって建てられた。この建物にまつわる不思議な話によると、有名なドラキュラの鏡が、秘密の隠し場所の壁の間に保管されているという。地元の言い伝えでは、この鏡は20世紀に、ドラキュラの塵が保管されていたベネチアン・パラッツォからここに持って来られた。この鏡がこの邸宅に持ち運ばれてから間もなく、家主の孫娘が突然死した。革命勃発後、この鏡は地元のキーロフ文化宮殿に運ばれたが、後にこの屋敷に戻された。邸宅内でさらに住民2人が死亡すると、この鏡を建物内の秘密の場所に隠す決定がなされ、それ以来、この鏡を目にした者は誰一人としていない。
この邸宅は、サンクトペテルブルク、コゼヴェンナヤ・ライン27番地にある。
忘れ去られたヴラジーミル州のゴシック城
ロシア人製材業者のウラジミール・フラポヴィツキー氏は、1880年にフランスに旅行したことがきっかけとなり、ゴシック建築の愛好家となった。旅行中、彼はヴラジーミル州にゴシック風の邸宅を建設するという賭けをした。その後の数年間で彼は、池、カスケードや小庭がついた庭園とフランス・ゴシック様式の巨大な城を築きあげた。フラポヴィツキー氏の死後、この城は放置された。第二次世界大戦の勃発前、この場所は機械を扱う技術学校によって使用された。20世紀半ばには、ホリデーセンターへと変身した。厨房で発生した大火により、城の屋根は完全に損傷され、壁の一部も破壊された。今日、この建物は完全に廃虚となっている。
この邸宅はモスクワから200キロの距離に位置し、スドグダという小さな町(3キロ離れている)の近くにある。
追記:スターリングラード
これは厳密には廃墟ではない。この不気味な光景は、フョードル・ボンダルチュク監督の映画『スターリングラード』のために、サンクトペテルブルクの近郊に建設された。一つの町すべてが、サペルニィ村の廃墟と化した元軍事基地の敷地に建設されたが、これは、戦争ものの映画では最大規模のセットであると考えられている。このシーンの建設には400人の建設労働者が従事し、完成には半年を要し、その費用は500万ドルにおよんだ。このセットには独特のディテール(ベッドの背側フレームで作られたドイツ兵墓地のフェンスなど)がたくさん見受けられ、多数の写真家を魅了している。
このセットへの入場は無料だ。セットは、レニングラード州サペルニィ村(サンクトペテルブルクから南東へ30キロ)に位置している。
*更新情報(2014年5月18日):
本記事でご紹介した場所の追加の写真は、以下を参照。
1.チューフロマの邸宅と、その地域にある他の廃れた建物の写真:Frantsouzov livejournal, Magazindomov
2.チェリャビンスクのエレベーター:ロシア語ソーシャルネットワーク上のチェリャビンスク市遺跡愛好家グループ vkontakte.ru
3.著名ブロガーのラーナ・サトールによる産院のすばらしい写真は、こちらを参照
4.5つ星ホテル 撮影:ラーナ・サトール
5.ブルスニツィン邸。撮影: ローマン・ヴェゼーニン
6.伝説的なゴシック城。撮影:ドリャ・コータ
7.『スターリングラード』のセットの写真。撮影:セルゲイ・メリニコフ
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