ソ連医師の驚異の手術:南極基地で自分の盲腸を摘出

Y.ヴェレシャーギン/TASS
 レオニード・ロゴゾフ医学博士は、信じ難い外科手術を成功させた。南極大陸のソ連の基地で、盲腸を自分で摘出したのだ。彼は一躍ソ連のヒーローになり、ほぼ同時期に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたユーリー・ガガーリンと比較された。

 信じ難い話だが、ソ連の医師レオニード・ロゴゾフ(1934~2000)が行った、自分で自分の盲腸を摘出する手術は、空前絶後というわけではなかった。すでに1921年に、アメリカの外科医エヴァン・オニール・ケインが、自分の盲腸を摘出し自分で縫合する実験を行っていた。 

 ただ、彼とロゴゾフのケースが違うのは、手術を行ったときの条件だ。米国医師は、設備が完備した手術室で、いざという場合に備えた外科医チームの立ち合いのもとで、「自己手術」をしたのだが、ロゴゾフはそうではなかった。また、彼が手術したのは、別に科学の進歩のためではなく、自分が生き残るためであった。


生死の境

 1960年、若き27歳の外科医レオニード・ロゴゾフは、第6回ソビエト南極探検隊に加わり、南極に赴いた。翌年、彼は新設のノヴォラザレフスカヤ基地で医師として働き始めた。

 しかし1961年4月29日、ロゴゾフは体調不良に陥り、衰弱、吐き気、高熱、右腹部の痛みが現れた。ロゴゾフはすぐさま診断を下した。急性虫垂炎だ。

 だが問題は、彼がこの南極基地で唯一の医者だったということ。しかも付近に、搬送のための航空機やヘリはなかったし、いずれにせよ、悪天候で飛行できる状況ではなかった。

 腹膜炎を併発し死に至る可能性があったから、ロゴゾフは速やかに決断し、行動しなければならなかった。彼の息子ウラジスラフによれば、彼の父は死と死のはざまにあり、しかも他の医師に助けを求めることはできなかったので、自分で自分を手術するしかなかった。

 「父は、自分の盲腸を摘出するために、自分の腹部を切開しなければならなかった。 そもそもそんなことが人間にできるかどうか、彼には分からなかったが」。ウラジスラフはこう述べた。 

 

自分で自分を手術するしかない!

レオニード・ロゴゾフと友人のユーリイ・ヴェレシャーギン

 4月30日、手術が始まった。 ロゴゾフは、2人の同僚をアシスタントにした。気象学者アレクサンドル・アルテミエフは、医療器具について手伝い、機械技術者ジノーヴィー・テプリンスキーは、鏡とランプを持った。

 ロゴゾフは左半身の側を低くした状態で横臥した。ノボカインで局所麻酔を施し、右腹部を12cm切開した。鏡と触診によって、彼は盲腸を探り始めた。

 ロゴゾフが内臓をかき分けながら盲腸を探しているのを見て、2人のアシスタントはめまいがした。手術に立ち会った、基地のウラジスラフ・ゲルボヴィチ隊長の回想では、2人のアシスタントは文字通り顔面蒼白となったが、落ち着こうと必死に頑張っていたという。

 手術開始から30~40分も経つと、ロゴゾフは非常な衰弱とめまいを感じたので、5分ごとに5~10秒の小休止をとって手術を進めていった。彼は手術の間、とにかく落ち着き、集中しようと努めた。

 それでも、手術の最後の方になると。ロゴゾフの忍耐はほぼ限界であった。

 「ついに見つけた。呪われた盲腸め!その根元の黒っぽい汚れに気がつき、私は恐怖した。それは、あと1日経てば破裂することを意味していた…。私の心臓は締め付けられ、脈が著しく弱まった。私の手はまるでゴムみたいに感じた。だが、このままにはしておけない、大変なことになる、残った仕事は盲腸を取り除くことだけだ、と私は思い直した」。ロゴゾフはこう振り返っている。

 手術はぜんぶで1時間45分かかり、成功した。彼の体温は5日後には正常に戻り、2日後には抜糸できた。


第二のガガーリン

 ロゴゾフが帰国すると、彼は真のセレブとして、国の英雄として迎えられた。ソ連だけでなく、海外でも人気を博した。

 ロゴゾフは新聞雑誌の記事、本、映画、歌のヒーローとなった。何百、何千もの人々がソ連および外国から手紙をよこした。彼の勇気を称え、ソ連最高の勲章の一つ、「労働赤旗勲章」が授与され、レニングラード(現サンクトペテルブルク)にアパートを与えられた。

 一時期ロゴソフは、人類初の有人宇宙飛行を成し遂げたユーリー・ガガーリンと比較されさえした。彼の宇宙飛行は、ロゴゾフの手術のわずか18日前のことだった。ロゴゾフは、自分で盲腸を手術した最初の人ではなかったが、ソ連では彼はパイオニアとみなされた。いずれにせよ、彼が「自己手術」を行った条件は恐ろしく過酷なものだったのだ。

 「2人には非常な共通点があった。いずれも27歳で、労働者階級の出身。いずれも人類史上かつてなし得なかったことを達成した。2人とも理想的な国のスーパーヒーローのプロトタイプだった」。息子ウラジスラフさんはこう言った。

 

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