革命指導者レーニンの珍しい写真10枚

ZUMA Press/Global Look Press
 ロシア革命の指導者、ウラジーミル・レーニンの写真といえば、ソ連の一般市民は、絵葉書や公式の写真などで、彼が公衆に演説したり、話しかけたりするような類のものに慣れていた。もちろんレーニンにも、別の生活の側面があったが、そういう写真はほとんど見たことがなかった。ロシア・ビヨンドは、この革命家の珍しい写真を10枚紹介する。

 レーニン(本名はウラジーミル・ウリヤーノフ)と妹のオリガ。1874年にシムビルスク(現ウリヤノフスク)で撮影したもの。家族のなかで最も仲が良かったのが、このオリガだったが、彼女は1891年に腸チフスで、わずか19歳で亡くなった。レーニンは1917年4月に亡命先からロシアに戻ったとき、まずペトログラード(現サンクトペテルブルク)のボルコヴォ墓地にある彼女の墓を訪れた。

 

 ロシアの科学者、哲学者で革命家のアレクサンドル・ボグダーノフとチェスをするレーニン。1908年にイタリア・カプリ島で撮影。作家マクシム・ゴーリキー(帽子をかぶり立っている)を訪れたときのもの。

 

 1913年にポーランドのザコパネ市付近の山を散策しているレーニン。ここポロニン村は、オーストリア=ハンガリー帝国に属していたガリシア地方にあった。レーニンは、1912年から第一次世界大戦の勃発まで、ここで生活した。彼は、スパイ容疑でオーストリアの憲兵隊に逮捕されたことがあったが、すぐに釈放されている。

 

 1918年10月16日、レーニンが、ウラジーミル・ヴォンチ=ヴルエヴィチとクレムリンを散策している。ヴォンチ=ヴルエヴィチは、政治家、歴史家で、レーニンの個人秘書であり友人であった。

 

 1918年11月7日、10月革命1周年のこの日、レーニンは、クレムリンの壁の前で、諸民族の平和と友好の記念プレートの除幕式を行う。

 

 1919年3月13日、革命家でソビエト政権の政治家、マルク・エリザーロフの葬儀が行われた。エリザーロフは、レーニンの姉アンナの夫である。彼は、上記のヴォルコヴォ墓地のウリヤノフ家の墓に葬られた。

 

 1919年11月7日、赤の広場のレーニン。10月革命2周年のこの日、レーニンは、社会主義革命を記念した労働者のデモンストレーションに臨む。

 

 1921年7月7日、レーニンは、クレムリンで行われたコミンテルン第3回大会で、メモを取る。

 

 1922年、レーニンは、作家マクシム・ゴーリキーのモスクワ州の邸宅で、犬と遊んでいる。レーニンは、亡くなる少し前に健康状態が著しく悪化したとき、ペットと遊んで神経を鎮めるように、医師から言われた。

 

 1922年、レーニンと甥のヴィクトル。彼は、レーニンの弟ドミトリー・ウリヤーノフの息子。ヴィクトルはモスクワでエンジニアとして働き、1984年に亡くなった。

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