「私はチンプンカンプンだった」と、ロナルド・レーガン米大統領は言った。ウラジーミル・メニショフのメロドラマ『モスクワは涙を信じない』を数回(一部の情報では8回)見た後のことだ。
レーガンは、米ソの関係改善の時期に、ミハイル・ゴルバチョフとの会談に先立ち、「ロシア人の神秘的な魂」への理解を深めたいと思ったそうだが、それは徒労に終わったようだ。
このメタフォリカルな題名の映画は、1980年度のアカデミー外国語映画賞を受賞した。以後、何世代にもわたり、ロシア人にとっては超人気作となり、「モスクワは涙を信じない」というフレーズは、もっぱらこの映画に関連付けられてきた。しかしそれは、本当はどういう意味だったのか?
「残酷な都市」の真相
映画は次のような筋だ。3人の若い娘が地方から首都モスクワにやってくる。大学に入り、大都市で成功を収めるためだ。ヒロインのエカテリーナは、寮のルームメイトの例に倣って、自分は教授の娘だという触れ込みで、中流のハンサムなモスクワっ子と恋仲になる。彼女はすぐに妊娠するが、嘘がバレて、彼に捨てられる。
映画の第2部は、その20年後の話だ。エカテリーナは成功し、かつての工場の織工は、今や大工場の責任者となり、娘を一人で育て上げた。しかし、彼女の私生活はさびしい。
このソ連の「おとぎ話」はハッピーエンドだ。セルフメイドウーマンとソ連の中流についての、この物語は、いわば一回りして終わる。エカテリーナはついに「理想の男性」に出会う。
この映画は、今でもアクチュアルな人生の真実を描いた点で、高く評価されている。多くの地方人にとって、首都で「一旗揚げる」のは切実な夢だ。その実現の方法は、今でも変わっていない。
「モスクワは涙を信じない」。いくら涙を流し、苦しみを訴えても、またどんな問題があろうと、それは相手の同情を引かず、問題の解決に役立たない――。こんな場合に言われる言葉だ。
ウラジーミル・ダーリの『ロシアのことわざ集』(1862年)には、こんな説明がある。「誰の同情もそそらない。誰もがよそ者のようである」
作家ニコライ・レスコフの中編小説『けんかっ早い女』(1866年)には、ヒロインのこんな独白がある。
「あたしの涙を見てよ、なんて人は言う。ふん、涙がどうしたのよ?と私は言う。まあ、確かに涙は涙で、私もあなたがとても可哀想だけど、諺に言う通り、『モスクワは涙を信じない』。涙を流したからってお金をもらえるわけじゃないしね」
モンゴル・タタールの徴税
このフレーズは、レスコフの作品よりもはるかに古く、さらに約4~5世紀遡る。
一説によると、この言葉は、古代ロシアのモスクワ大公、イワン・カリタの時代に現れた。彼は、モンゴル・タタールの「徴税吏」となり、過酷な税の取り立てで知られる。
チンギス・カンの孫バトゥがロシアに襲来したのは13世紀。それは、ロシアでいくつもの公国が群雄割拠していた封建時代だ。
モスクワ大公、イワン・カリタは、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)とは、話をつけて妥協すべきという立場だった。ハンとの合意のうえでイワン・カリタは、ロシアの公たちから多くの貢納を集め、その見返りに、自分たちへの懲罰的な攻撃を止めてもらった。実際、モンゴル・タタールの襲撃は40年間にわたって止み、その間にモスクワ公国は国力を回復させ、強化し、ついには彼らを撃退するにいたる。
しかし、その間、カリタの徴税は苛烈を極めた。歴史家たちの見解によれば、その額は、小さな国家の年間予算に匹敵した。
カリタは、他の公たちに多大な影響力を行使する手段を得ただけでなく、多額の貢納に加え、モスクワ公国のために「上納金」を要求した。かくして、各公国の請願者がモスクワに大挙してやって来た。涙を流しつつ、彼らはカリタに減額を乞うたが、カリタは断固はねつけた。
しかもカリタは、民衆の騒乱を厳しく弾圧し、請願者らを公の場で罰した。これが、「モスクワは涙を信じない」というフレーズの由来だという。
カリタは、1340年までモスクワ公国を治め、その治世に莫大な富を蓄えた。ちなみに、昔のロシア語では「カリタ」は金袋を意味した。
モスクワの圧政
「モスクワは涙を信じない」の由来に関するもう一つの説は、15世紀のイワン大帝(3世)に関連している。ちなみに、「大帝」の呼称には十分な根拠がある。彼の主な成果は、1480年にモンゴル・タタールによる支配からついにロシアを解放したことだ。
イワン3世の下で、ロシアは統一国家となった。このツァーリは、各地の所有権を買い取ってモスクワ公国に併合したり、武力で征服したりした。15世紀後半の主な領土取得は、ノヴゴロド共和国だ。これは、人口は少ないが、天然資源が豊かで、海への出口をもっていた。
このときにフレーズが生まれたという説がある。すなわち、「モスクワはつま先で蹴り、そしてモスクワは涙を気にかけない」。「つま先で蹴る」とは、相手の足をつま先で蹴って、相手のバランスを崩し、仰向けにする戦術を意味する。