ロシア人なら誰でも大好きな鶏肉のカツレツ3つ

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 鶏肉を使った新しいレシピがもうないというあなた。ロシアのジューシーなカツレツのレシピで皆を驚かせてみては?

 ロシアにカトレータ(カツレツ)というものがもたらされたのは、ピョートル1世がヨーロッパ料理に関心を持ったおかげである。歴史研究者たちはロシア語の「カツレツ」は、フランス語のコートレットあるいはドイツ語のコットレットの借用語であると考えている。もともとは骨つき肉のことをコトレトを呼んでいたが、1870年代から挽肉を小判形に整えて焼いたものを指すようになった。以来、カツレツは皆に愛されるようになり、誇り高き主婦たちの自慢の料理となった。鶏肉のカツレツは固くなってしまうことがあるのだが、そうならないようにする方法がいくつかある。

1.ポジャルスキー・カツレツ

 表面はカリカリ、中はしっとりジューシー。これがこのポジャルスキエ・カツレツの魅力である。伝説によれば、このカツレツを初めて作ったのはトルジョク(ペテルブルクとモスクワの中間)の料理店主、エヴドキム・ポジャルスキーである。店の近くを通るアレクサンドル1世に出すカツレツを用意するのに仔牛肉がなかったのだが、そこで思いついたのが鶏肉を代用するというアイデアであった。ポジャルスキーは、鶏肉の挽肉で作ったカツレツですっかり有名になった。そこでは鶏肉を柔らかくするためにバターが加えられた。バターは挽肉に溶かした状態、または凍ったものをすって加えた。また表面にはパン粉がつけられ、表面がカリカリとして食欲をそそった。レシピはこちら

2.キエフ風カツレツ

 フランスの「ド・ヴォライユ」を原型としたキエフカツレツはエリザヴェータ・ペトローヴナ女帝の治世のルーシに登場した。エリザヴェータ・ペトローヴナは学生たちをフランスに留学させ、そこから新たなレシピを持ち帰らせた。ソ連の文献にキエフカツレツについて最初の記述が出てくるのは1913年から1914年にかけての「主婦のための雑誌」。当時のキエフカツレツは挽肉の中にバターのかけらを入れ、卵とパン粉をつけて焼くというものだった。挽肉の代わりに、叩いて薄く伸ばした鶏のフィレ肉が使われるようになったのは後になってからである。ロシア料理の研究家、ヴィルゲルム・ポフリョプキンによれば、戦時中はこの料理がすっかり忘れられ、それが再び蘇ったのは1947年のこと。外交団がパリからキエフに帰ってきたときに作られたという。その後まもなくこのカツレツがキエフのレストランで出されるようになり、その後、モスクワの「インツーリスト」ホテルへと広がり、ソ連中のホテルのメニューに載るようになった。レシピはこちら

3.カツレツ「メトロポール」

 1960年代、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の「メトロポール」レストランで鶏肉のレバーを中に入れた新しい鶏肉のカツレツが考え出された。キエフカツレツと同様に鶏のフィレ肉を使うのだが、中には、少し火を通して、タマネギと一緒に肉挽き器にかけた鶏のレバーが詰められた。レバーを包んだカツレツにパン粉をつけて、フライパンで焼いたのがカツレツ「メトロポール」である。レシピはこちら

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