質素から半裸まで

ソ連最初の有名な女性流行歌手と言えば、女優でもあったリュボフィ・オルロワ(1902-1975)=ロシア通信撮影

ソ連最初の有名な女性流行歌手と言えば、女優でもあったリュボフィ・オルロワ(1902-1975)=ロシア通信撮影

 女性歌手のディナ・ガリポワ(22)は、今年5月にスウェーデンで行われた「ユーロビジョン2013」にロシア代表として出場し、「もしも(What If)」を歌って5位に入賞した。ガリポワはこれより以前、ロシア版「ザ・ヴォイス」に出場し、優勝している。しかし、ロシアのスターを西側の有名な女性歌手と比較してどうかと聞くと、大抵否定的な答えが返ってくる。それはなぜだろうか。ロシアの音楽業界のルールは特殊で、しかもスターリンの独裁政権下で生まれた文化政策にそのルーツがあるからだ。

Eurovision-2013 (final):Dina Garipova - What If (ロシア)

 

控えめな愛国女性も踊る 

 スターリン時代の平均的な女性流行歌手と言えば、愛国主義的なイメージをアピールしつつ、長いグレーのドレスに身を包む、控えめな女性だった。第二次世 界大戦前のソ連では、有名な女性流行歌手のほとんどが、伝統的なロシアの民族音楽や19世紀のロマンスの曲を歌っていた。それでもソ連映画のなかで歌う時は踊ることも許されるという、ある程度の自由が存在していたことも事実。スターリン時代にはモスクワのモスフィルムなどの国営映画撮影所で、たくさんの コメディーやミュージカルが制作された。

 ソ連最初の有名な女性流行歌手と言えば、女優でもあったリュボフィ・オルロワ(1902-1975)。

 肌を見せてはいけない!という厳しい「エンターテーメントの性的要素禁止」規定は、ソ連崩壊まで続いた。1986年にソ連のレニングラード市とアメリカ のボストン市で中継対話が行われた際、ソ連女性委員会の代表は「ソ連にセックスはありません」と発言した。正にこの時代ならではの名言を、人々はいまだに 覚えている。

 オルロワは映画監督のグリゴリー・アレクサンドロフと結婚。ハリウッドで数年間経験を積んだ、スターリンお気に入りの映画監督の一人だった。アレクサンドロフ監督は新しいタイプのソ連男性を描き、さらに妻を主役として起用した。

Lyubov Orlova - Streams gurgle

 第二次世界大戦後は、愛国主義的な歌の歌手に需要があった。クラヴディア・シュリジェンコ(1906-1984)は正にそんなタイプ。やわらかくて悲しげな声で、戦時中に困難に直面したソ連市民の心の傷をいやした。最初のLPレコードは1954年に発売。

Claudia Shulzhenko – Blue shawl

 

鉄のカーテンの向こうでの“国際化” 

 スターリンが死去してフルシチョフが書記長に就任すると、一定の自由化が始まった。これは1960年代半ばまで続き、ヘレナ・ヴェリカノワ(1922-1998)などの新しいタイプの女性歌手や、そのメガヒット曲「スズラン」などが生まれた。

 ヴェリカノワは高く澄んだ声を医療過誤で失うまで、いくつもの名曲をレコーディングし続けた。

Helena Velikanova - Lily of the valley

 エディタ・ピエハ(1937-)は、ソ連のポップス界で珍しいタイプの歌手だった。フランスのパリ生まれで、両親はポーランド人。レニングラード国立大 学の留学生としてソ連を訪れた。ピエハの正式な歌手としてのキャリアは、「ドルジバ(友好)」という名のバンドにメンバー入りした1957年頃に始まる。

 何と言ってもポーランド語なまりのロシア語が特徴だ。ピエハが現れるまで、外国語なまりでロシア語を話す人々は、ソ連のメディアや映画でスパイや悪党として描かれていた。

Edita Piekha - Our neighbor

 アンナ・ゲルマン(1936-1982)もポーランド人歌手で、異なる言語で歌を歌うことで知られている。多くのソ連の作曲家が、ゲルマンのために歌をつくった。1970年代半ばにスポットライトを浴び、ソ連の中年女性のお気に入りになった。

Anna German - Echo of love

 

女性歌手は「停滞」しなかった 

 ブレジネフ時代は現代において一般的に「停滞」(1964-1982)と呼ばれているが、さまざまな世代のソ連の女性流行歌手がこの時に登場した。マイヤ・クリスタリンスカヤ(1932-1985)やワレンチナ・トルクノワ(1946-2010)のような保守的な「主婦」タイプから、アーラ・プガチョワ (1949-)やソフィヤ・ロタル(1947-)のような若くてエネルギッシュなタイプまでの、異なる歌手が活躍。

Maya Kristalinskaya - Tenderness

Valentina Tolkunova - Standing on a station

Alla Pugacheva - Arlekino

SofiaRotaru - Myhomeland

 

ペレストロイカで地下から飛び出す 

 ミハイル・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカを始めると、アンダーグラウンドなバンドを含む、従来とは違うタイプの女性歌手がソ連のテレビに出演でき るようになり、すぐにヒットが生まれた。マーシャ・ラスプーチナ(1965-)やジャンナ・アグザロワ(1962-)は、このようなシンガーのほんの一部 だ。

Masha Rasputina - Play, Musician, play!

Zhanna Aguzarova - I’m feeling well being near you

 1990年代初めにソ連が崩壊すると、新たな西側タイプのショー・ビジネスがロシアで誕生。すると若い女性が全国レベルのテレビやラジオの番組に出演することは難しくなった。力強い財政援助者や適切なコネ、いわゆるパトロンがいなければ、なかなか参入できなかった。

それでもタチヤナ・ブラノワ(1969-)、アリョーナ・スヴィリドワ(1962-)、ヴァレリヤ(1968-)などの女性歌手が1990年代に活躍した。

 

口パク禁止法 

 1990年代には女性歌手をめぐるさまざまな噂も立つようになった。そのほとんどが、才能のない歌手がセクシーな見た目だけでプロデューサーに起用され、ステージで口パクをしているというもの。

 口パク疑惑はいまだにロシアでホットな話題だ。この状況を見かねたロシア下院(国家会議)は、口パクの明示なしに口パクで歌うことを禁じる法案を可決。 事前に録音された音に合わせて歌うことを示す特別な警告を、ポスターやライブのチケットに表示することをシンガーに義務づけるものだ。

Tatyana Bulanova – Elder sister

Alena Sviridova – Pink Flamingo

Valeria - Plane

 

引退のない伝統? 

 2000年代に入ると、インターネットの拡散やテレビ番組によって、無名のシンガーが突如として大ブレークすることが増えた。

 男性用勃起不全治療薬のような名称の女性グループ「バイア・グラ」は、シンガーのセクシーな見た目とひんぱんなメンバー交代で有名だ。すでに元メンバー は13人以上になっている。アイデアの基本となっているのは、イギリスのスパイス・ガールズの人気。ヴェラ・ブレジネワのように、ソロで活動を始めるバイ ア・グラの元メンバーもいる。ブレジネワは2007年、男性用雑誌「マクシム」で、ロシアでもっともセクシーな女性に選ばれた。

Via Gra – Attempt №5

Vera Brezhneva – Love will save the world

 1970年代、1980年代、またそれ以降のロシアの女性ポップ・シンガーの多くは、いまだにテレビやライブに出演し、レコーディングや動画撮影などをこなしている。だが整形手術やアンチエイジング薬の広告が、世界のショー・ビジネスのルールを変えている。

 ショー・ビジネスの世界に何年も身を置くと、その高い地位から抜けられなくなり、若い世代を入れたがらなくなるのは、もしかしたら皇帝や共産党書記長から受け継いだロシアの伝統なのかもしれない。誰もこの世界を離れようとはしないのだ。永遠に。

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