エアロビクスの練習=
ヨシフ・ブドネーヴィチ/タス通信月曜日の朝、職場のオフィスで立ち、上司の不自然に元気な声のもと、足をあげ、体を横に曲げて、腰を深く落とす。コーヒーは冷め、ケーキは固くなっていく。痛み、恥ずかしさ、肉体負担は、就業日の朝の能力を10倍超えるもの。
これを嫌だと思うなら、ソ連の生活は厳しいものになる。自発的なフィットネスは、ソ連市民の日課であった。フィットネス産業のない国で。仮にフィットネスがあったとしても、わざわざ高いお金を払って通うことなど誰もしなかったであろう。この5分間の「元気」は、コルバサ(サラミまたはソーセージ)を求める行列や5月1日のパレードのように、当たり前にあることだった。
とはいえ、体操用に特別に時間を割くことは必須ではなかった。学校の授業中に、疲れを取るために立って骨盤を動かすこともできたし、作業台のわきで皆で体操をすることもできた。
ソ連式フィットネスのあるあるを思いだしてみた。
子ども向けラジオ番組「ピオネールの夜明け」から、運動とのかかわりが始まっていた。しつこい音のなる番組を、ソ連の子どもの誰もが嫌っていた。「おはよう、同志。体操の準備をしましょう。背中を伸ばして、頭を高くあげて、肩を少し前に」という声が響く。
隣の年金生活者は毎朝7時、マンション内のどこでも聞こえるように、ピオネールの夜明けをつけていた。学校の体操にも、これが使われていた。子どもたちが夏の半分をキャンプで過ごす時も、このピオネールの夜明けが鳴り、うんざりさせた。さわやかな朝の「エルム街の悪夢」であった。
ソ連政府は1956年、ピオネールの夜明けの年齢枠を外すべく、大人向けの生産体操を考案した。部隊、団体、グループの責任者の思いやりに満ちた指導のもと、体操が行われた。
生産体操、リヴィウ、1969年= B.クリシュトゥル/ロシア通信
裁縫師、旋盤工、搾乳係、または工作機械作業員などの集中した顔は、国民の健康および国家の安全保障の礎と考えられていた。工作機械作業員は体操をする際、工作機械を壊さぬようバランスを取ろうとがんばっていた。職場の自分の1平方メートルの場所では、体を思いっきり動かすことはできない。時に危険でさえある。そのため「妥協」が見いだされた。ある研究所では、秘密の指導が書かれた。「レリーフ彫刻を壊さぬよう、『その場かけ足』の代わりに、足を使わない『その場かけ足』をする」と。
股関節をまわす運動は原始的である。だがフラフープと「健康円盤(回転円盤)」が加わると、すごい運動になる。これらの運動器具は職場ではなく、家庭やダーチャ(別荘)にあった。
1960年代、女子、女性がフラフープを使っていた。効果を全身で感じることができるのが、その魅力であった(フラフープは体のいろいろな場所でまわすことができた)。
健康円盤とは、一軸が固定された2枚の円盤である。円盤の上に立ち、抵抗に逆らって体を左右に動かす。女性は目的を持ってこれを使用し、子どもはこれに座って気持ち悪くなるまでまわり、男性はこれの上にテレビを置いて自分の居場所に合わせて動かしていた。
アメリカの女優ジェーン・フォンダはエアロビクスを流行させたが、ソ連には模倣者がいた。ソ連のテレビでは、シンセポップ風の音楽に合わせて、ソ連版ジェーン・フォンダがリズミカルに動いていた。
レオタードとレッグウォーマーという特別なセットを着用して、リズム感を鍛え、汗を流していた。主婦たちはテレビの前で派手に飛び跳ね、そのたびに隣人らの天井からはモルタルが落下していた。
ソ連の児童は、鉄棒で360度回転する「太陽」を習得しようと、がんばっていた。これは自分のすごさを示す方法であり、屋外で他の児童から尊敬を得る方法であった。
ソ連後期、マンションの地下は「ジム」化していき、変わったトレーニング用具が装備された。コンクリート製のバーベルは、その典型であった。
ソ連の体操の種類には次のようなものがあった。
1. 「ベリョスカ」
仰向けになって、肩甲骨を軸に、手で腰を押さえながら、足をまっすぐ上に伸ばす。この状態を30秒~1分保つ。
画像:ロシアNOW
2. 「ボチカ」
仰向けになってひざを曲げ、手でひざ下を押さえて、体を前後に揺り動かす。
画像:ロシアNOW
3. 「コシカ」
四つん這いになって手足を肩幅に開く。背中を丸めたり反らしたりする。
画像:ロシアNOW
4. 「ナソス」
体を横に左右に曲げる。
画像:ロシアNOW
5. 顔のマッサージ
頬を上と横に思いっきり引っ張って(8回)、顔のたるみを防ぐ。
画像:ロシアNOW
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