北部の糖焼き菓子には男性が必要

ロシア北西部の「コズリャ」=

ロシア北西部の「コズリャ」=

アレクサンドラ・クラフチェンコ
 おいしい菓子として食べ、結婚式に贈り、子どものおもちゃとして使い、数十年保管できるものとは何だろう。すぐには思いつかないはず。それは、ロシア北西部の「コズリャ」という糖焼き菓子だ。

 コズリャとは、特別で、最も歴史の長い儀礼用プリャニク(スパイス入り糖蜜焼き菓子)かもしれない。ロシア北西部、北方沿岸地方、ムルマンスク市、カルゴポリ市、アルハンゲリスク市、ウラル地方でつくられている。コズリャは、生地をクマ、トナカイ、ヘラジカなどの北部で崇められている動物の形にして焼き、アイシングで装飾する菓子。コズリャという名前は、北方沿岸地方の言葉で、「巻き」、「ヘビ」を意味する。

 最初にコズリャが登場したのは7世紀。異教徒の伝統的な太陽の誕生、春の訪れ、家畜の初めての放牧、収穫などの農耕、畜産に関連するいけにえに替わる、儀式だった。その後、北部でクリスマスを祝う伝統が生じ、コズリャは冬でも焼くようになった。時の流れとともに、異教の祝いごとはその意義を失い、コズリャを焼く冬の儀式はアルハンゲリスク州とムルマンスク州の住民の日常の生活と文化に定着した。

コラ半島のコズリャ

 コズリャには複数の種類がある。中でも最も有名なのはテルスクとアルハンゲリスクのコズリャ。テルスクの塑像コズリャが、歴史的により古いと考えられている。当初はライ麦の生地からつくられていた。コズリャで大切なのは形。テルスクのコズリャは女性を象徴するまん丸の生地からつくられ、男性を象徴する撚りの生地が上の部分につけられ、枝わかれする角のあるトナカイやヘラジカの概形ができる。焼く前に生地を外に出して凍らせ、次にペチカに入れて、表面が黄金色になるまで焼いていた。焼きあがった形は、美しい光沢がでて、頑丈になるように、熱湯に漬けていた。11世紀にルーシでシナモンやクローブなどのスパイスが普及するようになると、コズリャにはスパイスが加えられるようになった。このようにして登場したのが、平で型抜きされたアルハンゲリスクのコズリャである。

男の仕事

 伝統的に、コズリャづくりには男性を含む一家全員が参加した。家庭のレシピは代々受け継がれていた。父親はブリキ製の型をつくり、生地をこねた。コズリャの生地はとても密で粘性があり、女性には難しい作業だったからだ。女性は生地を平に伸ばして型抜きをし、焼いた。子どもはアイシングで飾りをつけた。アルハンゲリスクのコズリャの茶色は、地元の住民にとって大切な木と大地を象徴し、白とピンクのアイシングは雪とオーロラを象徴した。このような白とピンクの模様の入ったコズリャは、家に幸福と富をもたらすと考えられていたため、クリスマスの後には飾り物としてコズリャをいくつか家に残し、それを食べたり、捨てたりすることは決してなかった。コズリャは家庭で子どもが誕生した時、聖名日、結婚式の定番の贈り物であった。アルハンゲリスクのコズリャにカビが生えないのは不思議だ。シナモンやクローブなどの天然防腐剤が入っていることで、数年保存可能である。そのため、昔はコズリャを子どものおもちゃや、あらゆる祝いの贈り物として使っていたのである。

アイシング材料

\tタマゴ 1個\t粉砂糖 200グラム\tビーツの汁 大さじ5杯

生地の材料

\t小麦粉 850グラム\tバター 200グラム\t砂糖 2カップ\tタマゴ 3個\t粉末クローブ 小さじ3杯\t粉末シナモン 小さじ3杯\t水 3/4カップ\t 塩 ひとつまみ\tソーダ ひとつまみ

つくりかた

1.     底の厚い鍋に砂糖と水を入れて、弱火で砂糖が溶けるまで煮る。火を強くして、茶色いカラメルソースになるまで煮る。

2.     カラメルソースにバターを加え、均一になるまで混ぜ、クローブとシナモンを加える。そして冷ます。

3.     別容器で卵を軽く溶いて、カラメルソースの中に加えて、均一になるまで混ぜる。

4.     その後ふるった小麦粉を少しずつ加え、生地状にする。

5.     生地を丸くして、タオルで巻き、気温の低いところに1日置く。

6.     生地を3.5~5ミリの厚さに伸ばして、型をつかって型抜きし、1.5センチの間隔をあけながら天板に置いていく。200度に熱したオーブンで5分焼く。

7.     アイシング用に、卵白と粉砂糖を混ぜて、二つの容器にわける。一つ目のアイシングにはビーツの汁を入れて混ぜる。

8.     細口のしぼり袋にアイシングを入れて、好きなように装飾していく。1時間から1時間半置いて、できあがり。