1/ 『Т-34』(邦題は『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』)(アレクセイ・シードロフ監督、2018年)
興行収入:23億ルーブル(2500万㌦)
ドイツ、1944年。ドイツ軍司令部は、鹵獲した赤軍の兵器を使って、戦車兵を訓練することにした。捕虜となったソ連の戦車兵には、戦車「T-34-85」が与えられ、演習場に送られて、そこで標的となるはずだった。しかし、兵士たちはそんな運命はご免で、逃亡を決意した…。
俳優アレクサンドル・ペトロフは、主役であるニコライ・イヴシキン中尉の役づくりについて、こう振り返っている。
「『T-34』の撮影前に、ごく狭い部屋を数週間借りて、戦時中の写真で壁面をすべて覆った。戦士、捕虜、占領下の人々…。私は毎日そこに来て、電話を切り、数時間を過ごし、本を読み、考え、これらの顔や眼差しに見入った。こうして私は役に入り込んでいった」
壮大で迫力満点の戦争映画『T-34』は大ヒットした。CGが随所に駆使され、ところどころ有名ゲーム『World of Tanks』(ワールド・オブ・タンクス)を思わせる。そして、このアニメっぽさを好まない人が多かった。
たとえば、『アフィーシャ・デイリー』誌の批評家マクシム・スカグゾフは次のように指摘している。
「この映画が描く戦争は、学童向けで、 IMAX でスリル満点の、『ワイルド・スピード』の戦車版といったところだ」。
2/ 『スターリングラード』(フョードル・ボンダルチュク監督、2013年)
興行収入:17億ルーブル(1800万㌦)
1942年。破壊されたスターリングラードの家屋の1つに、5人の赤軍兵士が隠れる。孤児の少女カーチャがそこに身を隠していた。兵士たちは彼女を保護し、次第に彼女への同情を強めていく。
『スターリングラード』は、IMAXの3Dフォーマットで撮影された初のロシア映画となった。アカデミー国際長編映画賞(当時は「外国語映画賞」)にノミネートされたが、最終候補には含まれなかった。
興味深いことに、映画スタッフの一部はすでに、この有名な戦いに関する映画に参加したことがあった。
1989年のソ連の大作『スターリングラード』には、フョードル・ボンダルチュクとアンドレイ・スモリャコフが俳優として出演している。1993年の同名のドイツ映画では、ドイツ軍大尉ピョートル・カーンを演じた俳優トーマス・クレッチマンが出ていた。
3/ 『正義の人』(セルゲイ・ウルスリャク監督、2023年)
興行収入:6億4200万ルーブル(700万㌦)
占領下のベラルーシ、1942年。ゲットーから奇跡的に救出された270人のユダヤ人が、パルチザン部隊のある拠点にやって来た。しかし、パルチザンたちには、彼らを養う可能性はなかった。そこで、政治将校ニコライ・キセリョフは、彼らを前線の後方に脱出させる命令を受ける。
この映画は実話に基づいている。1か月以上にわたり、キセリョフと7人のパルチザンは、疲弊しきった人々を森の中へ引き入れ、しばしばドイツ軍の待ち伏せに遭遇した。278人中218人が前線後方に脱出できた。
2005年、イスラエルの「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム)は、キセリョフに対して「諸国民の中の正義の人」の称号を授与した。彼が救った人々の子孫は、彼の追悼のために、毎年テルアビブに集う。
4/ 『エア』(アレクセイ・ゲルマン・ジュニア監督、2023年)
興行収入:5億400万ルーブル(5500万㌦)
1942年のレニングラード州。包囲下のレニングラード(現サンクトペテルブルク)の空を守る戦闘機連隊の1つに増援が到着する。若く経験の浅い女性パイロットたちだ。彼女らは、恐るべきドイツ空軍のエースたちと死闘を繰り広げることになる。
映画の撮影では、レシプロ練習機「Yak-52」が使われ、CGの助けを借りて、ソ連の戦闘機の映像に変えられた。アレクセイ・ゲルマン・ジュニア監督が述べたように、撮影スタッフは、最大限のリアリズムを目指した。動きの軌跡と物理特性、翼の揺れ、胴体の横滑りを再現した。
「我々にとっては、深い、感情のこもった、興味深い映画を作るだけでなく、スクリーン上で起きている出来事の臨場感をできる限り伝えることも重要だった。すなわち、コックピット内のパイロットの感情、飛行場での生活、そして真正な感情…」。監督はこう語った。
>>>アレクセイ・ゲルマン・ジュニア監督の『エア』、東京国際映画祭で世界初上映
5/ 『セヴァストポリの戦い』(邦題『ロシアン・スナイパー』、セルゲイ・モクリツキー監督、2015年)
興行収入:4億3600万ルーブル(4700万㌦)
この映画は、史上最も成功した女性スナイパー、リュドミラ・パブリチェンコの伝記に基づいている。彼女は、確認戦果309人の敵将兵射殺という傑出した結果を残している。
女優ユリア・ペレシルドは、妊娠7か月であることを監督に隠しながら、主役のオーディションに合格した。撮影は女優が産院を退院すると間もなく始まった。
『セヴァストポリの戦い』は、ロシアとウクライナの最後の共同映画プロジェクトの1つとなった。この映画は、ウクライナでは『不屈のひと』と題され、両国で成功を収めた。