第二次大戦の東部戦線を写した20枚の有名な写真

Timofey Melnik/Sputnik, ロシア防衛省
 これらの衝撃的な写真に、史上最も過酷な戦争の本質が写されている。

ナチス・ドイツの侵攻を伝える6月22日の政府ラジオ発表を聞くモスクワ市民。
1941年の東部戦線のドイツ兵。
バルバロッサ作戦初期のドイツ軍歩兵。
ゲシュタポと武装親衛隊のトップである親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーがソ連領内の捕虜収容所を視察。1941年8月。
1941年11月のレニングラード包囲の際のソ連兵ら。
ウクライナのドイツ軍陣地に対する戦闘に兵士らを導く政治将校アレクセイ・エレメンコ。1942年7月12日。彼はこの写真が撮られた数分後に戦死した。
スターリングラードの鉄道駅前広場の「バルマレイの泉」。第二次世界大戦中にドイツ空軍に破壊された。
スターリングラードでの市街戦。1942年11月。
スターリングラード攻防戦が終わり、ドイツ人捕虜を連れるソ連兵。
パルチザンの処刑。1943年冬。
1943年7月のクルスクの戦いでナチス軍を攻撃するソ連のIl-2攻撃機。
1943年7月のクルスクの戦いの一局面、プローホロフカで進撃するソ連軍。
第2ベラルーシ戦線の砲兵隊。1944年。
解放されたユーゴスラビアのオモリツァ村で子供を抱く赤軍親衛隊のセルゲイ・イワノフ大尉。1944年10月。
赤軍に解放された直後のオシフェンチム(アウシュビッツ)絶滅収容所の囚人らとソ連の医師ら、および赤十字の代表者ら。1945年2月初旬。
1945年2月4日から11日に行われた連合国3ヶ国によるヤルタ会談。写真中央に腰掛ける3人は、左から順に英国首相ウィンストン・チャーチル、米国大統領フランクリン・D・ローズベルト、ソ連邦元帥ヨシフ・スターリン。
ブレスラウ(現ヴロツワフ)近郊のソビエト軍の攻撃。1945年3月。

米軍兵のバイロン・シヴァーと赤軍兵のイワン・ヌムラゼ。ドイツのトルガウ近郊、エルベ河畔での米軍とソ連軍の会合にて。1945年4月25日。
ベルリンの国会議事堂に掲げられたソ連の「勝利旗」。1945年5月1日。
交通整理兵マリア・シャリネワ。ベルリンのアレクサンダー広場にて。1945年5月1日。

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