1. ロシアのクリスマスは1月7日
1917年の革命より以前、ロシア帝国ではカトリックその他の宗派と同様、12月25日にクリスマスを祝っていた。しかし1918年にソビエト新政権がグレゴリオ暦に移行し、この新暦に合わせてあらゆる日付が13日ずれた。結果、クリスマスは1月7日になった。
こうした不便を解消する術もあったが、ソビエト政権はすでに宗教弾圧を開始しており、新たに新年を1年で最も大規模に祝う祝日に設定した。こうして、クリスマスは新年の後にくることになる。
なお、1月7日にクリスマスを祝うのは、ロシアだけではない。エルサレムのギリシャ正教会、ジョージア正教会、セルビア正教会も同様である。
2. ソ連時代、クリスマスは禁止されていた
クリスマスを祝う習慣は民間の意識に深く根付いており、ソビエト政権はその対策に苦心した。ボリシェヴィキは当初は見て見ぬフリをしていたため、多くの人々は子供たちのためにクリスマスツリーを飾り、密かに祝い続けた。
しかし1929年、スターリンは対宗教闘争を強化するべく、ついにクリスマスを祝うことを禁止。休日だった1月7日は、普通の労働日になる。隠れて祝い続ければ、仕事や自由を失う危険があった。それでも、人々は強制収容所の中でさえクリスマスを静かに祝うために集い、密かにクリスマスカードや手作りの贈り物を準備した。
子供たちの楽しみのため、クリスマスツリーの伝統は新年ツリーに変えられ、新年は派手なお祝いとプレゼントが伴うようになった。クリスマスが公式に許可されたのはソ連崩壊後だが、実際には、破壊を免れた教会では密かに儀式が行われ続けていた。
3. クリスマスは愛される行事だが、ロシア正教の最も重要な行事ではない
カトリックにとってクリスマスは最も大事な宗教行事であり、非常に多くの人々が盛大に祝う。しかしロシア正教会の伝統は異なり、最も重要とされるのは、キリストの復活を祝う復活祭である。
復活祭の優位を、聖職者は使徒パウロから以下を引用して説明する:
「もし死者の復活が無いならば、キリストも甦らなかっただろう;もしキリストが蘇らなかったとしたら、我々の宣教は空しく、あなたがたの信仰もまた空しい」(コリントの信徒への手紙15章13-14)
4. クリスマスは、家族の静かな祝日
カトリック同様、正教会でもクリスマス前に斎戒がある。11月28日に始まり、1月6日に終わる(従って、教会に通う敬虔な信徒は新年のお祝いも質素な食事で済ませ、アルコールも摂取しない)。クリスマスの前日を、ロシアではソチェリニクという。夕方の礼拝のあと、家族そろって食事をするのが伝統だ。
一番星が出現するまで斎戒を続け、その後夕食が始まる。最初に食べるのはクチヤと呼ばれる、蜂蜜入りの米もしくは小麦の甘い粥だ。そこから、ローストした仔豚もしくはガチョウといったメイン料理になる。
ソチェリニクにはキリストの十二使徒にちなみ、12品の料理を用意するのが習わしだ。そのため、かつてはブリヌイやパイ、甘い菓子など、多くの料理を作った。しかし現在では、12品という約束事を守っている人は少なく、ローストしたガチョウやカモ、サラダを2~3品、前菜とつけあわせ程度に品目を絞るのが一般的だ。
5. クリスマスのお祝いは12日間続く
クリスマスイブから神現祭(1月19日)の前日までの期間は、ロシアの伝統ではスヴャトキと呼ばれる。斎戒を終えた人々は大いに祝い、楽しむ。人々は着飾って歌い踊りながら隣近所を訪ね歩き、ご馳走を集めるコリャーダという風習もあった。
また、スヴャトキは占いの時期でもあった。主に若い女性が夜ごとに集まって、将来の婚約者や、その年の収穫を占ったりした。ロウソク、影、鏡、ニワトリなど、様々なものを使った占い方があった。もっとも、占いは不浄の力と関わるものとされたため、教会はそういった風習を認めなかった。スヴャトキの時期にはそうした力が特に活発になると考えられていたため、普段以上に注意するよう求められた。
スヴャトキは、ニコライ・ゴーゴリが『降誕祭の前夜』で鮮やかに描写していることで良く知られている。