『戦艦ポチョムキン』の1シーン
Sergei Eisenstein/Goskino, 1925ソ連映画の創成期における代表的な監督は、セルゲイ・エイゼンシュテイン、ヤーコフ・プロタザノフ、ジガ・ヴェルトフらであり、彼らの作品は世界の映画界に影響を与えた。
1917年の十月革命における最も重要な出来事を描くこの映画は、断片的にしかフィルムが残されていないが、それでもなお世界映画史上にその名を残す作品の一つだ。映像化された冬宮殿への「襲撃」には約1万人もの群衆が参加し、臨時政府とブルジョア政権を「打倒」する様子が撮影された。この群衆による演出は、「冬宮殿の奪取とは、まさにこのようなものだった」という強烈な印象を数世代にわたって観客たちに残した。
だが、実際の状況は違うものだったのである。当時、宮殿には軍の病院が置かれ、第一次世界大戦の傷病兵の治療に当たっており、臨時政府はいくつかの部屋を使用していただけだった。宮殿には特別な警備もなく、ボリシェヴィキの一団(様々な説によれば9~12人)は、鍵もかかっていないドアからただ入ったに過ぎない。
主人公たちが火星へと飛び立ち、彼の地で革命の計画を立てるというアレクセイ・トルストイの小説が原作で、映画は1924年に公開された。『火星にいった地球人』は、SF映画としては世界でも最初期の一本であり、今日でも無声映画の名作とされている。
監督のヤーコフ・プロタザノフは、1917年のロシア革命以前にすでに20本近くの映画を撮っており、主にロシア古典文学作品を映画化し、その多くが商業的成功を収めていた。『火星にいった地球人』も例外ではなく、モスクワでは公開後10週間にわたって興行成績のトップを保った。ちなみに、58分のシーンではまだレーニン廟のない赤の広場を見ることができる。
あるアメリカ人によるソ連旅行を描いたレフ・クレショフの冒険コメディ。アメリカのキリスト青年会(YMCA)会長であるジョン・ウェスト氏は、ソ連を訪れることにしたが、家族や友人たちは旅行を諦めるよう説得にかかる。彼らは、ソ連では恐ろしいことが起こっているに違いないと考えていたからだ。ウェストは道中の安全のためカウボーイのジェディを伴に連れて行くことにする。
コミカルなアメリカ人、モスクワのチンピラ、路地裏での銃撃戦など、今日では「ばかげたステレオタイプ」と言われるだろうものが劇中次々と登場するにもかかわらず、ボリシェヴィキ政権下で美しくなってゆく都市モスクワに心を打たれたウェストは、この若い国に非常な好感を抱くようになる。
ソ連の生活を題材にしたドキュメンタリー映画を撮っていたジガ・ヴェルトフは、しかし紛うことなきアヴァンギャルド芸術家だった。走行する自動車の車内から、工場の煙突から、電車の車輪の隙間から、あるいは隠しカメラで…というように、彼の手にかかれば公的行事でさえ思いもよらない視点やアングルで撮影された。ヴェルトフ以前にこんなことをしたのは誰もいなかったのだ!
『キノ・グラス』はソ連市民の生活を描いた彼の最も有名な作品となった。スクリーンには癲狂院、物理学の授業、テントを張ってキャンプ生活をするピオネールなどが映し出される。
セルゲイ・エイゼンシュテインによるこの作品では、過酷な労働条件に苦しむ工場労働者の辛い暮らしが描かれる。映画の舞台は革命前のロシアで、言うまでもなく、現在では一般的な1日8時間労働という概念がまだ存在しなかったころだ。道具を盗んだというあらぬ疑いをかけれられたある労働者の自殺がきっかけとなってストライキが起こる。エイゼンシュテインは「資本主義」の恐ろしさばかりでなく、労働者による抗議運動への苛酷な弾圧も描いている。
「ネップマン」(ネップ時代の企業家)の生活様式と消費文化を笑いものにするユーリィ・ジェリャブシュスキーによるコメディ。モスクワの街角で煙草を売る娘に主だった登場人物はみな恋をする。ある男は煙草を吸わないにもかかわらず毎朝彼女から煙草を一箱買い、また別の男は彼女を映画女優に「プロデュース」する。さらにはアメリカ人実業家がソ連にやってきて…果たして煙草売りの娘はどの男を選ぶのか、その結末にご注目!
1905年7月に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を描くセルゲイ・エイゼンシュテインによる歴史映画。黒海艦隊の水兵たちは、ウジのわいた肉を食事に出されたことをきっかけに反乱を起こし、ついには反帝国主義運動に発展する。
当時新人だったエイゼンシュテインは1905年革命の記念映画としてこの作品を撮ったが、その映画自体も「革命」的な手法に満ちていた。白黒無声映画の中に、手作業で赤く塗られたソ連国旗が登場するだけでもセンセーショナルなものだった。世界の名作映画ランキング常連の一本であり、イギリスの権威ある雑誌「Sight&Sound」による「オールタイム・ベスト100」にも挙げられている 。
監督のヤーコフ・プロタザノフはソ連国債の宣伝映画を製作するはずだったが、映画作りに没頭してしまった結果、1920年代の風俗を描く一連の名作を残すことになった。
トヴェリ州のトルジョクという町の仕立工房で働く裁断工が主人公のコメディ。たまたま懸賞金付き国債を買った彼に、ある日莫大な賞金が当たる。だがその債券をなくしてしまい大ショック! 果たして物語の結末は?ぜひその目で確かめてみてください。
監督でもあり、俳優でもあったフセヴォロド・プドフキンによる、ソ連の代表的な革命作家マクシム・ゴーリキーの『母』を原作とした映画。革命家の息子とその母、という異なる政治的立場が衝突する家族の運命を描く。
この作品はプドフキンによる革命三部作の最初の一本となった。その後『聖ペテルブルグの最後』、『アジアの嵐』(原題「チンギス・ハンの子孫」)と続く。
セルゲイ・エイゼンシュテインとグリゴリー・アレクサンドロフによるこの作品は「世界を揺るがした10日間」というタイトルでも知られ、十月革命の記念映画として制作された。
映画は1917年の二月革命から十月革命までの期間を描く。ペテログラード(現サンクトペテルブルク)では民衆が飢え、一方ではまだ第一次世界大戦が続いていた。物語はこの混乱する都市から始まり、やがてペテログラードにウラジーミル・レーニンがやってきて、武装蜂起を指揮する。
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