セルゲイ・エイゼンシュテイン生誕125年:5つの天才の証明

セルゲイ・エイゼンシュテイン監督、『アレクサンドル・ネフスキー』の撮影中、1938年

セルゲイ・エイゼンシュテイン監督、『アレクサンドル・ネフスキー』の撮影中、1938年

アナトリイ・ガラーニン/Sputnik
 ソ連の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインは、今年で生誕125年を迎える。彼は、モンタージュ理論を確立し、「戦艦ポチョムキン」、「アレクサンドル・ネフスキー」、「イワン雷帝」などの映画史上に輝く傑作で、その効果を実証して見せた。巨匠の天才を示す事実を5項目にまとめてみた。

 エイゼンシュテインは、1917年のロシア革命を描いた無声映画三部作で、世界的に認められた。1898年1月22日、当時ロシア帝国の一部であったリガで生まれている。映画監督および脚本家となった彼は、やがて映画のパイオニアとして世界で称賛されるにいたる。その5つの理由を挙げよう。

1. 古今東西最高の名作の一つとされる「戦艦ポチョムキン」

『戦艦ポチョムキン』、1925年

 エイゼンシュテインのこの映画は、1925年の製作。1905年に起きた、黒海艦隊の戦艦ポチョムキンにおける水兵の反乱を描いたもので、世界の映画の古典とされている。とくに、オデッサの階段を兵士が下りながら市民を虐殺する場面は有名であり、「アンタッチャブル」(ブライアン・デ・パルマ監督)、「裸の銃を持つ男PART33 1/3」(ピーター・シーガル監督)などの映画でも引用されている。

 この映画は1950年代以来、常に最高の名画のリストに入っている。2010年には、英『エンパイア』誌上で、「史上最高の外国語映画100本」で第3位にランクインしている。

 「戦艦ポチョムキン」は、「ストライキ」「十月」とともにロシア革命三部作をなし、本作はその2作目である。

 「戦艦ポチョムキン」について詳しくはこちらから>>

 2. モンタージュ理論の創始者

セルゲイ・エイゼンシュテイン監督

 エイゼンシュテインは、「知的モンタージュ」と「アトラクションのモンタージュ」の創始者として知られている。彼は独自のフィルム編集技術を駆使して、スクリーン上で事件の劇的な展開を表現した。彼はまず、各シーンをいくつかの断片に分割してから、自分が望む順序に並べ替えた。

3. スターリンは「イワン雷帝・第2部」を酷評

『イワン雷帝』、1944〜1945年

 エイゼンシュテインの最後のプロジェクトとなった「イワン雷帝」は、全三部の構想で、独裁者ヨシフ・スターリンの要請で製作された。第1部(1944)は、当時の最も権威ある国家賞「スターリン賞」を受賞したが、第2部はスターリンによって酷評された。独裁者は、1946年8月の共産党指導者を集めた会議で、「ひどい代物だ!」と決めつけた

 第1部は、イワンの治世の初期から始まり、彼が「雷帝」になるまでを描く。しかし第2部は、大貴族たちの抵抗と、イワンの治世の最も問題あるエピソードを扱っている。すなわち、親衛隊「オプリーチニキ」を創設して、反対派の大貴族を片端から粛清したことだが、スターリンは、この親衛隊を「進歩的軍隊」とみなした。

 「君はオプリーチニキをまるでKKK団みたいに描いている」とスターリンは非難した。第2部が復活上映されたのは、スターリンとエイゼンシュテインの死後、1958年のことだった。第3部は、エイゼンシュテインの死で未完に終わり、断片のみが残っている。そのシーンの1つは1988年に上映されている。

 4. ハリウッドで仕事をする可能性もあった

セルゲイ・エイゼンシュテイン(左側)、ニューヨーク、1930年

 エイゼンシュテインは1929年に、映画俳優・監督のグリゴリー・アレクサンドロフとカメラマンのエドゥアルド・ティッセとともに、西欧と米国に出張。ロンドン、アムステルダム、ブリュッセル、ハンブルクの大学で講義を行い、ベルリンのラジオで講演した。その年に彼は、作家セオドア・ドライサーの代表作『アメリカの悲劇』の映画化用に、パラマウントのためにシナリオを書いたが、同社はそれを却下した。

 これは、米国の当時の反共的な風潮が原因だとみる人もいる。

 1930年12月、エイゼンシュテインはメキシコに赴き、この国の日常と歴史を題材とした「メキシコ万歳」を撮影する。映画はエイゼンシュテインの生前には完成しなかったが、1979年にアレクサンドロフによって完成され、上映された。

 5. カラー映画への移行期に死んだが、その実験にも着手していた

『メキシコ万歳』

 エイゼンシュテインは、映画における色彩の使用の実験を行い、映画のフレームやいくつかのシーンに色付けした。彼は、世界の映画がカラーに移行する前の、1948年2月11日に亡くなったが、「カラー映画」と題する記事を執筆中であった。

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